連休中、2度青森を訪れた。
一度目は桜には早すぎ、二度目は満開を過ぎていた(たぶん5月1日か2日が弘前公園の満開だったのかな?)。
それでも十分楽しかった。
津軽平野は私の大好きな場所の一つ。
岩木山という独立峰に惹かれるのだろうか。
周囲をぐるりと巡ってその山を意識しながら走る。
そんなドライブが好きなのかも知れない。
岩木山がそうだし、富士山もそう。阿蘇山もそれに近い。
どちらも屋根を開けて、その山を身近に感じながら走ることができる。いずれも好きなドライブコースだ。
壁のように山が道路の先に立ちふさがっていると、向こう側にいかなきゃならない。
でも、その道は往々にして半年ぐらい道が雪でふさがれていたりする。
山越え、峠越えのドライブもそれはそれで楽しいけれど、ゆっくり流すにはチトきつい。
のんびりとオープンクルージングを楽しむには、どこからみても山を自分の近傍に感じることができるのがいいのかもしれない。
それに、道の駅。
大鰐弘前のI.C.を降りてすぐの弘前の道の駅は「なかなか」のものなのだ。
ゴールデンウィーク過ぎまで、1個50円のサンふじ(りんご)を売っている。
そしてこれが旨い。
地元のおじいちゃんが買いに来る。そして店の人も、
「あと二週間でもうおしまい。買えんならいっぱい買ってぃきな」
なんて地元の人と会話している。
そんな道の駅だから、地元の野菜もいっぱい並んでいる。
品揃えのために他県の野菜も並んでいるが、逆にいえばだから、地域の台所としても機能しちゃう。
一見客向けの観光物産館、じゃないのだ。
青森県にも他にたくさん道の駅があり、それぞれに特徴があって楽しいけれど、いつ行ってもこの道の駅の集客力には脱帽する。
道の駅的な地元産品直売系のお店の売上は、コンビニ顔負けだったりしてね。
私はすっかりリピーターになってしまった。
道の駅は、まりだすとこれはこれでおもしろい。
八峰で買った椎茸は焼いて食べたら美味しかったとか、その弘前の1個50円のサンふじがいいとか、塙の道の駅で売ってた餅つきイベントのお餅が絶品だったとか(長芋もうまかった!)。
今年からは、クルマにシェラフを積んで道の駅ツアーでもしようか、ともくろんでいる。
キャンプとか大げさなものではなく、気軽にたどり着いたところで寝倒れ車中泊の旅、である。
こういうとき、ロードスターのオープンエアーの気持ちよさを取るか、後席フラットで寝やすい快適性のレガシィを取るか、が極めて悩ましい。
オープン2シータ-の決定的な弱点は、人や荷物を積めないことではない。
問題は、クルマで寝るのが極めて難しいことなのだ。
一度福島から松江までノンストップドライブをしたとき、夜中東名高速のPAで仮眠を取ったのだけれど、これが辛かった。
一時間と続けて眠れないし、なにせ身体が固まってしまう。
目的地に着いてからはオープンが楽しいに決まっているんだけどね。
それに対してワゴン車はシェラフとマットがあれば、ほとんど苦にならずに睡眠が取れる。
道の駅ならトイレもあるし、場所を選べば風呂にも入れる。
もっともお風呂は最近、どこでも日帰り温泉サービスをやっているので、存外お風呂には困らないようになってきた。
というわけで、連休中は活字を離れて福島-青森を二往復。
でも、本当は、ドライブにとって目的地が目的、じゃない。
どこでもない場所の「自由」は、走っている最中のクルマの動きの中にこそ、ある。
道の駅は、その中のちょっとした結節点、といったところだ。
息継ぎをしながら、その結節点を跨ぎ越して旅を続けて行く。
最近はまっているレゲエ系?の歌い方をするLecca(烈火の如く、の「レッカ」から由来するネーミングだとか?)の曲にも同じようなテイストを感じる。
スクエアな拍を跨ぎ越して、音楽の「現場」が広がっていくような印象の歌なのだが、ドライブの醍醐味の一つに、その「点を跨ぎ越す」感覚があるように思う。
もちろん、高速道路をひたすら走るだけのドライブよりは、ワインディングロードをひらひら運転した方が楽しいことは間違いない。
でも、一見修業もしくは労働に等しいクルマの道行きにも、実は日常と、そこを離れた遠い目的地との「間」の、どこでもない場所でリズムを刻む楽しみが確かに存在するのだ。
そんなこと、感じない人が多いと思うけどね(笑)。
私自身、もし後部座席に乗っていたら、長距離ドライブは睡眠のための時間に過ぎないかもしれない。
それでも、なお、移動している間のこの感じは、何か心に訴えるものがある。
ゆっくりそんなことも、また考えていきたい。
そんなこんなで、ようやくブログ復帰です。
一度目は桜には早すぎ、二度目は満開を過ぎていた(たぶん5月1日か2日が弘前公園の満開だったのかな?)。
それでも十分楽しかった。
津軽平野は私の大好きな場所の一つ。
岩木山という独立峰に惹かれるのだろうか。
周囲をぐるりと巡ってその山を意識しながら走る。
そんなドライブが好きなのかも知れない。
岩木山がそうだし、富士山もそう。阿蘇山もそれに近い。
どちらも屋根を開けて、その山を身近に感じながら走ることができる。いずれも好きなドライブコースだ。
壁のように山が道路の先に立ちふさがっていると、向こう側にいかなきゃならない。
でも、その道は往々にして半年ぐらい道が雪でふさがれていたりする。
山越え、峠越えのドライブもそれはそれで楽しいけれど、ゆっくり流すにはチトきつい。
のんびりとオープンクルージングを楽しむには、どこからみても山を自分の近傍に感じることができるのがいいのかもしれない。
それに、道の駅。
大鰐弘前のI.C.を降りてすぐの弘前の道の駅は「なかなか」のものなのだ。
ゴールデンウィーク過ぎまで、1個50円のサンふじ(りんご)を売っている。
そしてこれが旨い。
地元のおじいちゃんが買いに来る。そして店の人も、
「あと二週間でもうおしまい。買えんならいっぱい買ってぃきな」
なんて地元の人と会話している。
そんな道の駅だから、地元の野菜もいっぱい並んでいる。
品揃えのために他県の野菜も並んでいるが、逆にいえばだから、地域の台所としても機能しちゃう。
一見客向けの観光物産館、じゃないのだ。
青森県にも他にたくさん道の駅があり、それぞれに特徴があって楽しいけれど、いつ行ってもこの道の駅の集客力には脱帽する。
道の駅的な地元産品直売系のお店の売上は、コンビニ顔負けだったりしてね。
私はすっかりリピーターになってしまった。
道の駅は、まりだすとこれはこれでおもしろい。
八峰で買った椎茸は焼いて食べたら美味しかったとか、その弘前の1個50円のサンふじがいいとか、塙の道の駅で売ってた餅つきイベントのお餅が絶品だったとか(長芋もうまかった!)。
今年からは、クルマにシェラフを積んで道の駅ツアーでもしようか、ともくろんでいる。
キャンプとか大げさなものではなく、気軽にたどり着いたところで寝倒れ車中泊の旅、である。
こういうとき、ロードスターのオープンエアーの気持ちよさを取るか、後席フラットで寝やすい快適性のレガシィを取るか、が極めて悩ましい。
オープン2シータ-の決定的な弱点は、人や荷物を積めないことではない。
問題は、クルマで寝るのが極めて難しいことなのだ。
一度福島から松江までノンストップドライブをしたとき、夜中東名高速のPAで仮眠を取ったのだけれど、これが辛かった。
一時間と続けて眠れないし、なにせ身体が固まってしまう。
目的地に着いてからはオープンが楽しいに決まっているんだけどね。
それに対してワゴン車はシェラフとマットがあれば、ほとんど苦にならずに睡眠が取れる。
道の駅ならトイレもあるし、場所を選べば風呂にも入れる。
もっともお風呂は最近、どこでも日帰り温泉サービスをやっているので、存外お風呂には困らないようになってきた。
というわけで、連休中は活字を離れて福島-青森を二往復。
でも、本当は、ドライブにとって目的地が目的、じゃない。
どこでもない場所の「自由」は、走っている最中のクルマの動きの中にこそ、ある。
道の駅は、その中のちょっとした結節点、といったところだ。
息継ぎをしながら、その結節点を跨ぎ越して旅を続けて行く。
最近はまっているレゲエ系?の歌い方をするLecca(烈火の如く、の「レッカ」から由来するネーミングだとか?)の曲にも同じようなテイストを感じる。
スクエアな拍を跨ぎ越して、音楽の「現場」が広がっていくような印象の歌なのだが、ドライブの醍醐味の一つに、その「点を跨ぎ越す」感覚があるように思う。
もちろん、高速道路をひたすら走るだけのドライブよりは、ワインディングロードをひらひら運転した方が楽しいことは間違いない。
でも、一見修業もしくは労働に等しいクルマの道行きにも、実は日常と、そこを離れた遠い目的地との「間」の、どこでもない場所でリズムを刻む楽しみが確かに存在するのだ。
そんなこと、感じない人が多いと思うけどね(笑)。
私自身、もし後部座席に乗っていたら、長距離ドライブは睡眠のための時間に過ぎないかもしれない。
それでも、なお、移動している間のこの感じは、何か心に訴えるものがある。
ゆっくりそんなことも、また考えていきたい。
そんなこんなで、ようやくブログ復帰です。