上野修『デカルト、ホッブズ、スピノザ』(講談社文庫)を読了した。
メディア日記に書くべきところだが、今日はこちらに。
上野修『デカルト、ホッブズ、スピノザ 哲学する十七世紀』講談社学術文庫
を本日読了。1999年に単行本として出版されたものの文庫化。去年の暮れの発行だったらしい。
上野修という人に初めて出会ったのは、数年前、スピノザの入門書を二冊買ったら、たまたま二冊とも上野修という人が書いたものだった。
NHK出版 シリーズ哲学のエッセンス『スピノザ』上野修
講談社現代新書 『スピノザの世界-神あるいは自然-』上野修について
過去のブログ(メディア日記)を見るとフーコーコレクションの文庫と同時期、萱野稔人『国家とは何か』のちょっと後に、スピノザの著作とスピノザについての本を10冊ぐらい連続して購入している。
それにしてもなぜ、スピノザだったのだろう。
もうよく覚えていない。自分自身の、「スピノザ以前」を思い出すことがかなり難しくなっている(笑)。
ただ、今回『デカルト、ホッブズ、スピノザ』を通読してみて、なんだかとても懐かしい感じを覚えたのである。
それは明らかに80年代の匂い、といっていい。
ドゥルーズとかラカンに言及しているから、だけではない。
思考のスタイルというか、文体が前提としている「了解事項」を「脱構築」していく、その「脱構築」すべき前提となる「了解事項」自体が懐かしかったのだ。
上野修はスピノザの哲学がきわめて「異様」だ、と繰り返す。
まあ、そうだったんだろう、と思う。
80年代にフーコーやデリダを読んだ時の、脳味噌を裏側から掻いているような不思議な「異和感」もまた、その「異様さ」を身に纏っていた。
何がいいたいか、というと、ドゥルーズを経由したスピノザ「発見」の文脈がそこにあったのだなあ、という感慨を抱く、ということかもしれない。
しかし、私にとってドゥルーズは、遠い存在だった。フーコーは夢中になって「読めなさ」を楽しんで読んでいたし、デリダは「読めない」のではなく「分からない」という感じも持ちつつ、惹かれていた。
でも、ドゥルーズは、ドゥルーズ自身の思想を語らないので、誰かが「利用」したドゥルーズしか知らなかったのだ。
そして、それはほぼ決定的に面白くなかった。
だから、ドゥルーズも「分かりやすい」人なんだろう、とてっきり思ってしまっていたのだ。
ところが、そのドゥルーズ像が、スピノザを読んでいて覆される。それが
ドゥルースの『スピノザ』平凡社文庫
との出会いだった。
上野修さんは入門書本文ではドゥルーズには言及していなかったと記憶しているけれど。
ところが、この『デカルト、ホッブズ、スピノザ』は、明らかスピノザ論が中心になっていて、しかもドゥルーズ的解釈によるスピノザが中核にある。
そういうことか、と今日、思ったのだ。
でも。
入門書2冊の学恩は忘れないけれど、私にとってこの『デカルト、ホッブズ、スピノザ』はちょっと懐かしすぎる。
つまりは、過去のものになっている。
無論、勉強するにはとてもいい本だ。
自分がグルグルしていた80年代の思想シーンの枠組みでスピノザを論じてくれていたことは、そして今それをこうやって読めることはありがたい。
だが、スピノザの哲学が「異端」であり「異様」である、という修辞は、はっきりと私にとっては今のところとりあえず「過去」のものになりつつある。
なにか自分が成長した手柄のように言っているのではない。
自分は時代の空気を吸って生きる以外に空気を吸うやり方をしらず、その時代の空気が、スピノザを「異端」「異様」のままにはしておいてくれなくなった、ということがいいたいだけだ。
吉本隆明が親鸞の「異様さ」的なところに瞳を凝らしていたときも、今ひとつ意味が分からなかった。
だが、今ならそれが分かるような気がするのだ。
蓮實重彦の『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』から30年。
だいぶ周回遅れでドゥルーズを読み始めた私は、その中でスピノザ読解を進めていくうちに、千葉雅也・國分功一郎という(比較的)若手のドゥルージアンと出会うことになるのだけれど、それはまた別のはなし。
スピノザが「異様」なのはもちろん分かる。
未だに『エチカ』は自力じゃ一行も読めないし……。
でも、書簡集のスピノザはめっちゃ丁寧に「分からなさ」を繰り返してくれるんだよねぇ。
説明になっていないような説明を、あたかも「明快」な説明ででもあるかのように、しかし、分からない人には分からないのだろう、というある種の明るい諦念みたいなものすら感じさせるような調子で。
その粘り強い「わかりにくさ」は、「異様」という言葉だけでは掬い取り切れていない、と思ったのだ。
80年代なら、この上野論文に圧倒されていたことだろう。その手際にも惚れたに違いない。
そういう時代でもあったのです。
(時代のせいとかにするつもりはない。けれど、あのときの「理解」はそういう種類の「理解」でしかありえなかったという意味での「時代」=「思考基盤」が存在したということ)。
上野論文を読んで「へぇーっ」と思う部分は実にたくさんあって、だからぜひにもお薦めなのですがね。
スピノザは意識の価値の切り下げをしている、ってドゥルーズが『スピノザ』で説明抜きでさらっと書くところを、たとえば上野論文ではほんとうに丁寧に、スピノザがその主著『エチカ』の幾何学的秩序において、語りの主体をどれだけ注意深く排除しているか、というアイディアで説明してくれる。
デカルトの説得には「私の語り」が不可欠だが、スピノザはそうではない。
むしろ、主体が生成される差異の欲望の現場を見据えて、その瞳の強靱さをつきつめていったのがスピノザなんだよ、的に説明されると、「おおっ」てなるわけです。
ホッブズとの比較でも、万人の万人に対する闘争という「自然状態」を離脱して秩序が成立するために第三項を排除して高みに置き、そこに権利を委ねるというホッブズの思想展開とはまったく異なり、スピノザは自己の主体が権利譲渡の契約をするなんて話ではなく、「残余の他者」の総和=群衆の力能を意識したとき、すでに主体は一挙に権利の委譲を行ってしまっているのだ、なんて説明されると、むしろ「力学」というか「政治」をそこにヴィヴィッドに感じたりするわけです。
説明がへたくそですいません。本文直接読んで貰った方がずっと分かりやすい。
スピノザの哲学が内包する「構造」の分析としては、素人にとってはもうこれで十分なのじゃないか、ってぐらい書かれています。
ただし、今、スピノザのテキストを読むことからは、ちょっと距離があるかもしれない、とも思うのです。
共に謎を共有して、それを鮮やかに説いてくれる話法は、非常に啓蒙的(でも)あるのですが、そしてだから分からせてもらえる面もあるのですが。
そのあたり、ドゥルーズの「話法」と「上野話法」と、そしてもちろん「國分話法」や「千葉話法」あたりとも比較しつつ、考えていきたい点です。
結論はありません。でも、続く、ですね。
メディア日記に書くべきところだが、今日はこちらに。
上野修『デカルト、ホッブズ、スピノザ 哲学する十七世紀』講談社学術文庫
を本日読了。1999年に単行本として出版されたものの文庫化。去年の暮れの発行だったらしい。
上野修という人に初めて出会ったのは、数年前、スピノザの入門書を二冊買ったら、たまたま二冊とも上野修という人が書いたものだった。
NHK出版 シリーズ哲学のエッセンス『スピノザ』上野修
講談社現代新書 『スピノザの世界-神あるいは自然-』上野修について
過去のブログ(メディア日記)を見るとフーコーコレクションの文庫と同時期、萱野稔人『国家とは何か』のちょっと後に、スピノザの著作とスピノザについての本を10冊ぐらい連続して購入している。
それにしてもなぜ、スピノザだったのだろう。
もうよく覚えていない。自分自身の、「スピノザ以前」を思い出すことがかなり難しくなっている(笑)。
ただ、今回『デカルト、ホッブズ、スピノザ』を通読してみて、なんだかとても懐かしい感じを覚えたのである。
それは明らかに80年代の匂い、といっていい。
ドゥルーズとかラカンに言及しているから、だけではない。
思考のスタイルというか、文体が前提としている「了解事項」を「脱構築」していく、その「脱構築」すべき前提となる「了解事項」自体が懐かしかったのだ。
上野修はスピノザの哲学がきわめて「異様」だ、と繰り返す。
まあ、そうだったんだろう、と思う。
80年代にフーコーやデリダを読んだ時の、脳味噌を裏側から掻いているような不思議な「異和感」もまた、その「異様さ」を身に纏っていた。
何がいいたいか、というと、ドゥルーズを経由したスピノザ「発見」の文脈がそこにあったのだなあ、という感慨を抱く、ということかもしれない。
しかし、私にとってドゥルーズは、遠い存在だった。フーコーは夢中になって「読めなさ」を楽しんで読んでいたし、デリダは「読めない」のではなく「分からない」という感じも持ちつつ、惹かれていた。
でも、ドゥルーズは、ドゥルーズ自身の思想を語らないので、誰かが「利用」したドゥルーズしか知らなかったのだ。
そして、それはほぼ決定的に面白くなかった。
だから、ドゥルーズも「分かりやすい」人なんだろう、とてっきり思ってしまっていたのだ。
ところが、そのドゥルーズ像が、スピノザを読んでいて覆される。それが
ドゥルースの『スピノザ』平凡社文庫
との出会いだった。
上野修さんは入門書本文ではドゥルーズには言及していなかったと記憶しているけれど。
ところが、この『デカルト、ホッブズ、スピノザ』は、明らかスピノザ論が中心になっていて、しかもドゥルーズ的解釈によるスピノザが中核にある。
そういうことか、と今日、思ったのだ。
でも。
入門書2冊の学恩は忘れないけれど、私にとってこの『デカルト、ホッブズ、スピノザ』はちょっと懐かしすぎる。
つまりは、過去のものになっている。
無論、勉強するにはとてもいい本だ。
自分がグルグルしていた80年代の思想シーンの枠組みでスピノザを論じてくれていたことは、そして今それをこうやって読めることはありがたい。
だが、スピノザの哲学が「異端」であり「異様」である、という修辞は、はっきりと私にとっては今のところとりあえず「過去」のものになりつつある。
なにか自分が成長した手柄のように言っているのではない。
自分は時代の空気を吸って生きる以外に空気を吸うやり方をしらず、その時代の空気が、スピノザを「異端」「異様」のままにはしておいてくれなくなった、ということがいいたいだけだ。
吉本隆明が親鸞の「異様さ」的なところに瞳を凝らしていたときも、今ひとつ意味が分からなかった。
だが、今ならそれが分かるような気がするのだ。
蓮實重彦の『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』から30年。
だいぶ周回遅れでドゥルーズを読み始めた私は、その中でスピノザ読解を進めていくうちに、千葉雅也・國分功一郎という(比較的)若手のドゥルージアンと出会うことになるのだけれど、それはまた別のはなし。
スピノザが「異様」なのはもちろん分かる。
未だに『エチカ』は自力じゃ一行も読めないし……。
でも、書簡集のスピノザはめっちゃ丁寧に「分からなさ」を繰り返してくれるんだよねぇ。
説明になっていないような説明を、あたかも「明快」な説明ででもあるかのように、しかし、分からない人には分からないのだろう、というある種の明るい諦念みたいなものすら感じさせるような調子で。
その粘り強い「わかりにくさ」は、「異様」という言葉だけでは掬い取り切れていない、と思ったのだ。
80年代なら、この上野論文に圧倒されていたことだろう。その手際にも惚れたに違いない。
そういう時代でもあったのです。
(時代のせいとかにするつもりはない。けれど、あのときの「理解」はそういう種類の「理解」でしかありえなかったという意味での「時代」=「思考基盤」が存在したということ)。
上野論文を読んで「へぇーっ」と思う部分は実にたくさんあって、だからぜひにもお薦めなのですがね。
スピノザは意識の価値の切り下げをしている、ってドゥルーズが『スピノザ』で説明抜きでさらっと書くところを、たとえば上野論文ではほんとうに丁寧に、スピノザがその主著『エチカ』の幾何学的秩序において、語りの主体をどれだけ注意深く排除しているか、というアイディアで説明してくれる。
デカルトの説得には「私の語り」が不可欠だが、スピノザはそうではない。
むしろ、主体が生成される差異の欲望の現場を見据えて、その瞳の強靱さをつきつめていったのがスピノザなんだよ、的に説明されると、「おおっ」てなるわけです。
ホッブズとの比較でも、万人の万人に対する闘争という「自然状態」を離脱して秩序が成立するために第三項を排除して高みに置き、そこに権利を委ねるというホッブズの思想展開とはまったく異なり、スピノザは自己の主体が権利譲渡の契約をするなんて話ではなく、「残余の他者」の総和=群衆の力能を意識したとき、すでに主体は一挙に権利の委譲を行ってしまっているのだ、なんて説明されると、むしろ「力学」というか「政治」をそこにヴィヴィッドに感じたりするわけです。
説明がへたくそですいません。本文直接読んで貰った方がずっと分かりやすい。
スピノザの哲学が内包する「構造」の分析としては、素人にとってはもうこれで十分なのじゃないか、ってぐらい書かれています。
ただし、今、スピノザのテキストを読むことからは、ちょっと距離があるかもしれない、とも思うのです。
共に謎を共有して、それを鮮やかに説いてくれる話法は、非常に啓蒙的(でも)あるのですが、そしてだから分からせてもらえる面もあるのですが。
そのあたり、ドゥルーズの「話法」と「上野話法」と、そしてもちろん「國分話法」や「千葉話法」あたりとも比較しつつ、考えていきたい点です。
結論はありません。でも、続く、ですね。