龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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メディア日記に伊藤計劃・円城塔『屍者の帝国』感想をアップ。

2012年09月10日 21時04分04秒 | インポート
メディア日記龍の尾亭に、伊藤計劃(+円城塔)『屍者の帝国』の感想を書きました。

こちらも参照してください。
メディア日記龍の尾亭 『屍者の帝国』

http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980388

面白い。
パロディといえば全面パロディみたいな雰囲気を漂わせ、しかも登場人物達がそれを「演じきる」感覚は、語り方として抜群に上手い設定だと感じます。

盛り込まれたアイディアもSFファンならずとも楽しめる要素が満載。満載過ぎてこちらが消化しきれないのか、作品がもたついているのか、ちょっと判断に迷うところがありましたが(再読してゆっくり味わいながらその辺りはもう一度)。

私は本当にこういうお話が大好きです。
辻村深月の「語り」に惹かれた、と昨日書いたけれど、この伊藤計劃的(要素なんだか円城塔的要素なんだか分かりませんが)な「語り」もまた、非常に魅力的です。

語られ方と素材が、響き合ってるし、そこをきちんと読者に優れた身振りで示してくれる作品たち。
景気が悪いとか雇用が心配とか、年金がダメダメとか、いろいろ心配事は多くなってきているこの10年20年だけれど、口はばったい横町のご隠居さん的に放言させてもらえば、「文化的」には断然面白いものが湧いて出てきていると思う。

本を読む目の力と体力さえあれば、老後は安泰かもしれない。
そういう意味では、伊藤計劃の早すぎる死(まだ作家としてのキャリアは始まったばかりだったというのに!)は、惜しんでも惜しみきれない。

そして、この作品を未完として埋もれさせずに出版まで持ってきて下さった全ての人に感謝です。

大傑作という完成度は感じません。でも、このアイディア満載状態のお話は、私たちがこの後ずっと、ここから(ちょうど「菌株」のように?)想像を膨らませていく苗床として、抜群の「力」を持っています。

少なくても私はそう思います。



週刊読書人8/31の辻村深月インタビューが良かった。

2012年09月10日 01時25分01秒 | 評論
たまたま
辻村深月『凍りのくじら』(講談社文庫)
を読む前に、週刊読書人8/31号の8ページに辻村深月直木賞受賞インタビューが載っていた。
なかなか興味深い内容だった。

インタビュアー側の質問文が長くて、微妙に「誘導解説風」だったのはご愛敬か(笑)。

私が読んだのは
『冷たい校舎の時は止まる(上下)』
『名前探しの放課後(上下)』
いずれも講談社文庫の2作品のみ。
今回がようやく3作目だが、どの作品もほぼ一気読みさせられてしまった。
作品の主人公が必ずしも人物ではなく、むしろ作品の主人公は「語り」だからだろう、と思った。

大学一年生の頃、井原西鶴が大好きだった。たいして意味も分からず、あの文章が気持ちよかった。
卒論は石川淳、それもあの文体に惹かれたからだ。

この辻村深月も、「語り」の作家だとつくづく思う。

「語る」ことは一見何かを伝えようとしているかのように見えるけれど、必ずしも伝わっているのはその「何か」だけではないし、その「何か」を伝えるためだけならば、小説なぞ書かなくてもよいし、読まなくても一向差し支えはない。

だが、その「語り」はついつい耳をそばだてて何度でも聞き入ってしまうだろう。

久しぶりに、そういう作家と出会った。