風月庵だより

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『蘭学事始』

2009-04-07 22:24:01 | Weblog
4月7日晴れ(火)【『蘭学事始』】(回向院の「観臓記念碑」)

先日、人権学習で浅草の回向院にお参りの機会を得ました。ここは江戸時代小塚原の処刑場があった場所です。南の刑場はご存じのように鈴ヶ森刑場です。

この小塚原で明和8年(1771年)3月に腑分け(解剖)が行われました。前野良沢・杉田玄白・中川淳庵および江戸市中の医師たちが集められて、幕府の許可の元、解剖が行われたのです。

この話は、杉田玄白が書いた『蘭学事始』という記載をもとにした一文を、中学時代の国語の授業で勉強した記憶があります。『ターヘル・アナトミア(解体新書)』という杉田玄白等が苦心して翻訳した医学書のタイトルもすぐに頭に浮かぶほど記憶に残っています。日本の蘭学がここから始まったと学んだ記憶があります。先駆者は常に苦労、いや苦労を越え辛酸を舐めて、新しい世界を切り開いているのだということを、この話から、中学時代にしっかりと学んだような気がします。

今では当たり前のことでも、初めは白眼視されたことが多いのではないでしょうか。人体の臓腑の位置を確認し、病の原因を追及するような医学も漢方医学が根付いていた時代においては異端だったことでしょう。

しかし、この腑分けによって、蘭学書『ターヘル・アナトミア』の記載の正確であることを確認した前述の3人は、『解体新書』としてこれを翻訳したのです。

この翻訳にあたり、小塚原処刑場での腑分けは最も大事な確認作業でした。この腑分けを執刀したのが「虎松の祖父」といわれる90歳の老人だったそうです。虎松さんはどうも風邪を引いてしまって執刀できなかったようです。

この虎松の祖父については、あまり知られていませんし、中学時代の教科書には出てこなかったように思いますが、高齢にもかかわらず、執刀の腕前と臓腑についての正確な知識は、杉田玄白も驚嘆したことが『蘭学事始』には書かれているようです。

処刑の手伝いをしていた当時の人びとについて多少なりともお教え頂き、江戸の生活において、差別されていた人びとが果たした役割の数々を学んだ人権学習でした。講師の浦本誉至史先生の深い歴史的な知識と、公平に時代を分析し、苦労した先人たちを労う姿勢によって、まことに深い人権学習をさせていただいた一日でした。