ちくま学芸文庫の吉本隆明『最後の親鸞』を読み出した。
これがすこぶる面白い(メディア日記4/15を参照のこと)
なんだろう、吉本隆明の本を読んでいて、いちいち腑に落ちるという経験をしたのはおそらく今回が初めて、というくらい読みやすかった。
これもまた「震災・原発事故被害」の影響、といえば言える、のかもしれないが(苦笑)、例の私の持論である、年をとった結果、ボケはじめたために細部が見えなくなって、逆に大きな幹のありかが分かってきたということかもしれない。
あながち冗談で済ませられないのは、ETVで1年ほど前に吉本隆明の講演を番組で取り上げていて、その中で吉本隆明自身が、どうしても自分の読者ではない人(素人?)に自分の思想を伝えたい、といって、歩くことさえ不自由な身体を押して講演を計画する場面があって、その「気持ち」がとってもよく分かったからだ。
分かった、というのはまあ一義的にはこちら側の「匙加減」に過ぎないのだけれど、それでもその吉本隆明の「気分」は確実に私の側に「感染」したのだ。
例えば『言語にとって美とは何か』指示表出と自己表出、という区分も、だいたいこの「自己」で躓いたまま何十年も読めずにいたわけです。
当時(何十年も前のことです)芸術系の人って、どうしてもこの「自己」という言葉を使いがちで、若い頃の私は、その「自己」に躓いていたわけだから、自分の中の偏見では、どうにも芸術家のいう自己は「動物」としか読めず、結果、だからその自己ってどこで形成された「他者」としての「自己」なの?だいたい「自己」って誰?とか思っちゃうと、もう先に行けなかったのです。
詩とか絵とかの表現者は、そのプロセスにおいて、その語られるべき「自己」とどこかですれ違って「出会い」を果たすのかもしれないけれど、そんなことあられもなく言葉にされてもねえ、というのが正直な感想だった。
「自己」というのは、20歳~30歳そこそこの自分にとって空疎な記号のようなものでもあり、他方空疎であるだけに逆に脱獄不可能な無限のクビキ=牢獄のようなものでもあったわけだから。
でも、ここ(『最後の親鸞』)で語られる「非知」と<無智>の関係は、実によく腑に落ちた。
吉本隆明は(あたかも親鸞の如く)、最初から最後までその「非知」と<無智>の間の淵のぎりぎりの近傍点に立ち続け、実況中継をしようとしていた人だったのかもしれない、ということに、30年も経ってようやく思い至ってきたのだ。
「境界線の近傍に立ちその淵を覗く」、という比喩でいえばここ数年、それが自分にとっても大きな主題の一つだ。
吉本隆明はむしろその淵の底から、のぞき込むこちらに向かって言葉のライトを向けてくる。
それは、かつての私にはまるで深海魚の暗号のように感じられた。
一つ上の世代のたくさんの人間が反応しているけれど、それが分かっているのかな、と疑問も抱いた。
けれど、その淵の側に立ち、覚悟を決めてのぞき込むと、思いの外に「分かりやすい」のかもしれない、とも思うようになる。
ちょうど『小林秀雄の恵み』(橋本治)を読んでから、分からないながらも「小林秀雄が読める」場所に誘われはじめているのと同じように。
どうせ30年も分からなかったのだ。ゆっくりと読んでゆっくりと「分かって」いこうと思う。
親鸞とスピノザを性急に結びつけることもすまい、と思う。
全てはゆっくりと余生全部を通してわかり直していけばいいことだから。
これがすこぶる面白い(メディア日記4/15を参照のこと)
なんだろう、吉本隆明の本を読んでいて、いちいち腑に落ちるという経験をしたのはおそらく今回が初めて、というくらい読みやすかった。
これもまた「震災・原発事故被害」の影響、といえば言える、のかもしれないが(苦笑)、例の私の持論である、年をとった結果、ボケはじめたために細部が見えなくなって、逆に大きな幹のありかが分かってきたということかもしれない。
あながち冗談で済ませられないのは、ETVで1年ほど前に吉本隆明の講演を番組で取り上げていて、その中で吉本隆明自身が、どうしても自分の読者ではない人(素人?)に自分の思想を伝えたい、といって、歩くことさえ不自由な身体を押して講演を計画する場面があって、その「気持ち」がとってもよく分かったからだ。
分かった、というのはまあ一義的にはこちら側の「匙加減」に過ぎないのだけれど、それでもその吉本隆明の「気分」は確実に私の側に「感染」したのだ。
例えば『言語にとって美とは何か』指示表出と自己表出、という区分も、だいたいこの「自己」で躓いたまま何十年も読めずにいたわけです。
当時(何十年も前のことです)芸術系の人って、どうしてもこの「自己」という言葉を使いがちで、若い頃の私は、その「自己」に躓いていたわけだから、自分の中の偏見では、どうにも芸術家のいう自己は「動物」としか読めず、結果、だからその自己ってどこで形成された「他者」としての「自己」なの?だいたい「自己」って誰?とか思っちゃうと、もう先に行けなかったのです。
詩とか絵とかの表現者は、そのプロセスにおいて、その語られるべき「自己」とどこかですれ違って「出会い」を果たすのかもしれないけれど、そんなことあられもなく言葉にされてもねえ、というのが正直な感想だった。
「自己」というのは、20歳~30歳そこそこの自分にとって空疎な記号のようなものでもあり、他方空疎であるだけに逆に脱獄不可能な無限のクビキ=牢獄のようなものでもあったわけだから。
でも、ここ(『最後の親鸞』)で語られる「非知」と<無智>の関係は、実によく腑に落ちた。
吉本隆明は(あたかも親鸞の如く)、最初から最後までその「非知」と<無智>の間の淵のぎりぎりの近傍点に立ち続け、実況中継をしようとしていた人だったのかもしれない、ということに、30年も経ってようやく思い至ってきたのだ。
「境界線の近傍に立ちその淵を覗く」、という比喩でいえばここ数年、それが自分にとっても大きな主題の一つだ。
吉本隆明はむしろその淵の底から、のぞき込むこちらに向かって言葉のライトを向けてくる。
それは、かつての私にはまるで深海魚の暗号のように感じられた。
一つ上の世代のたくさんの人間が反応しているけれど、それが分かっているのかな、と疑問も抱いた。
けれど、その淵の側に立ち、覚悟を決めてのぞき込むと、思いの外に「分かりやすい」のかもしれない、とも思うようになる。
ちょうど『小林秀雄の恵み』(橋本治)を読んでから、分からないながらも「小林秀雄が読める」場所に誘われはじめているのと同じように。
どうせ30年も分からなかったのだ。ゆっくりと読んでゆっくりと「分かって」いこうと思う。
親鸞とスピノザを性急に結びつけることもすまい、と思う。
全てはゆっくりと余生全部を通してわかり直していけばいいことだから。