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道元禅師の和歌その3-峯の色

2006-04-13 23:50:25 | Weblog
4月13日(木)曇り【道元禅師の和歌その3-峯の色】

峯の色渓の響きもみなながら 我が釈迦牟尼の声と姿と
 
訳:周りの山々も、谷川を流れる水の音も、私がお慕いする釈迦牟尼仏の教えを語りづめに語っていることであるよ。
 
この和歌については、宋代の詩人蘇軾の詩が思い出される。
  谿声便是広長舌 (渓声便ち是れ広長舌
  山色無非清浄身 (山色清浄身に非ざること無し
  夜来八万四千偈 (夜来八万四千の偈
  他日如何挙似人  (他日如何人に挙似せん
  
訳:渓の音は釈尊の説法であり、山の姿は清浄心そのものである。昨夜来、渓の音も、山の姿も、八万四千のお経と言われる釈尊の教えを説き続けている。この悟りを後日人にどのように語ったらよいのだろうか。

蘇軾は詩文に秀でていたのみならず、東坡居士と云われるように、東林寺の照覚常総禅師(1025~1091)に参じ、禅を深く学んだ人である。この詩偈は常総禅師に「之れを然りとす(よろしい)」として認められた悟道の偈である。
  
蘇東坡は、この悟道の偈を詠む前日に、常総禅師に無情説法の話を尋ねたのだが、得心がいかなかった。しかし、渓の音、そして(おそらく月に照らされた)山の姿に無情説法の教えが腹に沁みてわかったのである。

無情説法は無情である天地自然が仏法を説くことであり、六祖慧能(638~713)の弟子の南陽慧忠(?~775)が無情説法の真義を説き明かした話である。天地自然は絶え間なく仏の教えを説き続けているのだが、世俗的な耳では聞き取ることができないのである。

その真意を体得した蘇東坡は、喜びに震えてこの偈を詠んだことだろう。道元禅師は『正法眼蔵』「渓声山色」巻にもこの偈を引用されているが、この和歌は当然蘇東坡のこの偈をもとにして詠まれているといえよう。

蘇東坡の偈と道元禅師の和歌の違いは、禅師の和歌には蘇東坡の結句が無いことである。自分が得た無情説法の悟りはどのように人に話したらよいのだろう、とても人には説明しきれないことだ、と蘇東坡の偈は結んでいる。結句で蘇東坡は、自分に引き寄せて結んでいるが、道元禅師の和歌にはそれがない。三十一文字で詠みきれなかったか、と言えば、そればかりではない。道元禅師は「渓声山色」巻でも充分に無情説法について、香厳の撃竹霊雲の桃李などを引用しながら、蘇東坡はどのように人に挙似したらよいのであろうか、と悩んだことを、道元禅師は挙似してくださっている。悟りを説き示して下さっているのである。至極の親切である。

そして「渓声山色」巻の最後に「正修行のとき」の一句があることを見逃してはならないだろう。そのあとに「渓声渓色、山色山声、ともに八万四千偈ををしまざるなり」と続いているのである。この和歌も『正法眼蔵』に照らしてようやく道元禅師の真意に到達できるのであって、和歌を見ているだけでは不十分な解釈となってしまう。注意を要することだ。

蛇足であるが、蘇東坡は中国廬山の山、道元禅師にとって、この和歌のお山はというと、京都の山々かもしれない。「渓声山色」巻が説かれたのは延応二年(1240)宇治の興聖寺に於いてなので、この頃にこの和歌が詠まれたとすると、永平寺のお山ではないだろう。
 
しかし山と限らず、渓と限らず、目の前の小さな花一つでも、説法し続けていると受け取ることができよう。この和歌の美しい言葉の響きに託して、いずこにも仏の教えが満ち溢れている、真理の只中の私たちだということに気づきなさい、気づきなさい、と、道元禅師は私たちの心に、ノックしていらっしゃる、そんなように私はこの歌を自らに受け取るのである。祇園精舍の鐘の音のみならず、移りゆく山々の景色、絶え間なく流れる谷川の水音に、諸行無常の響きあり。

*香厳撃竹:香厳智閑(?~898)が大悟の機縁。師の(さんずい+爲)い山霊祐から「未生已前の一句」を問われたが、解決できず、全ての書物を焼き捨て、武當山にこもって一人修行していた。ある時、小石が竹に当たる音を聞いてその響きに大悟した、という話。
*霊雲桃李:霊雲志勤(生没年不詳)が(さんずい+爲)い山霊祐のもとで大悟した機縁。30年来修行してきて、ついに桃李と自己と別物ではないこと、盡十方界自己の全身であることを悟った話。