風月庵だより

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はざまの無事

2008-04-21 21:15:10 | Weblog
4月21日(月)晴れ【はざまの無事】

今日は、昭和女子大学オープンカレッジの、写経教室の講師として勤めさせてもらってきました。30分ほどは法話の時間を頂いているので、なにかしら仏教に関するお話をさせてもらっています。ときに経典についてであったり、禅語についてであったり、『般若心経』の解説であったり、と自身の勉強をさせてもらっているのですが、今日もつくづくこのような機会を有り難いと思いました。

話を聞いてくれる人がいて、その相手の方々によって、話は引き出されるものだと痛感します。話している中で、自分から出てくる言葉ではあっても、その言葉に教えられることがよくあります。自分の言葉によって、自分が教えられるという現象です。

その内容はその時生きている言葉なので、それはここには留めませんが、その時、こうも思いました。こうして平穏な中で時を過ごせる機会は、なんでもないようでいて有り難い(稀有という意味の)ことなのだと思ったのです。

世の中にはまことに呆れるほどいろいろな事件が起きています。人間として信じがたいような事件も本当に多く、テレビで流されるニュースに耳目を疑うこともしばしばです。ホームから突き落とされたり、突然に部屋からさらわれしまったり、歩いていて突然に刺し殺されてしまったり、いつ思いがけない危険に遭遇するかわかりません。実は誰しもあやうい狭間はざまで、一見無事なひとときを送らせてもらっているのだ、とふと思うのです。

原爆が落とされたとき、光線の間にたまたま居たので、全くダメージを受けなかったという人が、知り合いに二人います。なんという危うい狭間の無事でしょうか。

明日はいよいよ、光市で起きてしまった事件の判決が下される日ですね。どのような判決がくだされるのでしょうか。

平穏であるべき家族に起きた突然の悲劇。それは他人事ではなく、いつ自分の身に起きても不思議ではありません。もし今平穏に無事に暮らしているようであっても、それはたまたま危ういはざまのものでしかないのではないでしょうか。お互いに他人事ではなく、この事件についても見守りたいものです。