4月10日(月)【お小遣い頂戴できますでしょうか】
昨日の法事に二人の少年がいた。三年前には彼等のお祖父ちゃんの七回忌、昨日は曾お祖父ちゃんの三十三回忌であった。三年経って幼児から少年に成長していた。神妙な顔でお線香をあげ、合掌し頭をちょこんと下げる樣子がいかにも微笑ましい。幼い頃から仏事に加わり、合掌の習慣が身に付いているだけでも、理屈抜きにして彼等の財産だと、私は信じる。
学校給食の時、宗教色があるので合掌はさせないそうだが、愚かしいことでなかろうか。掌を合わせることを学校教育が禁じた頃から、学校が荒れていってはいないだろうか。
閑話休題、私は少年たちに板谷波山(1872~1963)の娘さんの話をした。波山は陶芸家として一家をなした人ではあるが、そうなるまでには家族は貧乏で苦労をした。娘さんが小学生の時のこと。娘が、仕事に夢中の父親の傍らにやって来た。「何か用か」と父が尋ねると、娘は小さな声で、「明日、天長節でみんな胸に菊の花を付けるのです」と言った。それで、というふうに波山が次の言葉を待っていると、しばらく娘は沈黙していたが、意を決したように父に言った。「二銭頂戴できますでしょうか」と。菊の花を買うために、娘は二銭必要であったのだ。
波山の物語はさておき、私はこの少女の言葉に痛く感動したのである。お小遣いを貰うのに、今の子供たちはなんと言って貰っているのであろうか。「二人はなんと言ってお父さんにお小遣いを頂くの」と尋ねると、傍らから彼等の母親が「お小遣い、と言って手を出すんですよ」と、答えた。「お父さんは大変な思いをして、働いてきてくださる中からお小遣いをくださるのよ。どう、お小遣い頂戴できますでしょうか、って言ってみたら」
私がそう言うと、お兄ちゃんのほうが、「お小遣いチョウダイできますでしょうか」と半分ふざけたような感じで言った。そう言ってから、彼は何となく照れた。この言葉の持つ波動を彼は何となく感じたように、私は思った。美しい言葉には、その言葉のもつ言霊のようなものがある。自分の口から出た言葉であるが、言葉の波動に彼はハッと響いたのだと思う。
これからそう言うかどうかは分からない。もしかしたら親子して時々ふざけあって言うかもしれない。それでもよい、と思う。少年の心に響くものが残ってくれれば有り難いことだと思う。
「二人とも、お父さんとお母さんに叱られながら育ってよ。何でも自分の思うとおりになると思って育っては駄目だよ。叱られることは有り難いことなんだからね」と、私は当然のような事を言う。これこそお説教というものだろう。しかしこんな型通りのことを聞く機会が、少年たちには少なくなっているように思う。
私はいつもこんな事ばかり少年たちに、言っているのでうるさい庵主さんとして、記憶に残るかもしれない。それは本望。どうかこの無垢な少年たちが、これからいろいろな困難を乗り越えて、人生を勇気を持って歩んでいってくれるよう。人生は自分の思うとおりになることは少ないものだと、幼いうちから身に沁みて体験してくれるよう。大人たちの責任は大きい。与えるばかりが愛ではない。分かり切っているようだが、この頃は与えすぎているように思えてならない。
今でも思い出すことだが、私が小学生であった頃、赤い画板が欲しかった。画板は鞄がついていて、クレヨンや鉛筆や画用紙を入れることができた。その背中部分は画板になっていて、画用紙を挟んで絵を描くことができた。外で写生をするときなど、それがあるととても便利なように見えた。友だちは皆持っていた。私も画板が欲しかった。その中でも赤い色の画板がとても素敵に見えた。毎日坂の途中の文房具やさんの前で、それを見ていた。
でも母には言えなかった。兄が東京の大学に出ていて、家計がとても大変だったのだ。兄が大学に行く頃は、田舎から東京の大学に出すことは、お金持ちの家でもなかなかできる時代ではなかった。母がとても苦労しているのを子供心に分かっていたので、言えなかったのである。赤い画板が、私に、人生は自分の思うとおりにはいかないものだということを、教えてくれた最初の教師だった。今でもその画板の形を思い出すことさえできる。十分に与えられないということは、なんと素晴らしいことではなかろうか。五十年たっても、じっと我慢した思いと共に、小さな画板が生き続けている。
可愛い少年たちよ、お小遣いをもらえることを、当たり前のことと思わずに、頂戴できませんでしょうか、とお願いしながら成長してくださいね。うるさい庵主より。
昨日の法事に二人の少年がいた。三年前には彼等のお祖父ちゃんの七回忌、昨日は曾お祖父ちゃんの三十三回忌であった。三年経って幼児から少年に成長していた。神妙な顔でお線香をあげ、合掌し頭をちょこんと下げる樣子がいかにも微笑ましい。幼い頃から仏事に加わり、合掌の習慣が身に付いているだけでも、理屈抜きにして彼等の財産だと、私は信じる。
学校給食の時、宗教色があるので合掌はさせないそうだが、愚かしいことでなかろうか。掌を合わせることを学校教育が禁じた頃から、学校が荒れていってはいないだろうか。
閑話休題、私は少年たちに板谷波山(1872~1963)の娘さんの話をした。波山は陶芸家として一家をなした人ではあるが、そうなるまでには家族は貧乏で苦労をした。娘さんが小学生の時のこと。娘が、仕事に夢中の父親の傍らにやって来た。「何か用か」と父が尋ねると、娘は小さな声で、「明日、天長節でみんな胸に菊の花を付けるのです」と言った。それで、というふうに波山が次の言葉を待っていると、しばらく娘は沈黙していたが、意を決したように父に言った。「二銭頂戴できますでしょうか」と。菊の花を買うために、娘は二銭必要であったのだ。
波山の物語はさておき、私はこの少女の言葉に痛く感動したのである。お小遣いを貰うのに、今の子供たちはなんと言って貰っているのであろうか。「二人はなんと言ってお父さんにお小遣いを頂くの」と尋ねると、傍らから彼等の母親が「お小遣い、と言って手を出すんですよ」と、答えた。「お父さんは大変な思いをして、働いてきてくださる中からお小遣いをくださるのよ。どう、お小遣い頂戴できますでしょうか、って言ってみたら」
私がそう言うと、お兄ちゃんのほうが、「お小遣いチョウダイできますでしょうか」と半分ふざけたような感じで言った。そう言ってから、彼は何となく照れた。この言葉の持つ波動を彼は何となく感じたように、私は思った。美しい言葉には、その言葉のもつ言霊のようなものがある。自分の口から出た言葉であるが、言葉の波動に彼はハッと響いたのだと思う。
これからそう言うかどうかは分からない。もしかしたら親子して時々ふざけあって言うかもしれない。それでもよい、と思う。少年の心に響くものが残ってくれれば有り難いことだと思う。
「二人とも、お父さんとお母さんに叱られながら育ってよ。何でも自分の思うとおりになると思って育っては駄目だよ。叱られることは有り難いことなんだからね」と、私は当然のような事を言う。これこそお説教というものだろう。しかしこんな型通りのことを聞く機会が、少年たちには少なくなっているように思う。
私はいつもこんな事ばかり少年たちに、言っているのでうるさい庵主さんとして、記憶に残るかもしれない。それは本望。どうかこの無垢な少年たちが、これからいろいろな困難を乗り越えて、人生を勇気を持って歩んでいってくれるよう。人生は自分の思うとおりになることは少ないものだと、幼いうちから身に沁みて体験してくれるよう。大人たちの責任は大きい。与えるばかりが愛ではない。分かり切っているようだが、この頃は与えすぎているように思えてならない。
今でも思い出すことだが、私が小学生であった頃、赤い画板が欲しかった。画板は鞄がついていて、クレヨンや鉛筆や画用紙を入れることができた。その背中部分は画板になっていて、画用紙を挟んで絵を描くことができた。外で写生をするときなど、それがあるととても便利なように見えた。友だちは皆持っていた。私も画板が欲しかった。その中でも赤い色の画板がとても素敵に見えた。毎日坂の途中の文房具やさんの前で、それを見ていた。
でも母には言えなかった。兄が東京の大学に出ていて、家計がとても大変だったのだ。兄が大学に行く頃は、田舎から東京の大学に出すことは、お金持ちの家でもなかなかできる時代ではなかった。母がとても苦労しているのを子供心に分かっていたので、言えなかったのである。赤い画板が、私に、人生は自分の思うとおりにはいかないものだということを、教えてくれた最初の教師だった。今でもその画板の形を思い出すことさえできる。十分に与えられないということは、なんと素晴らしいことではなかろうか。五十年たっても、じっと我慢した思いと共に、小さな画板が生き続けている。
可愛い少年たちよ、お小遣いをもらえることを、当たり前のことと思わずに、頂戴できませんでしょうか、とお願いしながら成長してくださいね。うるさい庵主より。
小ログは子供のこづかいについての連載の途中ですが、我が家は何といっているのだろうかと思い出してみました。
多分、「こづかいを下さい」と言っているような気がします。
風月さんの「説教」は、子どもたちの心に新鮮な響きを持つことと思います。
最近は立ち読み感覚でも寄れないくらい、何かに急かされて日々過ごしていました。
風月さんのログは、今の時代の価値観に一石を投じてくれる何かがありますね。
確かにうるさい庵主(失敬!)なのでしょうが、それを「うるさい」と取るのか、一轉語と取るのか(いずれ取れるのかも)は、その後の生き方に大きく影響してきますね。
私も幼少の頃は「うるさい」ことの連続でした。今となっては両親に感謝する部分大です。
脚下を照らし顧みなければなりませんね。
あれこれとお忙しいとは存じますが、くれぐれも御法身をお大切にお願い致します。
>確かにうるさい庵主(失敬!)なのでしょうが、
と記しましたが、これは風月さんがアップをした文章を受けて引用したものですので、決して他意はございません…念のため
真意を伝えるために書き直せば以下のようになりますかね。
>確かにその子ども達にとってはうるさい庵主なのでしょうが、
ですかね
何気なく読み返してみたら、言葉足らずかな…と思ったもので
お互い「うるさい宗侶」でありたいものですね
ではでは、また今度一緒にヤク○トのみませう!