龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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ヒラリー・ハーンという人のヴァイオリンを

2011年11月27日 19時54分17秒 | 大震災の中で
週末、ヒラリー・ハーンという人のヴァイオリンを、そればかりを聴いている。

子どもの頃、7年間も町の音楽教室でヴァイオリンを習ったのに、きらきら星も弾けないし、楽器も手元にないまま30年以上経ってしまった。
週一回レッスンに行くことがどうしてあんなに嫌だったのか今では思い出せない。

とにかく習い事が死ぬほど嫌いだった。
たぶん、当時の地方小都市公務員子弟のガキとしてはスカした感じでヴァイオリンケースを持って市街地まで路面電車で通うこと自体が小っ恥ずかしかったし、土曜半日と日曜日の友人たちとの遊びを断って練習とレッスンをしなければならないことが、どうしても我慢できなかったし、そんなこんなで上手にならないからますます嫌だったし、それでも父親が怖くてサボることもできないほどチキンだったし、結局やるでもなく、やめるでもなく、ダラダラと続けてしまった、というわけだ。

両親の立場で今振り返って考えれば、戦争で自分たちができなかった「文化的」なことを、高度経済成長の時期、子どもにやらせてやりたい、という思いだったのかもしれない。

もう一つ、「文化的」な匂いのすることを親から提供された。
それは集英社から月1回で配本された『少年少女 世界の文学』というハードカバーの名作全集。
それ以外にも推理小説の文庫本や漱石の小説など、文庫であれば気軽にお金を出してくれた。

結果からすると、前者の音楽教室はムダに終わり、後者の本の海の方は、国語教師として飯の種の基礎になった、ということになるだろうか。

90歳になった父親に元気がなくなり、私自身も五〇代の半ばになって体力気力ともに下り坂になってから、そして大震災の後はとくに、クラシック音楽を聴く気持ちになっていった。

そのとき手に取ったのは、昔あれほど嫌がっていたバッハのソナタとかパルティータだというのは、まあ不思議というか当然というか。

iPhoneとituneという「環境」も手伝っているかもしれない。
昔は気になったレコードを買うには、仙台か東京に出るしかなかった。
今はアマゾンとかHMVとか、あるいはituneなどでダウンロードすれば素早く手に入るのだから、本当に隔世の感、である。

日本の古典を読むのが楽しくなったように、クラシックを楽しむようになったのは、老境に入って新しいモノを受け付けなくなってきたから、かもしれない。

ヒラリー・ハーンという人は、余計なことをせずにすぱっと音を届けてくれるところが好きです。
まだ特に他の人の演奏と比較してみたいとは思わない。
ここしばらくは聴き込んでいきます。

中でもバッハが聴きやすくて耳になじみます。
結局鈴木メソッドでやった曲とかバッハが多いしねえ(苦笑)。


Hilary Hahn Plays Bach (Hilary Hahn)
The Essential Hirayr Hahn (Hilary Hahn)
Mozart:Violin Sonatas (Hilary Hahn,Natalie Zhu)
Mach:Violin Concertos (Hilary Hahn,Jeffrey Kahane,Allan Vogel,Margaret Batjer)





大切なのは、人的ネットワーク。

2011年11月27日 17時55分11秒 | インポート
3月11日の大震災以後、以前と違って見えてきたもっとも大きなことの一つは、人と人とのつながりだった。
今までの隣組とか地域共同体、職場・企業のつながり、子育てネットワーク、趣味の友人、腐れ縁の飲み友達、昔やっていた読書会のメンバー、大学の同期、高校のときのサークルの友人(元友人)、元カレ、元カノ、近所のおじさん・おばさん、犬の散歩友達、あるいは給水所で会った見知らぬ、しかし意外なご近所さん、避難所での共同生活、避難した先での人とのつながり……実にさまざまだ。
もちろん、新しい形のつながり、mixi、フェイスブックやTwitter、オンラインソーシャルゲームなども無視できない。

では、私にとって、3/11以降人的ネットワークのウェイトにおいて、何が変わったのか。
そして何が変わらなかったか?

そんなことを、今日はほぼ一日家の中にいて一人で考えていた。

確実に変化したのはTwitter→サイト・ブログの情報量だった。
正直、Twitterのみではそれぞれの「印象」や「瞬時の叫び・反射」がとめどなく流れていくだけのように見えて、それ自体を有用な情報として利用する、という感じではなかった。今でもそれはそんなに変わらない。

でも、Twitterは、単に脳味噌の中の「呟き」が垂れ流されているばかりでもない。

多くはそのときの「今」の出来事に対するリアクションだ。

だから、ツイート自体の当否は別にして(だいたいしばらく眺めているとその人自身のリアクションはしだいに「読める」ようにもなってくる。そのあとになるとファン意識とか惰性とか、水戸黄門的物語承認って側面も大きい)、そのツイートというリアクションを起こした事象にリンクしていく、その広がりをたどっていくと、意外に面白いのである。

もちろん、些細なことまで熱心にネットでは議論されたりもするから、袋小路に入ってしまって何が「本当」なのか分からなくなることもある。
そして、どちらかというとそういうことの方が多い(笑)。

でも、いつのまにか「他人の声」になってしまったり、固着して別の視点が見えなくなってしまっていた「自分の声」に、他者の声を響き合わせ、「分からない」なら「分からない」という場所にいったん自分を引き出して、その上で様々な前提を含めて問い直しながら、「自分の考え」を立て直していくにはいい道具になっている。
また、Twitterは専門分野の先端部分の人の関心が、断片的にではあっても直に飛び込んでくる。
あとは自分で活字に当たればいい。
そういうネットワークの広がりという意味ではもっともこの半年「活躍」したメディアだった。

他方、家族のつながりもぐっと濃密になったと思う。

震災前後に家族の「入院」と「看取り」を経験し、その最中に家の損壊や断水停電、原発事故による避難・居残りの決断などなど、両親夫婦と同居しはじめて1年で起こった「大事件」は、親子・夫婦・兄弟・甥や姪・義母などとの交流を必然的に深め、緩やかなチームとしての意識を結果としてはぐくむことになった。

しかし、友人や知人の中には、震災をきっかけに別居→離婚と引き裂かれていってしまった人もいる。
震災後に容態が変わり、急逝してしまった親戚や元同僚も少なくない。
先週末に友人達と飲んだときも、震災後の訃報を持ち寄るような形になった。

震災をきっかけに結婚して福島に住むことになる、という人もいれば、付き合っていた相手と別れて東京に帰る、という人もいる。
そんなことは大震災があってもなくても同じように起こってはいるのだろう。

でも、私達は地震と津波の罹災に加えて放射能の脅威の中で半年以上を過ごし、震災がなくても必要であった大きな決断を、その大きな影響下で、セシウムを意識しながらさまざまに下していかねばならないことになったわけだ。

突きつけられた「人為の裂け目」の「闇」を意識しつつ、「人為」は続けられねばならない。
それは、避難するか残るか、という二者択一における「同意」や「反発」だけに収斂するものでないことだけはいっておこう。
何が一番大切なのか、っていう姿勢が、はしなくも現れてしまうのだ。
そんなことはもちろん決められない。普段意識するべきような種類のことでもない。
単純に「決断」すればたやすく「嘘」が混じり込みもするだろう一つ一つの選択に、それでもなにやら「選択」してしまったかのような匂いをまとわねばいきていけない、そんな「時代」が始まってしまった、という意識が私達の中にはあるのだろうと思う。

そういう「受動的」な「選択」を意識する意識の中で、私達は人と人とのつながりを以前よりも強く意識し、大切に思うようになるとすれば、みせかけの「受動的な選択」(それがどんなに過激で自分から決断したかのように見える興奮と熱意に満ちたものであっても)を称揚するような人、それだけで歩き出してしまうような人とは、自然と距離を取るようになっていく……そんな形で私は少なくても人的ネットワークを改めてたどりなおそうとし始めているように思うのだ。

反原発も自主避難も、ふるさとに帰ろう、福島は安全だキャンペーンも、どこまで何が危険かの基準さえ「暫定」のままに置かれている以上、私達は私達の与えられた可能性条件の中で、より良く生きようと思って動くより他にない。

そのとき、自分の判断を「理性」や「意志」、「科学」によって過度に強化する人をみると、距離を取るようになる。
少なくても自分が信頼を置いて付き合う気にはなれなくなる。

そういう主張の強度は、必ずしも哲学の強度を保証しない、と思うからだ。

中途半端がいいって話じゃないし、二者択一をした瞬間に間違えるって話でもない。
今は「正しい話」が多すぎるのだ。
私達は「話」にうなずきたいわけじゃない。そんなことは、自分の中の「物語」に任せておけばいい。
私達は人という「他者」と出会い、その違いと出会うことに「うなずきたい」のじゃなかったか。

違う他者と出会って意外な響き合いを見つけた時のために生きているのじゃなかったかしら。
そういう意味で、今は「正しい話」ばかりが職場でも、巷にも溢れていて、結果なにが「正しい」のか見えにくくなっている。

かといって、メタ認識を素早く「計算」するとかいう話をしたいのでもない。

正しさに向かって踏み出したら、その正しさからみて正しくない「今」を生きるように見える身体や物質の側に還ってくる勇気があるかどうか。
間違える勇気、とまではいかなくてもいいが、「力」や「権力」を身近な人との間でどんな風に行使し、あるいは行使を保留するのか。

そういうことに敏感な仲間と酒を飲みたいって話になるのだろうと思う。
身体を伴った身近な人との、繊細な哲学の強度に支えられた出会い。

それもまた物語の一つにすぎないとしても、多声的な物語ではあるだろう。
こたえはそこから先への道にあるのじゃないか。
あるいはその先から手前に戻ってくる道の中に。

そんなことを、考えている。