4月16日(木)晴れ、はや暑いです【僧は宗教者か商人か】
この頃、重い家具の移動をしたりして、足が大変に痛くなりました。その前から、ときどき痺れていたのですが、我慢していました。しかし、我慢の限界がきたので、母の治療に来てくださっている接骨院に治療を受けに行きました。
座骨神経痛だけれども、堅くなっている筋肉をほぐせば大丈夫ですよ、と安心の言葉を頂き治療してもらいましたら、お陰様で痛みがなくなりました。その後も何回か、まめに通っていますのでだいぶ良くなりました。本当に当庵のすぐ近くなので、仕事の帰りにも寄れますので、長い間苦しんできた足の痺れから解放される希望が見えます。
そんなことで、この治療院を教えてくれた人とも、治療院で時々顔を合わせます。彼女のお仕事は家政婦さんです。つい二、三日前に、お勤め先の老婦人が亡くなられたそうで、同じ僧侶としては聞きづらい話を耳にしました。すぐ近くのお寺が檀那寺だそうです。遺族が院号はいりません、と言いましたら、老婦人のご兄弟はみな院号がついているので、つけるようにと言われたというのです。それだけならまだしも、院号は180万円から200万円と言われたので、180万円持って行きましたら、「おたくのようなお金持ちが180万円ということはないでしょう」と言われたというのです。
どうでしょう。このお坊さんは戒名をお金で売っている商人ではないでしょうか。このような人は商人僧というのではないでしょうか。このような商人僧がいるから、仏教離れがおきてしまうのではないでしょうか。釈尊の教えに耳を傾けようという芽を摘んでしまうことになります。たまたま同じ宗派でなかったのですが、本当に嘆かわしいことではないでしょうか。
勿論、商人が商品を売って、儲けることは当然のことです。しかし、僧侶が戒名を法外な値段で売るようなことは大罪とさえ言えるのではないでしょうか。僧侶も霞を食べている訳ではありませんし、お寺の維持管理にもお金はかかりますから、経営は大事なことです。院号について、現在の風潮のなかで決して悪いとは申しませんが、しかし、なんでもほどほどということがあるのではないでしょうか。
この知人がさらに付け加えた言葉に本当に考えさせられました。「今は若い人が住職で、前の住職も同じように欲張りだったそうですけど、ひどい死に方をしたそうですよ。」在家の方から、このようなことを言われてしまう住職一家とは一体どのような方々なのでしょうか。弘法大師も、法孫にこのような人間が出てしまっていることを嘆いていることと思います。私もよくよく心して、道元禅師を嘆かせないようにしたいと思いながら、治療室で話を聞いていました。
「地獄の沙汰も金次第」といいますから、この住職一家は、そのために貯めているのでしょうか。地獄があるならば、そこに行かねばならないことを知っているのでしょうから。でも持って行けるはずはないのですけれど。
この頃、重い家具の移動をしたりして、足が大変に痛くなりました。その前から、ときどき痺れていたのですが、我慢していました。しかし、我慢の限界がきたので、母の治療に来てくださっている接骨院に治療を受けに行きました。
座骨神経痛だけれども、堅くなっている筋肉をほぐせば大丈夫ですよ、と安心の言葉を頂き治療してもらいましたら、お陰様で痛みがなくなりました。その後も何回か、まめに通っていますのでだいぶ良くなりました。本当に当庵のすぐ近くなので、仕事の帰りにも寄れますので、長い間苦しんできた足の痺れから解放される希望が見えます。
そんなことで、この治療院を教えてくれた人とも、治療院で時々顔を合わせます。彼女のお仕事は家政婦さんです。つい二、三日前に、お勤め先の老婦人が亡くなられたそうで、同じ僧侶としては聞きづらい話を耳にしました。すぐ近くのお寺が檀那寺だそうです。遺族が院号はいりません、と言いましたら、老婦人のご兄弟はみな院号がついているので、つけるようにと言われたというのです。それだけならまだしも、院号は180万円から200万円と言われたので、180万円持って行きましたら、「おたくのようなお金持ちが180万円ということはないでしょう」と言われたというのです。
どうでしょう。このお坊さんは戒名をお金で売っている商人ではないでしょうか。このような人は商人僧というのではないでしょうか。このような商人僧がいるから、仏教離れがおきてしまうのではないでしょうか。釈尊の教えに耳を傾けようという芽を摘んでしまうことになります。たまたま同じ宗派でなかったのですが、本当に嘆かわしいことではないでしょうか。
勿論、商人が商品を売って、儲けることは当然のことです。しかし、僧侶が戒名を法外な値段で売るようなことは大罪とさえ言えるのではないでしょうか。僧侶も霞を食べている訳ではありませんし、お寺の維持管理にもお金はかかりますから、経営は大事なことです。院号について、現在の風潮のなかで決して悪いとは申しませんが、しかし、なんでもほどほどということがあるのではないでしょうか。
この知人がさらに付け加えた言葉に本当に考えさせられました。「今は若い人が住職で、前の住職も同じように欲張りだったそうですけど、ひどい死に方をしたそうですよ。」在家の方から、このようなことを言われてしまう住職一家とは一体どのような方々なのでしょうか。弘法大師も、法孫にこのような人間が出てしまっていることを嘆いていることと思います。私もよくよく心して、道元禅師を嘆かせないようにしたいと思いながら、治療室で話を聞いていました。
「地獄の沙汰も金次第」といいますから、この住職一家は、そのために貯めているのでしょうか。地獄があるならば、そこに行かねばならないことを知っているのでしょうから。でも持って行けるはずはないのですけれど。