これは言っておきたい。
私の住むいわき市では、SoftBankが結構LTEカバーエリア拡大を努力しているようだ。
10月中、という地図を信じてSoftBank版iPhone5を購入したら、同僚のau版は職場がLTE圏内になったのに、SoftBankはなかなかカバーにならず、ちょっとがっかりしてました。
でも、一ヶ月と遅れずに自宅がLTE圏内に。
やるな、SoftBank。
あとは職場が3G→LTEになるのを待つばかり。
もう3Gには戻れません……。
今、ハイデッガーの技術論を読んでるんだけど、このインフラが進歩すると、それが「当たり前」になっていくっていうこの際限なき昂進を、どう考えたらいいのか、が難しい。
ちょっと前までは、漠然と、プロテスタンティズム→資本主義→科学主義→進歩主義というマックス・ウェーバー的図式で考えていたのだけれど、大震災でインフラ壊滅、というのを経験し、すくなくても人間中心主義的社会資本=無意識の前提感覚は、崩壊した。
(人間中心主義っていうのは、むしろ疎外をもたらす原因の一つでもあったりするからややこしい)
まずもって、進歩はむしろ人間の軛ってことなんだけど、で、軛ごと流されて初めてそこから距離を取ることができた「便利さからの追放」=「解放」されたってことなんですがね。
ただ、神様の存在がそこで関わってくるから、さらに面倒くさい。
人間を人間として成立せしめている、そこに人間を立たせ、動かす「力」。
プロテスタンティズムにおいては内面の信仰だったのかもしれないけれど、ハイデッガーではなんだかよく分からない、そのものを前に立たせて、人間を計算可能な世界像の中で主体に仕立て上げていく力みたいなもの、を想定しているようだ。
ハイデッガーは、直接神様とかに依拠しないから、話がよく見えなくなっちゃう。
でも、そのモヤモヤした辺りが技術論のキモだっていうのはむしろ面白い。
まあ、とにかくそれでもなお、3G→LTEっていう「便利さ」の進歩は乗っかってしまうのですよね。
なんだか、ざっくりした進歩礼賛や進歩懐疑っていう感じでは解析できないと思う。
ただ、ハイデッガーの技術論を読んでいると、もうそういう数値化された「進歩主義」みたいなものは人間の主体以前の、存在の「業」みたいなものであるかのような気がしてきてしまうんだよね。
宿命論みたいな感じすらしてくる。
その辺りをきちんと切り分けていかねば、原発事故論は自分の中で立てられないし、その事故による被害を踏まえたエチカ(住み処の倫理)が成立しない、と思う。少なくても、自分はそこを考えて行かねばならない。
まあ、でも、LTE速いって喜んでるんだけどさっ(苦笑)。
でも、技術は透明性を確保した社会の前提になったときが「完成」みたいなところってあるよね。
違いななくなって、初めて定着みたいな。
そこを外して、ちょっと前までのアーミッシュの方々みたいに開拓時代のごとく馬車で、とか、無理だよね。柱も家も自分たちで建てるとか。
あ、今日はLTE開通祝賀であって、便利=罪悪みたいな辛気くさい話ではなかった(^^;) 。
私の住むいわき市では、SoftBankが結構LTEカバーエリア拡大を努力しているようだ。
10月中、という地図を信じてSoftBank版iPhone5を購入したら、同僚のau版は職場がLTE圏内になったのに、SoftBankはなかなかカバーにならず、ちょっとがっかりしてました。
でも、一ヶ月と遅れずに自宅がLTE圏内に。
やるな、SoftBank。
あとは職場が3G→LTEになるのを待つばかり。
もう3Gには戻れません……。
今、ハイデッガーの技術論を読んでるんだけど、このインフラが進歩すると、それが「当たり前」になっていくっていうこの際限なき昂進を、どう考えたらいいのか、が難しい。
ちょっと前までは、漠然と、プロテスタンティズム→資本主義→科学主義→進歩主義というマックス・ウェーバー的図式で考えていたのだけれど、大震災でインフラ壊滅、というのを経験し、すくなくても人間中心主義的社会資本=無意識の前提感覚は、崩壊した。
(人間中心主義っていうのは、むしろ疎外をもたらす原因の一つでもあったりするからややこしい)
まずもって、進歩はむしろ人間の軛ってことなんだけど、で、軛ごと流されて初めてそこから距離を取ることができた「便利さからの追放」=「解放」されたってことなんですがね。
ただ、神様の存在がそこで関わってくるから、さらに面倒くさい。
人間を人間として成立せしめている、そこに人間を立たせ、動かす「力」。
プロテスタンティズムにおいては内面の信仰だったのかもしれないけれど、ハイデッガーではなんだかよく分からない、そのものを前に立たせて、人間を計算可能な世界像の中で主体に仕立て上げていく力みたいなもの、を想定しているようだ。
ハイデッガーは、直接神様とかに依拠しないから、話がよく見えなくなっちゃう。
でも、そのモヤモヤした辺りが技術論のキモだっていうのはむしろ面白い。
まあ、とにかくそれでもなお、3G→LTEっていう「便利さ」の進歩は乗っかってしまうのですよね。
なんだか、ざっくりした進歩礼賛や進歩懐疑っていう感じでは解析できないと思う。
ただ、ハイデッガーの技術論を読んでいると、もうそういう数値化された「進歩主義」みたいなものは人間の主体以前の、存在の「業」みたいなものであるかのような気がしてきてしまうんだよね。
宿命論みたいな感じすらしてくる。
その辺りをきちんと切り分けていかねば、原発事故論は自分の中で立てられないし、その事故による被害を踏まえたエチカ(住み処の倫理)が成立しない、と思う。少なくても、自分はそこを考えて行かねばならない。
まあ、でも、LTE速いって喜んでるんだけどさっ(苦笑)。
でも、技術は透明性を確保した社会の前提になったときが「完成」みたいなところってあるよね。
違いななくなって、初めて定着みたいな。
そこを外して、ちょっと前までのアーミッシュの方々みたいに開拓時代のごとく馬車で、とか、無理だよね。柱も家も自分たちで建てるとか。
あ、今日はLTE開通祝賀であって、便利=罪悪みたいな辛気くさい話ではなかった(^^;) 。