3月1日の卒業式以後、高校入試の仕事があって、暇なのか忙しいのか分からない感じが続いている。
毎年同じようなことをしているうちに、教職就いて32年が経ってしまった。
年をとると出来ることと出来ないことがはっきりしてくる。
無論、経験値は積んでいるから、一通りの業務はなんとかこなすことはできるようにもなった。
でも、最近文脈が代わってきてしまって、もう自分の過去の文脈は通用しなくなってしまったようにも感じる。
おじさんの常なのかもしれないが、「負ける気がしない」のに反則負けを宣言されてしまう、という状況が急速に進んでいて、それはおじさんが社会の変化に追随出来なくなった、というだけのことなら、山で穴を掘って隠遁生活をすればいい、だけのはなしなのだが、おじさんの主観としてはどうもそうばかりではないようなのだ。
個人的に教師スタイルとしては、「成熟」と無縁な「場当たり的反応」で「動物的」に生きてきた。
その時その時の生徒の反応を見ながら自分の守備範囲に入ってきた生徒とじっくり付き合っていく。
そういう意味では常に「今」を生きてきたつもりだし、この商売、これからも基本的にはそういうことだろう、と思っている。
無論、どんな「現場」なのかは教師によってまったく違う。それぞれの教師が違った現場観にもとづいて、それぞれの守備範囲の「現場」を守る。
そういうチームが機能したときは、仕事がとてもうまくいく、そう思って仕事をしてきた。
それは同じ「現場観」を「共有しないという方法」だったのだ、と今はようやくわかりはじめている。
オレの大事なことは隣の教師の大事なことでは必ずしも、ない。そんな中でどう教育という仕事をするか、がこの仕事の醍醐味でもあった(はず)。
いずれにせよ僕らは「現場作業員」なのだから、常に現場の「難局」をなんとか現有資産で乗り切っていくしかない。
だから現場はマニュアルだけでは動かない。
ところがどうも、そういう姿勢自体が通用しない話になってきているようなのです。
つまり、「教育とは子供たちをどうにかすることではない」という大前提が、気がついたら前提でも何でもなくなってしまっている、という感じ、とでもいえばいいだろうか。
教育が、何かの成果を出すところに変わってしまった、のだ。
そんなことは前提でもなんでもない。
何を寝ぼけたことを(やれやれ)
と言われてしまうだろうか。
給料泥棒のボケじじいは退場だ、というならおおいに結構。
山で穴を掘って暮らしましょう。
でもね。
教育は何かを作ることではないよ。
私が32年間かけて大した優秀ではない教師の実感としてつかんだのは、むしろ子供は成長させすぎてはいけない、ということだ。
成長なんてものは、ほうっておいてもする。
大事なのは、触れずに大切に守ること、だ。
むしろ適応させすぎないこと、なのだ。
それが通じなくなっている。
いや、もともと通じたことなどなかったのかも知れない。
ことによると(というかかなりの確率で)私のような考え方のモノどもは、「無能な教師だけれど数のうちだから仕方がない」という扱いの元、ようやくかろうじて相対的には能力の低い教師として担任の仕事を与えられ続けてきただけのことなのかもしれない。
無能なくせに、文句ばかりいうジジイやババア。
そう、みんなの周りに急増してはいないだろうか。
コミュニケーション能力に劣る50代教師は、適応能力もなくして滅びていく……
繰り返すが、本当にそうであるならばそれがいいのだ。
私は一向に困りはしない。黙っていた方が若い年代にも好都合なのだろう。
まさか、気を使われて話を聞かれている振りをされるのはいくらジジババでもそれなりに尊厳はあるから、願い下げだ。
ただ、私は積極的に隙間を作ることで仕事をしてきた。
だから、あたかも隙間なく弾を撃つような枠組みで仕事を与えられても、仕事のやりようがなくなってしまったのである。
さてでは、いつ頃から私は「使えない教師」になくなってしまったのだろう?
と考えると、まあ
最初から?
という答えが出てくる(笑)
でも、生徒に何かを「教える」つもりはなく、「成長」させるつもりもなく、ただ生徒と「付き合う覚悟」だけを磨いてきた教師が現場にいられなくなりそうな理由は、単なる年齢があがったから、というだけでは済まされない問題があるかも知れないとも思うのですよ。
リトマス試験紙的に、ね。
教育はこれからしばらく、何かをしようとしはじめるのだろう。いや、ずっと何かをしようとし続けてきたのだろう。
タメにならないことをしゃべってお給料が貰えるという「芸風」は、もはや居場所を失った。
教育は何かをしなければならない場所になった。でも、そういう場所は、今は与えられたことをしたくない、という生徒にとっては苦痛な場所だったりもする。
最大の問題は、何かやらせようとする命令者がバカな場合だ。
何かをやらせる、という命令系統が徹底していたり、生徒と直結していたりすると、生徒に直接迷惑がかかる。
迷惑だけですめばいいが、下手をすると教育が人をコントロールする、という仕事になりかねない。
繰り返すが、教育は何かを教える場所でもなければ、何かを作り出す場所でもない。知識なんて、いくらでも断片なら手に入る。
近代以降社会秩序の内面化を図る仕事であるのは自明、としても、「何が役に立つの?」とかバカなことばかりをいうような定型的な「労働者」を作り出すだけではたちゆかなくなっているじゃないか。
教育という場所に立つモノたちは、もっと「畏れ」を抱くべきだとおもっている。
命令されたことをするひとにその「畏れ」がない場合、それと同じ種類の「アイヒマン」を再生産する。
もう、なにかを「教え」ずにお座敷を勤める芸風は、現場には不要なのだろうか。
私が生徒にいわれたことばで一番ありがたかったのは、
「この先生は教えようとはしていない」
ということばだった。
ただ、若い頃は、無能なりに中途半端な「説明」をしようとしてしまっていたかもしれない。
今はむしろ無能であることを隠さずに、しかも「考える」という出来事が個々に立ち上がる、ということはありえないのか?
そういうことばかりをかんがえながら、あと5年を過ごそうか、と妄想している。
いくつになっても、仕事をするって難しいね。
毎年同じようなことをしているうちに、教職就いて32年が経ってしまった。
年をとると出来ることと出来ないことがはっきりしてくる。
無論、経験値は積んでいるから、一通りの業務はなんとかこなすことはできるようにもなった。
でも、最近文脈が代わってきてしまって、もう自分の過去の文脈は通用しなくなってしまったようにも感じる。
おじさんの常なのかもしれないが、「負ける気がしない」のに反則負けを宣言されてしまう、という状況が急速に進んでいて、それはおじさんが社会の変化に追随出来なくなった、というだけのことなら、山で穴を掘って隠遁生活をすればいい、だけのはなしなのだが、おじさんの主観としてはどうもそうばかりではないようなのだ。
個人的に教師スタイルとしては、「成熟」と無縁な「場当たり的反応」で「動物的」に生きてきた。
その時その時の生徒の反応を見ながら自分の守備範囲に入ってきた生徒とじっくり付き合っていく。
そういう意味では常に「今」を生きてきたつもりだし、この商売、これからも基本的にはそういうことだろう、と思っている。
無論、どんな「現場」なのかは教師によってまったく違う。それぞれの教師が違った現場観にもとづいて、それぞれの守備範囲の「現場」を守る。
そういうチームが機能したときは、仕事がとてもうまくいく、そう思って仕事をしてきた。
それは同じ「現場観」を「共有しないという方法」だったのだ、と今はようやくわかりはじめている。
オレの大事なことは隣の教師の大事なことでは必ずしも、ない。そんな中でどう教育という仕事をするか、がこの仕事の醍醐味でもあった(はず)。
いずれにせよ僕らは「現場作業員」なのだから、常に現場の「難局」をなんとか現有資産で乗り切っていくしかない。
だから現場はマニュアルだけでは動かない。
ところがどうも、そういう姿勢自体が通用しない話になってきているようなのです。
つまり、「教育とは子供たちをどうにかすることではない」という大前提が、気がついたら前提でも何でもなくなってしまっている、という感じ、とでもいえばいいだろうか。
教育が、何かの成果を出すところに変わってしまった、のだ。
そんなことは前提でもなんでもない。
何を寝ぼけたことを(やれやれ)
と言われてしまうだろうか。
給料泥棒のボケじじいは退場だ、というならおおいに結構。
山で穴を掘って暮らしましょう。
でもね。
教育は何かを作ることではないよ。
私が32年間かけて大した優秀ではない教師の実感としてつかんだのは、むしろ子供は成長させすぎてはいけない、ということだ。
成長なんてものは、ほうっておいてもする。
大事なのは、触れずに大切に守ること、だ。
むしろ適応させすぎないこと、なのだ。
それが通じなくなっている。
いや、もともと通じたことなどなかったのかも知れない。
ことによると(というかかなりの確率で)私のような考え方のモノどもは、「無能な教師だけれど数のうちだから仕方がない」という扱いの元、ようやくかろうじて相対的には能力の低い教師として担任の仕事を与えられ続けてきただけのことなのかもしれない。
無能なくせに、文句ばかりいうジジイやババア。
そう、みんなの周りに急増してはいないだろうか。
コミュニケーション能力に劣る50代教師は、適応能力もなくして滅びていく……
繰り返すが、本当にそうであるならばそれがいいのだ。
私は一向に困りはしない。黙っていた方が若い年代にも好都合なのだろう。
まさか、気を使われて話を聞かれている振りをされるのはいくらジジババでもそれなりに尊厳はあるから、願い下げだ。
ただ、私は積極的に隙間を作ることで仕事をしてきた。
だから、あたかも隙間なく弾を撃つような枠組みで仕事を与えられても、仕事のやりようがなくなってしまったのである。
さてでは、いつ頃から私は「使えない教師」になくなってしまったのだろう?
と考えると、まあ
最初から?
という答えが出てくる(笑)
でも、生徒に何かを「教える」つもりはなく、「成長」させるつもりもなく、ただ生徒と「付き合う覚悟」だけを磨いてきた教師が現場にいられなくなりそうな理由は、単なる年齢があがったから、というだけでは済まされない問題があるかも知れないとも思うのですよ。
リトマス試験紙的に、ね。
教育はこれからしばらく、何かをしようとしはじめるのだろう。いや、ずっと何かをしようとし続けてきたのだろう。
タメにならないことをしゃべってお給料が貰えるという「芸風」は、もはや居場所を失った。
教育は何かをしなければならない場所になった。でも、そういう場所は、今は与えられたことをしたくない、という生徒にとっては苦痛な場所だったりもする。
最大の問題は、何かやらせようとする命令者がバカな場合だ。
何かをやらせる、という命令系統が徹底していたり、生徒と直結していたりすると、生徒に直接迷惑がかかる。
迷惑だけですめばいいが、下手をすると教育が人をコントロールする、という仕事になりかねない。
繰り返すが、教育は何かを教える場所でもなければ、何かを作り出す場所でもない。知識なんて、いくらでも断片なら手に入る。
近代以降社会秩序の内面化を図る仕事であるのは自明、としても、「何が役に立つの?」とかバカなことばかりをいうような定型的な「労働者」を作り出すだけではたちゆかなくなっているじゃないか。
教育という場所に立つモノたちは、もっと「畏れ」を抱くべきだとおもっている。
命令されたことをするひとにその「畏れ」がない場合、それと同じ種類の「アイヒマン」を再生産する。
もう、なにかを「教え」ずにお座敷を勤める芸風は、現場には不要なのだろうか。
私が生徒にいわれたことばで一番ありがたかったのは、
「この先生は教えようとはしていない」
ということばだった。
ただ、若い頃は、無能なりに中途半端な「説明」をしようとしてしまっていたかもしれない。
今はむしろ無能であることを隠さずに、しかも「考える」という出来事が個々に立ち上がる、ということはありえないのか?
そういうことばかりをかんがえながら、あと5年を過ごそうか、と妄想している。
いくつになっても、仕事をするって難しいね。