風月庵だより

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医は仁術か算術か

2009-04-12 12:20:22 | Weblog
4月10日(日)花曇り【医は仁術か算術か】(ルナもお花見)

花曇りというにははや桜の花は散り、気の早い木は葉桜になっています。当庵には、桜の大振りの枝を頂いたのがあり、寝ている母はまだ花を楽しんでいます。

母の足の痛みはなかなかとれないので、先日ある整形外科に連れて行きました。また高校時代の友人が運転して付き添ってくれました。その一週間前は若い先生で何もしてもらえなかったので、院長の担当日を選んで行ったのです。が、

母の体調も聞かず、母の顔も見ず、カルテに目をやりながら、院長先生は開口一番宣いました。「この位の年齢になれば、いつ死んでもおかしくないけどね……」

な、何を言い始めるのでしょう……

「入院すると、あちこち悪いところが見つかるからね、文句を言わなければ、入院させてやるけれど……」

先生、入院などと思ってもいませんよ、今の段階では。尋ねてもいませんよ、私は。

「入院すれば治してあげるけれど、通院じゃ駄目だね」と言って、レントゲンをとるように看護婦さんに命じています。

レントゲンを診て、「骨は折れてないね、それじゃMRIをとっておこう」

先生、骨は折れていないに決まっていますよ。折れていれば、痛みが普通ではないのですから、それくらいレントゲンをとらないでもわかりませんか。「MRIはこの次にしてください」と私が言いますと、「2,30分ですぐだから、今日とりますよ」と強引です。

私もそのとき、強く拒否すればよかったと後で悔やみました。この病院のMRIは両手は横に開かされて固定され、足も固定されたのでそうです。ちょうど磔状態にされてしまっていたのです。両脇の閉鎖されていないMRIなのだそうです。しかし、寝てても痛いと言っている患者を、磔状態にして、なんと40分!この状態を前もって知っていれば決して受けませんでした。

母はその後かえって状態がひどくなってしまいました。これは全く私の不注意です。介護人は一番病人の状態を知らなければなりませんし、守る責任があります。治療やら検査やらについても吟味する責任があります。その病院長を責めても仕方のないことです。

しかし、このログの前に『蘭学事始』について書きましたが、先人のご苦労によって進歩した医学が本当に人間に生かされているかどうか、首を傾げる場合もあるということを経験したことです。

*しかし、お陰様ですぐ近くの治療院の先生が、昨日往診に来てくださいまして、これから一週間に3回往診してくださることになりました。おそらく冷えて筋肉が堅くなりすぎて神経を圧迫しているのでしょう、この分でしたら気長に治療しましたら、また歩けるようになりますよ、とおっしゃってくださいました。近くですから往診料はいりません、治療代も保険が使えますから、1日150円です。ということです!本当によかったです。こんなに良い先生が、すぐ近くにいらっしゃったとは、灯台下暗しでした。

*但し、支払いが高いから悪いとか、安いから良いとは私は思っていません。

*「医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし。わが身の利養を専ら志すべからず。天地のうみそだて給える人をすくいたすけ、万民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命という、きわめて大事の職分なり」(貝原益軒『養生訓』)

*「医は以て人を活かす心なり。故に医は仁術という。疾ありて療を求めるは、唯に、焚溺水火に求め。医は当(まさ)に仁慈の術に当たるべ。.須(すべから)く髪をひらき冠を取りても行きて、これを救うべきなり」陸宜(りくぎ)公(唐の徳宗の時代の宰相)の言葉