4月28日(月)晴れ【『明日への遺言』を観て】
小泉堯史監督の『明日への遺言』を王子シネマで観てきた。
私は、決して戦争を認めているわけでも、アメリカ兵を処刑したことを認めているわけではない。しかし、軍国主義という十把一絡げの扱いで、人間としての尊厳を持って生きた岡田さんのような気骨有る立派な人物を、簡単に葬り去り、忘れてはならないと痛感したのである。現在の日本の政治家や、恥を忘れた同朋を見るとき、この映画の岡田さんのような方の存在を、あらためて見直す必要があるのではないかと強く思ったのである。(政治家だけではなく、他人のことを言うよりも、自分自身も反省することは多い)
この映画は、1937年、スペイン・ゲルニカでのドイツ軍による無差別爆撃を描いたピカソの「ゲルニカ」の映像ではじまった。
元東海軍司令官・岡田資たすく中将(藤田まこと)は、B級戦犯として、軍事法廷にかけられた。それは名古屋を空襲し、一般民衆を無差別に爆撃した米軍機搭乗員38名を処刑した罪を問われたものであった。38名は、無差別爆撃をした航空機が墜落する際に、落下傘で降下した搭乗員たちである。無差別爆撃は1923年のオランダ・ハーグの「戦時法規改正委員会」で「爆撃は軍事的目標に対して行われた場合に限り適法である」というルールに反したことである。終戦間近い、1945年2月19日、東京大空襲を皮切りに、名古屋には38回に及ぶ爆撃が繰り返されたという。司令系統も混乱していたこの時期、岡田中将は東海地方で捕縛したこれら爆撃機の搭乗員を、戦犯として、処罰する命令を下したのである。
敗戦を迎え、GHQの指揮の下、元日本陸軍省法務局長や元法務官の自己保身だけに汲々とした者たちによって作り上げられた調書によって、岡田中将や、その司令下にあった軍人たちは、裁判にかけられることとなった。
岡田中将は揺るぎない信念を持って、無差別爆撃は違法であること、正式な軍事裁判にかけず、略式手続きによって、38名を処刑したことは、爆撃に継ぐ爆撃と、混乱のなかで避けられなかったこと、そして、責任は全て司令官である自分にあり、部下は命令に従っただけであることを主張した。後に、岡田中将のお陰で、部下は全員死刑を免れたのである。
岡田中将の弁護人フェザーストーンはアメリカ人であったが、被告の利益のために尽力する。検察官バーネットの質問に対して、岡田中将は、一切の責任は自分にあるとする軍人としての潔い応戦、また、保身は一切無いが、無差別爆撃に対して一歩も譲ることのない抗議、この法廷闘争の姿に、人間としての尊厳を感じ、私は本当に感動した。
スガモ・プリズンにあって、部下たちとの入浴シーンがあるが、そこで、岡田中将は「うさぎ追いしかの川」と「故郷」を歌い出す。部下たちもともにそれに和すシーンは、「ビルマの竪琴」で「埴生の宿」を歌うシーンを思い出す。これは事実であったかは知らないが、胸に迫るものがあった。部下たちにも死刑の判決がくだることは充分に考えられ得る軍事法廷ではあるが、岡田中将の毅然とした法廷でのやりとりと、全て自分の責任と、明白に宣言している上官に対しての信頼が、「故郷」の合唱に表されていた。
また、裁判を怖れる部下たちを励まして岡田中将が勧めたことは、「坐禅」であった。これは全く私は予期しない場面であったので、坐禅を大事としている禅宗の一員として、実は一番驚いたシーンであった。しかし、その後で「南無妙法蓮華経」と唱えたことには違和感があったが、これは20歳のとき、辻説法をしていた日蓮宗の僧侶と出会い、日蓮宗信仰を始めたことの影響であったと、パンフレットを読んでから知った。死刑を下された戦犯の青年たちと『法華経』の「如来壽量品」を唱えていたシーンもあった。また死刑を受ける怖ろしさに負けそうな者に対して、必ず坐禅で勝ち抜くこと、丹田に気力を集中させるのだ、とはげますシーンもあり、一人で坐禅をするシーンもあり、岡田中将の日蓮宗信仰は、坐禅とあわさった独自のものであったのではないかと思う。
処刑された38名の搭乗員たちも、上からの命令に従っての空爆であり、また彼等にもその死を悲しむ家族があることは、忘れてはならないことであり、果たして岡田中将が下した処刑の判断が必ずしも正しかったとは言えまい。本人もそのように映画のなかで、たしか答えていたと思う。
戦争という非人道的な異常事態の中で、とっさに下さなくてはならない判断に過ちが無いとは言えない。しかし、それを為してしまった以上、それから逃げることなく、真っ直ぐに受けとめなくてはならなかった一軍人の潔い生き様から、現代の平和な時代を生きられる人間が学ぶべきことは多々ある。私にはある。
特定の宗教団体に利用されることは、岡田中将の意図しないものであると私は思う。監督も意図していないだろう。死に向かうとき、岡田中将が獄中の部下に残した言葉は「真に世界の平和に貢献できるよう」「自ら恥ない行動ができるような」人間として生きて欲しいことであった。これは岡田中将その人の願いであり、この映画のメッセージであろう。
岡田中将が独房で、王翰おうかん(687~726)の「涼州詞」を吟じるのは、絞首刑の判決を受けた後であろうか。
葡萄美酒夜光杯 (葡萄の美酒夜光の杯
欲飲琵琶馬上催 (飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す
酔臥沙上君莫笑 (酔うて沙上に臥す、君笑うこと莫れ
古来征戦幾人回 (古来征戦幾人か回かえる
「死と向き合っている我々はなんなのか。心と行いを見つめて生きることだ」というような台詞があった。
「できうる限り仏に近づくこと」判決後、執行を待つ間の言葉。
「業力思念を持ってお守りする」と残した家族への言葉。
死刑の判決に「本望である」の一言。
「一点の曇りなき青空のような気持ち」
1949年9月17日処刑される。享年60歳
ほとんど実話をもとにしてある映画のようで、岡田資という実在の人物の生き方に感動すると共に、それを演じきった藤田まことがあり、監督はじめスタッフ、キャストによる、この映画自体の素晴らしさに感動を覚えました。
原作:大岡昇平『ながい旅』(角川文庫)
資料:岡田資『毒箭』(復刻版、隆文館)
小泉堯史監督の『明日への遺言』を王子シネマで観てきた。
私は、決して戦争を認めているわけでも、アメリカ兵を処刑したことを認めているわけではない。しかし、軍国主義という十把一絡げの扱いで、人間としての尊厳を持って生きた岡田さんのような気骨有る立派な人物を、簡単に葬り去り、忘れてはならないと痛感したのである。現在の日本の政治家や、恥を忘れた同朋を見るとき、この映画の岡田さんのような方の存在を、あらためて見直す必要があるのではないかと強く思ったのである。(政治家だけではなく、他人のことを言うよりも、自分自身も反省することは多い)
この映画は、1937年、スペイン・ゲルニカでのドイツ軍による無差別爆撃を描いたピカソの「ゲルニカ」の映像ではじまった。
元東海軍司令官・岡田資たすく中将(藤田まこと)は、B級戦犯として、軍事法廷にかけられた。それは名古屋を空襲し、一般民衆を無差別に爆撃した米軍機搭乗員38名を処刑した罪を問われたものであった。38名は、無差別爆撃をした航空機が墜落する際に、落下傘で降下した搭乗員たちである。無差別爆撃は1923年のオランダ・ハーグの「戦時法規改正委員会」で「爆撃は軍事的目標に対して行われた場合に限り適法である」というルールに反したことである。終戦間近い、1945年2月19日、東京大空襲を皮切りに、名古屋には38回に及ぶ爆撃が繰り返されたという。司令系統も混乱していたこの時期、岡田中将は東海地方で捕縛したこれら爆撃機の搭乗員を、戦犯として、処罰する命令を下したのである。
敗戦を迎え、GHQの指揮の下、元日本陸軍省法務局長や元法務官の自己保身だけに汲々とした者たちによって作り上げられた調書によって、岡田中将や、その司令下にあった軍人たちは、裁判にかけられることとなった。
岡田中将は揺るぎない信念を持って、無差別爆撃は違法であること、正式な軍事裁判にかけず、略式手続きによって、38名を処刑したことは、爆撃に継ぐ爆撃と、混乱のなかで避けられなかったこと、そして、責任は全て司令官である自分にあり、部下は命令に従っただけであることを主張した。後に、岡田中将のお陰で、部下は全員死刑を免れたのである。
岡田中将の弁護人フェザーストーンはアメリカ人であったが、被告の利益のために尽力する。検察官バーネットの質問に対して、岡田中将は、一切の責任は自分にあるとする軍人としての潔い応戦、また、保身は一切無いが、無差別爆撃に対して一歩も譲ることのない抗議、この法廷闘争の姿に、人間としての尊厳を感じ、私は本当に感動した。
スガモ・プリズンにあって、部下たちとの入浴シーンがあるが、そこで、岡田中将は「うさぎ追いしかの川」と「故郷」を歌い出す。部下たちもともにそれに和すシーンは、「ビルマの竪琴」で「埴生の宿」を歌うシーンを思い出す。これは事実であったかは知らないが、胸に迫るものがあった。部下たちにも死刑の判決がくだることは充分に考えられ得る軍事法廷ではあるが、岡田中将の毅然とした法廷でのやりとりと、全て自分の責任と、明白に宣言している上官に対しての信頼が、「故郷」の合唱に表されていた。
また、裁判を怖れる部下たちを励まして岡田中将が勧めたことは、「坐禅」であった。これは全く私は予期しない場面であったので、坐禅を大事としている禅宗の一員として、実は一番驚いたシーンであった。しかし、その後で「南無妙法蓮華経」と唱えたことには違和感があったが、これは20歳のとき、辻説法をしていた日蓮宗の僧侶と出会い、日蓮宗信仰を始めたことの影響であったと、パンフレットを読んでから知った。死刑を下された戦犯の青年たちと『法華経』の「如来壽量品」を唱えていたシーンもあった。また死刑を受ける怖ろしさに負けそうな者に対して、必ず坐禅で勝ち抜くこと、丹田に気力を集中させるのだ、とはげますシーンもあり、一人で坐禅をするシーンもあり、岡田中将の日蓮宗信仰は、坐禅とあわさった独自のものであったのではないかと思う。
処刑された38名の搭乗員たちも、上からの命令に従っての空爆であり、また彼等にもその死を悲しむ家族があることは、忘れてはならないことであり、果たして岡田中将が下した処刑の判断が必ずしも正しかったとは言えまい。本人もそのように映画のなかで、たしか答えていたと思う。
戦争という非人道的な異常事態の中で、とっさに下さなくてはならない判断に過ちが無いとは言えない。しかし、それを為してしまった以上、それから逃げることなく、真っ直ぐに受けとめなくてはならなかった一軍人の潔い生き様から、現代の平和な時代を生きられる人間が学ぶべきことは多々ある。私にはある。
特定の宗教団体に利用されることは、岡田中将の意図しないものであると私は思う。監督も意図していないだろう。死に向かうとき、岡田中将が獄中の部下に残した言葉は「真に世界の平和に貢献できるよう」「自ら恥ない行動ができるような」人間として生きて欲しいことであった。これは岡田中将その人の願いであり、この映画のメッセージであろう。
岡田中将が独房で、王翰おうかん(687~726)の「涼州詞」を吟じるのは、絞首刑の判決を受けた後であろうか。
葡萄美酒夜光杯 (葡萄の美酒夜光の杯
欲飲琵琶馬上催 (飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す
酔臥沙上君莫笑 (酔うて沙上に臥す、君笑うこと莫れ
古来征戦幾人回 (古来征戦幾人か回かえる
「死と向き合っている我々はなんなのか。心と行いを見つめて生きることだ」というような台詞があった。
「できうる限り仏に近づくこと」判決後、執行を待つ間の言葉。
「業力思念を持ってお守りする」と残した家族への言葉。
死刑の判決に「本望である」の一言。
「一点の曇りなき青空のような気持ち」
1949年9月17日処刑される。享年60歳
ほとんど実話をもとにしてある映画のようで、岡田資という実在の人物の生き方に感動すると共に、それを演じきった藤田まことがあり、監督はじめスタッフ、キャストによる、この映画自体の素晴らしさに感動を覚えました。
原作:大岡昇平『ながい旅』(角川文庫)
資料:岡田資『毒箭』(復刻版、隆文館)