龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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ダライラマ14世福島県郡山市の講演概要メモ

2011年11月06日 23時25分07秒 | 大震災の中で
ダライ・ラマ法王14世特別講演会
日時:2011年11月5日(日)
場所:福島県郡山市日大工学部体育館
演題:「苦しみを乗り越え、困難に打ち勝つ力」

この講演は、福島県から世界に発信することを目的に今年4月に開塾された下村満子が主宰する「生き方塾」のイベントとして開催されました


以下、連続して講演内容のメモを書きます。
(私が理解できた範囲なので、あくまで個人が受け取ったこととご理解ください)

(開始)
57年間、亡命し、難民として生きてきた。その結果、世界の異なった考え方の沢山の人と出会った。
天災は別として、ほとんど多くのものは人間が自らの手で作り出したものだ。

それが大きな問題となるのは、現実に対する認識が不十分であるからだ。

だからこそ、物事を全体的に考えることが必要。
一つの見方だけではダメ。正しい現実を把握することが必要。正しい現実を知る、とは複雑な現実を知る、ということだ。

そのために重要なのが教育なのである。

人間は物質的・技術的・外面的には進歩し、高められてきた。
だが、そうではなく、心の中の良き資質を高めること。つ
まり内的世界を、教育を通して高めることが必要なのである。

では、私達の高めていくべき価値=倫理とは何か?

やさしさと思いやりである。
知識・教養・脳の活性化だけでは足りない。
他の生命あるものの痛みを分かり、思いやりを持つことが必要だと考えている。

そこで、その倫理について考えるとき、ヨーロッパの人々は宗教行く基づいて考えることが多い。他方、世俗的な意味で倫理を考える行き方もある。
私(ダライ・ラマ)は後者を取る。

正しい倫理観、正しい動機によって、心と体(外面的な行い)に正しい方向づけをしていくことができる。

他者を助けて役に立つ。貢献と奉仕を行っていく。
もしそれができなくても他者に害や迷惑を与えないことだ。

なるほど、愛や自費など宗教は共通の教えを説いている。
しかし、宗教に基づく倫理は全世界を包摂しない!

そうではなく、すべての人間を包摂する倫理が必要だ。
ユニバーサルな方法が必要なのだ。
個人から家庭へ、そして社会へと説明を広くしていく必要がある。

そのためには、世俗のレベルで説くことが大切。
そのような倫理観が必要だと確信することによって、
愛と慈悲による
1,身体の健康
2,心の平和
3,家庭の平和
4,社会の平和
5,世界の平和
が実現する。

それは決して「神」への奉仕ではない。
そしてまたこれは来世の話ではない。

個人の平和な心を高める。そのために教育はキーファクターになるのである。

実のところ今、皆世界は同じ状況なのではないか。お金や経済、モノの向上、その重要性を強調しすぎている。
(その結果むしろ)
私達が抱える問題はますます増えていってしまっている。

宗教ではなく、世俗的倫理性を高めるアプローチを考え、多くの人と分かち合いたい。

イスラム教徒の人、キリスト教徒の人がいる。
またあるいはそれらの宗教を拒絶する態度を取る人もいる。
それらは互いに尊敬されるべきだ。

(例)
古代インドには様々な学派があった。
ローカーヤタ学派というものもあった(無神論的で異端とされた、とか)。
この学派の見解を否定するのは構わない。しかし、インドの人々は、人に対する敬意を持つ姿勢は保たれてきた。
見解と人とを区別すべきだ。

人に対する尊敬を持つと言うこと。全ての宗教に対するリスペクトをすること。それは宗教を持たない人をも含んでいる。

協調しつつ共存する、ということをインドでは行ってきたのだ。

現実的な意味において価値観を高めようとすること、一人の人間において正しい生き方をする、ということが大切なのだ。
ガンディや( 不明  )などのように、自身の宗教があるということと、世俗の倫理観を高めることとは、何ら矛盾しない。

近代教育を通して倫理観を高めていくことに対して、大きな賛同を得ることができる。

(例)
 瞑想修行が、ウィスコンシン州大学において研究に取り入れられ、心をよりおだやかにする訓練の成果が出ている。
 つまり、内なる価値観を高めることが個人を幸せにし、行動をより良いものにしていく、降下がある、ということだ。個人が穏やかな雰囲気を身につけそのことによって、学校が、そして社会がより幸せになることができるのだ。

 人々は今、近代的教育を通して世俗のレベルの倫理観を高めていくことを考えている。
 日本社会の中にも大きな反応が起こってきている。たとえばこの「下村塾」のように。
 教育を通して倫理を守り、正しく生きる道を得るということだ。

 私は、物質的なものには満たされていながら、心の中が平和でない人をたくさん知っています。モノやお金で心の平和は築くことができないのは明らかだ。

 肉体レベルはいいのだが、精神レベルはダメ、ということがある。

 自分自身で心の中を変えて自身の良き資質を高めることによって初めて心の平和を得ることができる。

(例)
スーパーマーケットにいって「心の平和はどこに売っていますか」と聞いてもそれは買えません(笑)


そこで、世俗の倫理観を高める方法には3つあります。

一つ目は、共通の体験に基づくものです。

 (例)
 母親の胸に抱かれて愛情豊かに育てられてきた。完全に依存して成長してきた。
 生後2・3週のうちに十分に愛され頬ずりされることが脳の発達に重要だ、という研究もある。
 愛情の種を受けた人々は、自信を持って人生を生きていくことができる。
 他方、心の奥底に不安を持って成長すると、他人に愛情を示すことができない。

私の母は農婦で、知識はなかった。が、暖かで穏やかな人だった。本当に優しい人だった。
少しスポイルされたぐらいで、私はいささか攻撃的になったかもしれない(笑)。
子どもの頃よく母親に肩車をしてもらった。右に行きたいときは母の右耳をひっぱり、左に行きたいときは左耳を引っ張った。母はいつも暖かく見守ってくれた。私の中の愛と慈悲は、母親からもらったものだ。

二つ目に世俗的価値観を高めていく方法は、常識に基づいて倫理を説いていくことだ。

 両親が愛情豊かであれば、喜び・楽しみ・幸せがそこに生まれ、信頼が種と鳴って尊敬の程度が高まる。
両親がそういう状態でないと、たとえ豊かであっても嫉妬や疑惑が生じて不幸になってしまう。

 動物でもそうだが、友情や愛情に基づく信頼が重要だ。

 一つの社会の中で、世俗的に倫理観に満ちた人がいれば、より良く生きることが出来る。一人一人が倫理をもっていなければそうはならない。
 私がアメリカを訪れた時、これだけ豊かな国でも、その首都でも、貧富の差が大きく、悪事を働く人が多い。そういうところでは人は安心して生きることができない。

 一個人が他に対する優しさを思いやりを持つことが、社会全体を幸せにしていく大きな要素になっている。

三つ目に世俗的価値観を高めていく方法は、人間の心のレベルの研究だ。

 20世紀前半までは、肉体的リサーチが中心だった。
 しかし、20世紀後半からは、人間の心に研究のレベルが到達してきた。
(例)
 怒りや憎しみや破壊的な感情は、免疫を低下させ、穏やかで健全な心を持つとより健康になる、ということが研究で分かってきた。
一人一人の健康=心の平和が重要だ。世俗的倫理観に基づく正しい生活が大切なのだ。

(例)
 例としてコスメティックがある。女性が外面的美しさを目指しても長続きしないし、男性の心を未了することはできない。
 内面における美しさを磨くこと。一人の人間としての内面的な美しさが重要だ。
 ガンディーなども同じことを言っている。

 全ての生命を慈しみ、人権や幸せを目指すこと。それは私達によって何十年も記憶に止められていくだろう。

 心の平和、検算名心を維持することが大切になる。他者への尊敬を大切にすれば、騙し搾取、いじめはなくなる。信頼関係を高めることができる。

 全ての源は穏やかな心の平和だ。
 全ての生命に対する暖かさと優しさが大切なのだ。

 それらが脳細胞にも良い影響を与えていくのだ。肉体的に免疫が弱いと病気になる。心もそれと同じだ。
 強い免疫力を持って現実にアプローチしていけば、困難も自信を持ち精神力で乗り越えることができる。
 そうでないと、些細なことでも負けてしまう。

(例)
 昨日石巻でも、私はこのようなことをいった。
 起きてしまったことは仕方がない。悲しみを続けるのではなく、新しく頑張ることが大切。自信を持ち、楽観的に立ち向かっていくことが大切なのだ、と。

ここで講演本体は終了。その後質疑応答があったが省略。

最後に、

世界には70億人の人間がいて、その全てが問題を抱えている。どんなことがあるにせよ、あと2000年ぐらいは人間は滅びずに存在していくでしょう。だから楽観的にね。心配ないよ、

という言葉で締めくくられた。
(終了)