龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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『1941年 パリの尋ね人』 パトリック・モディアノ(作品社)、読むべし!

2015年04月16日 18時08分57秒 | 大震災の中で
同僚の友人から
『1941年 パリの尋ね人』パトリック・モディアノ(作品社)

を薦められて、昨晩から読んでいる。感想をどう書けばいいのだろう、余計なことは書いていない極めてシンプルな作品だ。

訳者の言葉を借りれば

「浜辺にうっすらと残されたかすかな足跡でしかなく、打ち寄せる波にたちまちかきけされてしまうたぐいのものでしかあるまい。しかしそのかすかな足跡を、かすかであればあるほど消されないよう懸命に残し、忘却から守るように努めた」

そういう作品である。

1941年12月31日付けの昔の新聞に載った尋ね人の広告を、モディアノという作家が1988年に偶然見つけ、その尋ね人である15才の少女に関心を持つところから、書き始められる。

フランスがドイツ占領下にあって、ユダヤ人を強制収容所に送り始めようとするころの時代に生きていたそのドラ・ブリュデールという女の子についてモディアノは調べ始め、10年の歳月をかけて調査をし、作品を完成させていく。

作家が戦後に生まれて育ったパリの同じ街に、そのドラという移民のユダヤ人を両親に持つ少女は生きていた。つまり、同じ街のことを描きながら、1941年から1942,年のパリと、作家が生きている1990年代のパリが、作品の中で交錯しながら、次第に多重な像として私たちの目の前に立ち上がってくるのだ。

その筆致は本当に波に消える砂の足跡のようであり、しかし、今もそこにあるパリの通りで、ユダヤ人が逮捕され、その通りの建物の中で取り調べられ、今もあるそのパリの駅から、列車に乗せられていく……。

様々な記録をたどり、調査をし、街を歩いて取材して書かれた、素っ気ない小品なのだが、描かれていることがら自体以上に、作家の肝が据わった静かな孤独が伝わってきて、まだ形容する言葉を持てずにいる。

多くの人に読んでほしいとも思うものの、この感じはたやすく共感されるような種類の事柄でもない、のが分かる。

その街に戦中も戦後も生きてきたそれすべてに瞳をこらしつつ、そこで空気を吸って生きているそのすごさは形容しがたいものがある、ということだろうか。

戦後何十年か経って、フランスでもドイツ軍占領下の政権におけるユダヤ人虐殺問題(収容所移送を含む)が裁かれるようになったこととか、歴史的な経緯はあるのかもしれないが、そういう時代の事情とは別個の、感情移入ということとは違う種類の、心が「震えるような」感覚を覚えた。

よろしかったらぜひ一読を勧めたい一冊。

ただ、魂の「どこで」これを受け止めればいいのかまだ分からずにいる。

ただ一ついえることがあるとすれば、こういう作品を勧めてくれる同僚がいる、ということは間違いなく「僥倖」ではある。