龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCの応援、ソロキャンプ、それに読書、そしてコペンな日々をメモしています。

山が見えると落ち着く、という話を

2012年05月12日 15時56分53秒 | インポート
昔誰かがしていた。長田弘(高校時代を福島の盆地で過ごしていたはずだから、吾妻山を見ながらってことになります)のエッセイだったか、友人とのおしゃべりの中だったかそれも覚えていない。

たぶん高校生か大学生の頃の私は、その話にちっとも納得しなかった。
山は所詮山だろう。
その山に囲まれて狭苦しく閉塞感に満ちた盆地が懐かしくなるなんてことが起きるわけがない、そう思っていたからだ。

また、ご多分に漏れず、かつて山に住んでいる若い者がクルマを運転するようになると、「海に行こう」と人を誘うのが基本だった。
たぶん今はそんなことはしないのかな。
私は20代前半の頃、仕事が終わるとそこから深夜にかけて、女の子を誘ったり男の子同士だったりカップルだったりいろいろしたが、実によく「海に行こう」を繰り返していた。

御用達は双葉の海。請戸の海に何度いったことか。
今は警戒区域で行けないし、津波の直撃でほとんど何も残っていないそうですが。


だが、、今になって冷静に考えてみると、ただないものねだりをしていただけで、特別海が好きだったわけでもないような気もする。釣りとか嫌いだったし(笑)。
海によく行ったのは山に住んでいた頃だし、スキーを本格的に始めたのは、海沿いに住むようになってから。
ま、そんなものかもしれません。

でも、さいきん、ちょっと年を取ったせいか、だんだんあの吾妻小富士や安達太良も、そして磐梯山も、故郷福島の山々はなかなかどうしていいもんじゃないか、と思うようになってきた。

風景の中に垂直軸があると、心の構図が安定する。
景色は絵画とは違うけれど、そういうことがあるのかもしれない。

生徒が宮沢賢治の蠍の短歌をメモして持ってきた。合唱曲になっているのだとか。
ちとネットをうろうろしてみただけでも、宮沢賢治は蠍座のアンタレスを「赤い目玉」としていたく気に入っていたようだ。また、その赤を、他者への献身の炎に身を焦がす赤(よだかの星みたいですが)と捉えていたと書いている人もたくさんいた。
老後の楽しみにとってある校本(『宮沢賢治』)を今ひっくりかえしてみる余裕もないが、賢治のお気に入りの一つではあったようだ。

星座も子供の頃全く興味が持てないものの一つだった。
膨大な広がりを、勝手に人間が遠近を無視して平面上にプロットし、しかも恣意的に結びつけた名前など、バカバカしくて覚える気にもならない。
そう思っていた。

今となっては星座に限らず、モノの名前など到底覚えられない。
この前iPodにクラシックの二枚組CDを転送したのだが、手順を間違えて逆順のリストになってしまった。
楽章というかまとまりごとにその曲の名前を覚えたいのに、たかだか10曲程度の音楽とその表題が結びつかない。

名前など恣意的であってもいいのだ、と分かってきたのも最近だ。
「恣意的」かそうでないかを判断するその「思惟」の「恣意」を誰が判断するんだって話でもあるし、そういうグルグルからようやく解き放たれたということでもあるかもしれない。
まあ「恣意的」でないものは、神の意志以外には存在しないのだし。

いや、そもそも神に意志とか意思とかがあるとかないとかって考える必要も元からなかった。
そこにあることが即ち神なのだとすれば。

自然に対する「観照」の態度・姿勢が変わってきたのだ。「意識の価値」とやらの切り下げが、ようやくこの年になって起こってきたらしい。
「おそかりし由良の助、待ちかねた」
って感じだけれど、老後はぎりぎりセーフで豊かに過ごせるかもしれない。

相変わらずその豊かさはボケと取引されたものではないかと、切り下げられてもなお「意識」に固執する「自分」は不安を持ち続けてしまうのではあるが。

とにかく、山も海も空も☆も、自然がすべからく「まったき」姿を示してくれることに感謝しつつ。