4月8日(土)【釈迦降誕会】
釈尊の降誕会に因んで、『宏智頌古』から釈尊に関する則をあげてみたい。『宏智頌古』には釈尊に関して「第一則世尊陞座」と「第四則世尊指地」がある。今日は第四則をご紹介してみよう。
〈本則、原文〉
舉世尊與衆行次。以手指地云。此處宜建梵刹。帝釋將一莖草。插於地上云。建梵刹已竟。世尊微笑。
〈訓読〉
舉(こ)す。世尊、衆(しゅ)と行く次(つい)で、手を以って地を指して云く、「此處(ここ)に宜しく梵刹(ぼんせつ)を建つべし。」帝釋(たいしゃく)、一莖草(いっきょうそう)を將(も)って、地上に插(さ)して云く、「梵刹を建つること已に竟(おわ)りぬ」と。世尊、微笑す。
〈拙訳〉
挙す。挙すというのは「話をとりあげます」というようなこと。あるとき、釈尊が弟子たちと路を歩いていたとき、手で地面を指しておしゃった。「ここにお寺を建ててみなさい」と。そうすると帝釈天が一本の草を持ってきて、地面に指して云われた。「お寺を建て終わりました」と。釈尊は微笑まれた。
〈解説〉
帝釈天は仏教守護の神様なので、この話は実話というわけではないのだが、象徴的な話である。中国でも師匠は常に弟子に質問をしたりして、弟子の境界がどの程度であるか試したり、悟りを開かせたい親心から、きっかけを与えてくれるわけだが、釈尊も弟子たちがどう答えるか試されたのである。そうしたら、帝釈天が一本の草を地面に挿して「はい、お寺はもう建ておわりました」と答えたというのである。
釈尊が微笑まれたと云うことは、それでよろしい、というわけである。一本の草がお寺とはちょっとおかしいじゃないかと、普通は思うところだが、一本の草でも枝でも花でもよいのである。自分自身が地面に立って「お寺は建て終わりました」といってもよいわけである。お寺とは何かといえば、修行の場であるのだから、それは建物ではなく、それぞれの身心そのものといえよう。『維摩経』「菩薩品」の中にも「直心是れ道場」という箇所があるが、心こそが修行の道場。(心というより身心)伽藍ばかり立派であっても、仏道修行と無関係のお寺を見ても、釈尊は微笑まれないのである。禅門では坐禅の姿を梵刹、寺そのものといっても過言ではないだろう。坐禅は修証(修行と証悟)の姿である。
〈本文〉
頌曰。百草頭上無邊春。信手拈來用得親。丈六金身功徳聚。等閑攜手入紅塵。塵中能作主。化外自來賓。觸處生涯隨分足。未嫌伎倆不如人。(『大正蔵経』48巻18頁)
〈訓読〉
頌(じゅ)に曰く。百草頭上無邊の春。手に信(まか)せ拈じ來たって用い得て親し。丈六の金身、功徳聚。等閑(なおざり)に手に攜(たずさ)えて紅塵に入る。塵中能く主と作(な)る。化外自ら來賓す。觸處生涯分に隨って足る。未だ嫌わず伎倆人に如かざるを。(『大正蔵経』48巻18頁)
〈拙訳〉
頌は仏教の教理を表した詩のこと。(宏智正覚わんししょうがく禅師は)頌で云われた。どの花もどの花もあたり一面春を現じている。そのどの一本を持ってきても、自由自在に春を表している。(帝釈天が一本の草で梵刹を建てたことを讃えている)。一丈六尺の釈尊は光明に輝く功徳の集まったお姿である。その釈尊が無造作に、弟子たちとともに俗世間にお越しになった。そして俗塵の中にあっても、どこでも主としてお働きになっている。それを化導(教化)の外から帝釈天が助けにやって来たことだよ。しかし、(誰でも)どこでも、いつでも、それぞれ自己ぎりの自己を生きているのだから、伎倆が他より劣っているなどと卑屈になることはないよ。
〈解説〉
それぞれの本則(お話)に対して宏智禅師が頌をつけている。百草の頭上に無辺の春が表れているのは、今まさにその季節なので理解が容易い。春が来て花が咲いているのではない。花が咲いているから春なのである。この一句はこの句だけ単独で味わってもいろいろに受け取ることができる。宏智禅師は詩にすぐれた方なので、美しい言葉の中にさりげなく真理を詠み込まれている。
一句目、二句目は帝釈天を讃え、三,四,五,六句では釈尊を讃え、最後の七句、八句の結句で自分の弟子たちを、しっかりと鼓舞している。頌を作るのは、趣味でするのではない。どこまでも師家として弟子たちを接化(教え導く)するための手段とみなくてはならない。そうであるなら、これを人ごとでなく、我が事として受けとめていきたいものである。
この結句はそのままでよいという本覚思想(本来悟りの性をそなえているとするとらえかた)に受けとられてしまう嫌いがあるが、黙々と坐する修行を自らも勤め、弟子もそれに随ったのであり、けっしてそのまま何もしないというのではない。大慧宗杲(1089~1163)が黙照邪禅といって攻撃したのは宏智の禅ではなく、その師丹霞子淳(1064~1117)のことである。
他と比較して競争をすることはない。この自分という素材を通して、この世を見、この世を歩き、仏弟子として梵刹を建てていく。この梵刹は刻一刻変化し続ける。不断無く修行し続ける。自己ぎりの自己を行じていくだけのことだ。(自己ぎりの自己という表現は内山興正老師のお言葉であったと思う。)
*宏智正覚(1091~1157)は北宋末期から南宋初頭に活躍した禅僧。山西省の出身。十一歳で得度。丹霞子淳の法嗣。天童寺の住職を勤める。宏智禅師が入る前は貧しい寺であったが、復興する。同時期に大慧宗杲が出て、禅門の二大甘露門と称される。宏智の宗風は黙照禅、大慧の宗風は看話禅(かんなぜん)と称される。『宏智録』がある。詩文に秀でていたので、雪竇重顕(980~1052)共に並び称される。
*『宏智頌古』百則:『宏智録』二巻に収められる。『雪竇頌古』百則にならって作られた。『景徳伝燈録』などの公案から本則を採り、それに頌をつけた。
*『禅林僧宝伝』巻12にこの則は出ているが、これが出典とは限定しがたい。『宗門統要集』巻1ー17頁表にもこれに酷似の話がある。
*「直心是道場 」についての意味についてフクロウ博士のコメントを頂きましたので、掲載させて頂きます。
『維摩経』にある「直心是道場」の一句ですが、禅では思想的にも実践的にも重要なものですね。
【支謙訳】言道場者無生之心是。檢一惡意故。(T14.524a)
【鳩摩羅什訳】答曰。直心是道場無虚假故。(T14.542c)
【玄奘訳】即答我言。淳直意樂是妙菩提。由此意樂不虚假故。(T14.565b)
【長尾雅人訳(チベット訳デルゲ版を底本とする)】そこで彼はつぎのように申しました。『良家の子よ、菩提の座とは、(人の)作為による(偽りの)ものではないから、すなおな意欲を座とするものです』(中公文庫『維摩経』p.58)
【梵文原典からの拙訳】彼は私に次のことを述べました。『良家の子よ、菩提座とは、これは意志( アーシャヤ )を座とします。人為的でないことの故にです。』(大正大版pp.146-148)
禅に強い影響を与えた鳩摩羅什訳で「直心」と訳されている語の部位は、支謙訳で「無生之心」、玄奘訳で「淳直意楽」と訳されています。チベットからの邦訳では「すなおな意欲」と訳されています。サンスクリットの原語は アーシャヤ です。
漢訳から文意を導くのは難解ですが、梵文原典に依れば、その意志( アーシャヤ )とは非人為的な意志のことを指すことが分かります。それは、「自然的発露の意志」とか「はからいを超えた意志」とでも呼べるかもしれません。「直心是道場」とは、仏が無上菩提を成ずる場であるところの菩提座(菩提道場)とは「はからいを超えた意志」であるという意味になります(「心こそが修行の道場」とは、少しニュアンスが異なりますね)。
釈尊の降誕会に因んで、『宏智頌古』から釈尊に関する則をあげてみたい。『宏智頌古』には釈尊に関して「第一則世尊陞座」と「第四則世尊指地」がある。今日は第四則をご紹介してみよう。
〈本則、原文〉
舉世尊與衆行次。以手指地云。此處宜建梵刹。帝釋將一莖草。插於地上云。建梵刹已竟。世尊微笑。
〈訓読〉
舉(こ)す。世尊、衆(しゅ)と行く次(つい)で、手を以って地を指して云く、「此處(ここ)に宜しく梵刹(ぼんせつ)を建つべし。」帝釋(たいしゃく)、一莖草(いっきょうそう)を將(も)って、地上に插(さ)して云く、「梵刹を建つること已に竟(おわ)りぬ」と。世尊、微笑す。
〈拙訳〉
挙す。挙すというのは「話をとりあげます」というようなこと。あるとき、釈尊が弟子たちと路を歩いていたとき、手で地面を指しておしゃった。「ここにお寺を建ててみなさい」と。そうすると帝釈天が一本の草を持ってきて、地面に指して云われた。「お寺を建て終わりました」と。釈尊は微笑まれた。
〈解説〉
帝釈天は仏教守護の神様なので、この話は実話というわけではないのだが、象徴的な話である。中国でも師匠は常に弟子に質問をしたりして、弟子の境界がどの程度であるか試したり、悟りを開かせたい親心から、きっかけを与えてくれるわけだが、釈尊も弟子たちがどう答えるか試されたのである。そうしたら、帝釈天が一本の草を地面に挿して「はい、お寺はもう建ておわりました」と答えたというのである。
釈尊が微笑まれたと云うことは、それでよろしい、というわけである。一本の草がお寺とはちょっとおかしいじゃないかと、普通は思うところだが、一本の草でも枝でも花でもよいのである。自分自身が地面に立って「お寺は建て終わりました」といってもよいわけである。お寺とは何かといえば、修行の場であるのだから、それは建物ではなく、それぞれの身心そのものといえよう。『維摩経』「菩薩品」の中にも「直心是れ道場」という箇所があるが、心こそが修行の道場。(心というより身心)伽藍ばかり立派であっても、仏道修行と無関係のお寺を見ても、釈尊は微笑まれないのである。禅門では坐禅の姿を梵刹、寺そのものといっても過言ではないだろう。坐禅は修証(修行と証悟)の姿である。
〈本文〉
頌曰。百草頭上無邊春。信手拈來用得親。丈六金身功徳聚。等閑攜手入紅塵。塵中能作主。化外自來賓。觸處生涯隨分足。未嫌伎倆不如人。(『大正蔵経』48巻18頁)
〈訓読〉
頌(じゅ)に曰く。百草頭上無邊の春。手に信(まか)せ拈じ來たって用い得て親し。丈六の金身、功徳聚。等閑(なおざり)に手に攜(たずさ)えて紅塵に入る。塵中能く主と作(な)る。化外自ら來賓す。觸處生涯分に隨って足る。未だ嫌わず伎倆人に如かざるを。(『大正蔵経』48巻18頁)
〈拙訳〉
頌は仏教の教理を表した詩のこと。(宏智正覚わんししょうがく禅師は)頌で云われた。どの花もどの花もあたり一面春を現じている。そのどの一本を持ってきても、自由自在に春を表している。(帝釈天が一本の草で梵刹を建てたことを讃えている)。一丈六尺の釈尊は光明に輝く功徳の集まったお姿である。その釈尊が無造作に、弟子たちとともに俗世間にお越しになった。そして俗塵の中にあっても、どこでも主としてお働きになっている。それを化導(教化)の外から帝釈天が助けにやって来たことだよ。しかし、(誰でも)どこでも、いつでも、それぞれ自己ぎりの自己を生きているのだから、伎倆が他より劣っているなどと卑屈になることはないよ。
〈解説〉
それぞれの本則(お話)に対して宏智禅師が頌をつけている。百草の頭上に無辺の春が表れているのは、今まさにその季節なので理解が容易い。春が来て花が咲いているのではない。花が咲いているから春なのである。この一句はこの句だけ単独で味わってもいろいろに受け取ることができる。宏智禅師は詩にすぐれた方なので、美しい言葉の中にさりげなく真理を詠み込まれている。
一句目、二句目は帝釈天を讃え、三,四,五,六句では釈尊を讃え、最後の七句、八句の結句で自分の弟子たちを、しっかりと鼓舞している。頌を作るのは、趣味でするのではない。どこまでも師家として弟子たちを接化(教え導く)するための手段とみなくてはならない。そうであるなら、これを人ごとでなく、我が事として受けとめていきたいものである。
この結句はそのままでよいという本覚思想(本来悟りの性をそなえているとするとらえかた)に受けとられてしまう嫌いがあるが、黙々と坐する修行を自らも勤め、弟子もそれに随ったのであり、けっしてそのまま何もしないというのではない。大慧宗杲(1089~1163)が黙照邪禅といって攻撃したのは宏智の禅ではなく、その師丹霞子淳(1064~1117)のことである。
他と比較して競争をすることはない。この自分という素材を通して、この世を見、この世を歩き、仏弟子として梵刹を建てていく。この梵刹は刻一刻変化し続ける。不断無く修行し続ける。自己ぎりの自己を行じていくだけのことだ。(自己ぎりの自己という表現は内山興正老師のお言葉であったと思う。)
*宏智正覚(1091~1157)は北宋末期から南宋初頭に活躍した禅僧。山西省の出身。十一歳で得度。丹霞子淳の法嗣。天童寺の住職を勤める。宏智禅師が入る前は貧しい寺であったが、復興する。同時期に大慧宗杲が出て、禅門の二大甘露門と称される。宏智の宗風は黙照禅、大慧の宗風は看話禅(かんなぜん)と称される。『宏智録』がある。詩文に秀でていたので、雪竇重顕(980~1052)共に並び称される。
*『宏智頌古』百則:『宏智録』二巻に収められる。『雪竇頌古』百則にならって作られた。『景徳伝燈録』などの公案から本則を採り、それに頌をつけた。
*『禅林僧宝伝』巻12にこの則は出ているが、これが出典とは限定しがたい。『宗門統要集』巻1ー17頁表にもこれに酷似の話がある。
*「直心是道場 」についての意味についてフクロウ博士のコメントを頂きましたので、掲載させて頂きます。
『維摩経』にある「直心是道場」の一句ですが、禅では思想的にも実践的にも重要なものですね。
【支謙訳】言道場者無生之心是。檢一惡意故。(T14.524a)
【鳩摩羅什訳】答曰。直心是道場無虚假故。(T14.542c)
【玄奘訳】即答我言。淳直意樂是妙菩提。由此意樂不虚假故。(T14.565b)
【長尾雅人訳(チベット訳デルゲ版を底本とする)】そこで彼はつぎのように申しました。『良家の子よ、菩提の座とは、(人の)作為による(偽りの)ものではないから、すなおな意欲を座とするものです』(中公文庫『維摩経』p.58)
【梵文原典からの拙訳】彼は私に次のことを述べました。『良家の子よ、菩提座とは、これは意志( アーシャヤ )を座とします。人為的でないことの故にです。』(大正大版pp.146-148)
禅に強い影響を与えた鳩摩羅什訳で「直心」と訳されている語の部位は、支謙訳で「無生之心」、玄奘訳で「淳直意楽」と訳されています。チベットからの邦訳では「すなおな意欲」と訳されています。サンスクリットの原語は アーシャヤ です。
漢訳から文意を導くのは難解ですが、梵文原典に依れば、その意志( アーシャヤ )とは非人為的な意志のことを指すことが分かります。それは、「自然的発露の意志」とか「はからいを超えた意志」とでも呼べるかもしれません。「直心是道場」とは、仏が無上菩提を成ずる場であるところの菩提座(菩提道場)とは「はからいを超えた意志」であるという意味になります(「心こそが修行の道場」とは、少しニュアンスが異なりますね)。
御提唱、お疲れ様でございます。
世尊指地にしろ、世尊陞座にしろ、完全に禅宗のコンテキストに依存した世尊像ですが、非常に端的で、余計な解釈を挟む余地もありません。
そういえば、文殊が善財童子に持ってこさせたのも一茎草でしたが、草も公案になったりお寺になったりと忙しいものです。棄嫌に生えるのみだと思っていたのですが・・・
とかく、大小、損得などの比較にとらわれてしまいます。
コメントとアドバイス有り難うございました。なにかお釈迦様に因んでの宏智さんの頌を載せてみたらと、云われたので、書いてみました。ご提唱になってしまってすみません。恐縮です。
陞座よりも坐禅に因んでの則を選んでみました。
ぜんさんへ
コメント有り難うございます。
お互いに修行に勤めていきたいものと存じます。
ぜんさんの可愛いお子さんたちは、坐禅をなさるのですか。子供のときの坐禅は楽しいのではないでしょうか。坐禅はある意味楽しいように思います。
『維摩経』にある「直心是道場」の一句ですが、禅では思想的にも実践的にも重要なものですね。
【支謙訳】言道場者無生之心是。檢一惡意故。(T14.524a)
【鳩摩羅什訳】答曰。直心是道場無虚假故。(T14.542c)
【玄奘訳】即答我言。淳直意樂是妙菩提。由此意樂不虚假故。(T14.565b)
【長尾雅人訳(チベット訳デルゲ版を底本とする)】そこで彼はつぎのように申しました。『良家の子よ、菩提の座とは、(人の)作為による(偽りの)ものではないから、すなおな意欲を座とするものです』(中公文庫『維摩経』p.58)
【梵文原典からの拙訳】彼は私に次のことを述べました。『良家の子よ、菩提座とは、これは意志( アーシャヤ )を座とします。人為的でないことの故にです。』(大正大版pp.146-148)
禅に強い影響を与えた鳩摩羅什訳で「直心」と訳されている語の部位は、支謙訳で「無生之心」、玄奘訳で「淳直意楽」と訳されています。チベットからの邦訳では「すなおな意欲」と訳されています。サンスクリットの原語は アーシャヤ です。
漢訳から文意を導くのは難解ですが、梵文原典に依れば、その意志( アーシャヤ )とは非人為的な意志のことを指すことが分かります。それは、「自然的発露の意志」とか「はからいを超えた意志」とでも呼べるかもしれません。「直心是道場」とは、仏が無上菩提を成ずる場であるところの菩提座(菩提道場)とは「はからいを超えた意志」であるという意味になります(「心こそが修行の道場」とは、少しニュアンスが異なりますね)。