10月4日(水)曇り【いじめ】
北海道滝川小学校というところで、小学六年生の女の子が自殺したという。昨年の9月9日、教室で首を吊っていたのだという。なんということであろうか。僅か12歳の少女が首を吊るなどという悲しいことを、なんでしなくてはならなかったのであろうか。同級生達から仲間はずれにされていたのだという。そして修学旅行から帰った8日後に、少女は死を決行したのである。死を決意したのは修学旅行でも、あまりに我慢できない何かでもあったのだろうか。その前から仲間はずれの状態は続いていたのだという。少女は今年の1月6日に病院で亡くなってしまったそうである。
最近故郷の同窓会に帰ったばかりなので、私たちの小学校時代を鮮明に思い出しているが、私たちの時代には虐めなどはなかった。弱い子はみんなで庇ったし、今でもそんな感じである。私を含め皆貧しい時代であったから、着ている物も充分ではなかったが、誰もそんなことを虐めの対象とも思わなかった。裕福な家の子でもそれを誇らなかった。勉強ができても威張らなかったし、できなくてもなんでもなかった。みんな一緒に遊んだ。でも喧嘩もした。
私は一度ガキ大将を相手に喧嘩をし、相手を泣かせて女の先生にすごく叱られて立たされた記憶はある。相手が弱ければ決して喧嘩をしなかったであろう。いつも弱い子を皆で守っていた。誰かが立たされれば、陰でハラハラと心配しながら、許されるまでお互いに待っていた。因みにそのガキ大将さんとは今も仲がよい。
古きよき時代のように、なんとか戻ることはできないのであろうか。なぜこんなに子供たちが虐めに苦しむようになってしまったのだろう。大人にも子供にも問題があるだろう。人を蹴落としてでも上になろうという競争社会、お金さえあればなんでもよいという金権社会、ごはんやお味噌汁の味を忘れた食の乱れ、子供たちが家を手伝わなくなったこと、女性が家庭を大事にしなくなったこと、男性が家の手伝いもしないで遊び歩くこと、等々。
善悪の基準を社会が忘れてしまったこと、すじの通った生き方を社会が忘れたこと、等々。
この今の日本の虐めなどについて、皆さんにもいろいろな考えがあると思う。なにか少しでも子供たちを救えることがあったら、実行しよう。
今日たまたま「袖すりあうも多生の縁」について話していた。そして帰りの電車の中で『一遍上人語録』を開けたら、すぐに次の言葉があった。
「山門延暦寺のこと横川よかわの真縁上人へつかはさるる御返事
此世の対面は多生の芳契ほうけい、相互あいたがいに一仏に帰する事、これよろこびなり。云々」
此世の対面は多生の芳契:此の世でこうして対面するのは、生まれ変わり死に変わりして、多くの生をうけてきた、過去世からの芳しい契り、である。
今の子供たちにもこんな言葉を学んで貰いたいし、今の大人にもこんな言葉を思い出して貰いたい。虐めで友だちを自殺に追い込むことはよくないことだと認識しよう。こういうことを言うと、その友だち達の人権のみについて反論が返ってくるかもしれない。もしそうだとしたらそのような社会が間違っている、と私は言いたい。
亡くなった少女の冥福を、仏菩薩に祈りお頼みします。
北海道滝川小学校というところで、小学六年生の女の子が自殺したという。昨年の9月9日、教室で首を吊っていたのだという。なんということであろうか。僅か12歳の少女が首を吊るなどという悲しいことを、なんでしなくてはならなかったのであろうか。同級生達から仲間はずれにされていたのだという。そして修学旅行から帰った8日後に、少女は死を決行したのである。死を決意したのは修学旅行でも、あまりに我慢できない何かでもあったのだろうか。その前から仲間はずれの状態は続いていたのだという。少女は今年の1月6日に病院で亡くなってしまったそうである。
最近故郷の同窓会に帰ったばかりなので、私たちの小学校時代を鮮明に思い出しているが、私たちの時代には虐めなどはなかった。弱い子はみんなで庇ったし、今でもそんな感じである。私を含め皆貧しい時代であったから、着ている物も充分ではなかったが、誰もそんなことを虐めの対象とも思わなかった。裕福な家の子でもそれを誇らなかった。勉強ができても威張らなかったし、できなくてもなんでもなかった。みんな一緒に遊んだ。でも喧嘩もした。
私は一度ガキ大将を相手に喧嘩をし、相手を泣かせて女の先生にすごく叱られて立たされた記憶はある。相手が弱ければ決して喧嘩をしなかったであろう。いつも弱い子を皆で守っていた。誰かが立たされれば、陰でハラハラと心配しながら、許されるまでお互いに待っていた。因みにそのガキ大将さんとは今も仲がよい。
古きよき時代のように、なんとか戻ることはできないのであろうか。なぜこんなに子供たちが虐めに苦しむようになってしまったのだろう。大人にも子供にも問題があるだろう。人を蹴落としてでも上になろうという競争社会、お金さえあればなんでもよいという金権社会、ごはんやお味噌汁の味を忘れた食の乱れ、子供たちが家を手伝わなくなったこと、女性が家庭を大事にしなくなったこと、男性が家の手伝いもしないで遊び歩くこと、等々。
善悪の基準を社会が忘れてしまったこと、すじの通った生き方を社会が忘れたこと、等々。
この今の日本の虐めなどについて、皆さんにもいろいろな考えがあると思う。なにか少しでも子供たちを救えることがあったら、実行しよう。
今日たまたま「袖すりあうも多生の縁」について話していた。そして帰りの電車の中で『一遍上人語録』を開けたら、すぐに次の言葉があった。
「山門延暦寺のこと横川よかわの真縁上人へつかはさるる御返事
此世の対面は多生の芳契ほうけい、相互あいたがいに一仏に帰する事、これよろこびなり。云々」
此世の対面は多生の芳契:此の世でこうして対面するのは、生まれ変わり死に変わりして、多くの生をうけてきた、過去世からの芳しい契り、である。
今の子供たちにもこんな言葉を学んで貰いたいし、今の大人にもこんな言葉を思い出して貰いたい。虐めで友だちを自殺に追い込むことはよくないことだと認識しよう。こういうことを言うと、その友だち達の人権のみについて反論が返ってくるかもしれない。もしそうだとしたらそのような社会が間違っている、と私は言いたい。
亡くなった少女の冥福を、仏菩薩に祈りお頼みします。