龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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友人から「本が読めなくて」というメールを貰った。

2012年06月07日 22時18分23秒 | 大震災の中で
国語教師をしている友人から、「最近本が読めなくて」というメールを貰った。
商売柄、というか、そこに流れ着いた者の多くは、三度の飯か読書か、という輩が多い。

ただし、教師という仕事は雑用も多く、本好きなはずの国語教師も、意外に本を読まない(つまりは学ばない)人も少なくない。
無論、本を読んでさえいればいいってもんじゃないんですが。

その友人は、しょうがないから「美術史」を眺めているそうです。

本来自分の興味があるはずの分野の本が読めなくなり、それ以外のジャンルの本は「気軽」に読めてしまう時期ってのが間違いなくあると思う。

私は震災以後半年以上、そうでした。
とくにフィクションが読めなかった。圧倒的というか、人生最大規模の初体験が連続して、とてもじゃないけれど小説も詩も、手に取る余裕がありませんでした。

唯一読めたのが哲学。

スピノザを読み始めたのは5年前ぐらいからで、っていうかまだそのころはスピノザの言ってることがちんぷんかんぷんでした。
震災以後、急に傾倒しだした、とはいえるかもしれませんが。

私は

動=ドライブ/静=読書

というバランスで生活していて、さらに読書のバランスでいえば

動=小説/静=哲学

という感じです。
ついでにいえば動と静の間に、人間=「喋ること」=「酒飲み」が入っているような気がします(笑)。

基本、ドライブも読書も一人でやるものだけれど、そう単線的に考える必要も実はなくて、

親しい人とドライブの旅をしながら哲学や本、教育や社会、食べ物やファッションの話をするってのが無類に楽しい。

最近、社会生活に疲れて「山に穴を掘って独りで暮らしたい」と思うことは多いけれど、人と交わりをすっかり断ち切ってしまっては、小説も哲学も、旅行も酒飲みも、世界でたった一人でやってみてもどうにも楽しくはなさそうだとも感じる。

難しいものだ。

そういう意味では、

「ちょっと距離を取り直す」

っていうのは、本でも人でも趣味でも案外「いい感じ」なのかもしれないですね。

でも、仕事をしていると、エンドレスの泥沼が当たり前だったりして、簡単には仕切り直しができない。
そしてだからこそ一人でドライブしたり、哲学書を読むのがそれだけで無上の快楽だったりもする。

だけれど、泥沼がなければ逆に、しばしば隠遁した先から出てきて、人里の周辺を狸のごとくうろうろしてしまうのかもしれない、とも思うのです。

その「うろうろ」ってのも、そう悪くないかも、ですね。