5月13日(日)曇り一時晴れ間あり【トラック野郎の前後さいだんについて】
環状八号線を走っていたら、「前後裁断」「今を生きる」と、横に大書しているトラックに出会った。それは2トン車のボックス型のトラックである。トラック野郎は好きなことを自分のトラックに書いたり、描いたり、色を塗ったりして楽しんでいるが、このような仏教的な言葉に出会ったのははじめてである。
そこで本日は「ぜんごさいだん」について、少し。
さて「前後さいだん」の字であるが、仏教経典のなかでは、「裁断」ではなく「際断」である。「前後際断」は前後際を断じる、という意味である。前後際とは、前際と後際のことであり、前際は過去、後際は未来、過去と未来を対立的に見る見解を裁断して、絶対の現在に生きること、と『禪學大辭典』(大修館書店)には書かれている。前後際・断であり、前後・裁断ではない。
しかしこの解釈はかなり意訳された一見解でもあるようだ。経典に説かれている『前後際断』の解釈については、前際と後際が断絶していることと言い、それは一切法が空であり、涅槃であること、真理を意味している。また前際は未来から言えば、現在であり、後際はさらなる未来を指す、というように、前際は過去、後際は未来というように固定的にはきめられない。
この言葉は道元禅師の『正法眼蔵』「現成公案」巻にも使われている。道元禅師はここに一箇所使われているだけのようだが、『大般若経』という経典の中には60箇所以上、その他『維摩経』などにも出てくる仏教語である。
このトラック野郎は、おそらく仏教経典の中に出てくる「前後際断」の言葉を知っていて、それを一箇所だけ変えて「前後裁断」として使ったのだと思う。一般的には前後を裁断して、「今に生きる」と続けた方が分かりやすいかもしれないが、それではせっかくの仏教語の本当の意味が失われてしまうので、やはり「前後際断」と大書してくれて、この字は何だ、と、疑問を持って貰った方がよいかもしれない。
一般的に有名な言葉の一箇所を変えて、面白みを狙った言葉などがあるが、「前後際断」はあまり有名ではない仏教語なので、そのまま使って貰う方がよいように思う。それとも前後・裁断のほうが、前後際・断よりも分かりやすいので良いではないかと、言われると果たしてなんと答えたらよいものか。皆さんはいかがお考えになりますか。
さて、このトラックははたしていかなる会社のトラックかと、社名を見ようとしたが、信号が変わってしまったので、読み取れなかったが、英文表記の文字が書かれていて、他の日本語は書かれていないようだった。
いろいろな仏教語を大書したトラックが、どんどん街を走ってくれて、あれは一体どんな意味か、と聞かれたりしたら面白いのだが、などと思ったことである。仏教語は確かに分からない言葉が多いのだが、今日は思いがけず「前後裁断」のトラック野郎のお陰で、「前後際断」を、学んでみた。
「前後際断」の本来の意味からはずれるが、今を刹那的に生きることではなく、前際と後際、それこそ悠久の過去も永劫の未来も全部ひっくるめて、凝集した現在只今を生ききること、と私は受け取った。そんな一日も暮れようとしている。今日は母の日、電子辞書が欲しいというので、プレゼントしました。
*前後際断について『大般若経』の一部を紹介します
此一切法前後際斷。即是寂滅微妙涅槃。
(一切法は前後際断であるが故に寂滅微妙涅槃である。)
*「前後際断」については後日再考します。
*恐縮ながらコメントの管理を管理人お任せで、しばらく試してみますので、宜しく。
環状八号線を走っていたら、「前後裁断」「今を生きる」と、横に大書しているトラックに出会った。それは2トン車のボックス型のトラックである。トラック野郎は好きなことを自分のトラックに書いたり、描いたり、色を塗ったりして楽しんでいるが、このような仏教的な言葉に出会ったのははじめてである。
そこで本日は「ぜんごさいだん」について、少し。
さて「前後さいだん」の字であるが、仏教経典のなかでは、「裁断」ではなく「際断」である。「前後際断」は前後際を断じる、という意味である。前後際とは、前際と後際のことであり、前際は過去、後際は未来、過去と未来を対立的に見る見解を裁断して、絶対の現在に生きること、と『禪學大辭典』(大修館書店)には書かれている。前後際・断であり、前後・裁断ではない。
しかしこの解釈はかなり意訳された一見解でもあるようだ。経典に説かれている『前後際断』の解釈については、前際と後際が断絶していることと言い、それは一切法が空であり、涅槃であること、真理を意味している。また前際は未来から言えば、現在であり、後際はさらなる未来を指す、というように、前際は過去、後際は未来というように固定的にはきめられない。
この言葉は道元禅師の『正法眼蔵』「現成公案」巻にも使われている。道元禅師はここに一箇所使われているだけのようだが、『大般若経』という経典の中には60箇所以上、その他『維摩経』などにも出てくる仏教語である。
このトラック野郎は、おそらく仏教経典の中に出てくる「前後際断」の言葉を知っていて、それを一箇所だけ変えて「前後裁断」として使ったのだと思う。一般的には前後を裁断して、「今に生きる」と続けた方が分かりやすいかもしれないが、それではせっかくの仏教語の本当の意味が失われてしまうので、やはり「前後際断」と大書してくれて、この字は何だ、と、疑問を持って貰った方がよいかもしれない。
一般的に有名な言葉の一箇所を変えて、面白みを狙った言葉などがあるが、「前後際断」はあまり有名ではない仏教語なので、そのまま使って貰う方がよいように思う。それとも前後・裁断のほうが、前後際・断よりも分かりやすいので良いではないかと、言われると果たしてなんと答えたらよいものか。皆さんはいかがお考えになりますか。
さて、このトラックははたしていかなる会社のトラックかと、社名を見ようとしたが、信号が変わってしまったので、読み取れなかったが、英文表記の文字が書かれていて、他の日本語は書かれていないようだった。
いろいろな仏教語を大書したトラックが、どんどん街を走ってくれて、あれは一体どんな意味か、と聞かれたりしたら面白いのだが、などと思ったことである。仏教語は確かに分からない言葉が多いのだが、今日は思いがけず「前後裁断」のトラック野郎のお陰で、「前後際断」を、学んでみた。
「前後際断」の本来の意味からはずれるが、今を刹那的に生きることではなく、前際と後際、それこそ悠久の過去も永劫の未来も全部ひっくるめて、凝集した現在只今を生ききること、と私は受け取った。そんな一日も暮れようとしている。今日は母の日、電子辞書が欲しいというので、プレゼントしました。
*前後際断について『大般若経』の一部を紹介します
此一切法前後際斷。即是寂滅微妙涅槃。
(一切法は前後際断であるが故に寂滅微妙涅槃である。)
*「前後際断」については後日再考します。
*恐縮ながらコメントの管理を管理人お任せで、しばらく試してみますので、宜しく。
いやはやそこまで「マニアック」な言葉があるとは確かに驚きます。よく「天上天下唯我独尊」はみたことありますけれども、「前後際断」というのは、明らかに「現成公案」巻の影響でしょうね。そして、トラックなどに禅語を貼ってもらうというのは、意外な、布教ツールかもしれません。
前後際断、勉強になりました。「今に生きる」はこの頃の私の信条ですので、嬉しくもありました。
外国の人だったと思いますが、「人は二つの生き方しか出来ない。一つは過去の追憶に。二つ目は明日への希望に」即ち今は生きるのが難しいと言うことでしょうか。努力も報われず、辛いことばかり・・・宗教が胎動する温床ですね。
今を生きるのが難しいので、宗教は前世のせいにしたり、来世に期待を持たせたりするのですね。現世利益を謳った宗派もありますが、そうならない結果が毎日見えるわけで、説得力に欠けるでしょう。
風月さんの文章を読んでいると、仏教の理解が深い(当然ですね)のは分かりますが、毎日をとても真面目人間臭く生きておられるように感じます。僧侶とは思えないほどの現世或いは現地球世界への執着?
それにしても、教養とユーモアのあるトラック野郎ですね。無教養でやたらと任侠精神を振り回したり、雲助(ちょっと失礼でした)風の人が多いと思っていました。人は見かけ(職業)によらないとはこのことですね。
伝統的な仏教宗派の布教活動、宣伝活動にはお目にかかった記憶がありまへん。昔はお寺さんゆうたら、生活に密着してましたさかいに、子供時分からなじんで、自然と親の檀家を引き継いだもんやろ。せやけど今は若者は都会に出てしまいよって、仏教は忘れてもうてるんやないやろか。年寄りは何れは死による。このままじゃ、信者減りよるんと違うやろか。当然対策は打ってはるんやろな。
それは実に面白いので、私も考えてみます。
特殊な腕を持ったドライバーに対して、待遇が充分ではないのではないかと思っています。飮酒運転のドライバーだけではないので、もう少し理解して貰いたいですよね。
以前は年中高速道路(特に東名ですが)を走っていたので、楽しい飾りのトラックによく出会いましたよ。
ところで私はあまり真面目人間ではありません。みかけはご存じかもしれませんが。半僧半俗です。一応近代的尼僧と割り切っています。
ただそれほどに、自分の生活に密着したところで行われていないということかもしれません。
ものみの塔の方々や、かつての創価学会の方々のような目に見える布教は少ないと思います。
淨土眞宗では今でも毎朝の集まりはあるのでは?他の宗派についてはよく分かりませんが、曹洞宗では参禅会を開いているお寺は多いですので、是非お尋ね下さい。
閑人さんのお住まいの場所が分かれば、具体的に情報を差し上げられるのですが。
信者が減る可能性もあるでしょうが、その辺のことは、それぞれのお寺でも多少は考えているでしょう。私たちも考えています。
運送業と言っても多岐にわたりますが、ここではトラック運送に絞ります。
運送料金については、○公と言って国が介入した料金体系があります。しかしそれは有名無実で、顧客争奪戦の結果、料金は限りなく値引きされているのが現実です。従って、運転手にしわ寄せが行くか、会社が低収益又は赤字に耐えるかになっています。
風月さんがおっしゃるとおり、日本経済を支えて居る割には、待遇面で恵まれていないのは、実態でしょう。
しかし悪い待遇にめげず、「前後際断」等と書いて粋に走るような人も、この業界には沢山居ると思います。
娘の引越しで3度世話になった赤帽さんなどは、実に勤勉で、明るく、サービス精神旺盛に仕事をしていました。家族で草津温泉に行ったとかで、お土産までもらいました。
直接、間接的に世話になっていることを自覚すれば、雲助の発言はありえないでしょう。
それでもこの業界の人はめげるどころか、前後際断等と粋に仕事をしている人がいるのですね。
私の娘の引越しで3度世話になった赤帽さんなんかは、実に勤勉で、明るく、生き生きと、信じられないほどの低料金で仕事をしてくれました。
年に一度は家族、親族でで草津温泉に行くとか。お土産までもらいました。雲助呼ばわりは、どこから来るのでしょうか。
確かに雲助という表現は、認識をあらたにしていただけると有り難いです。
どんな場にもいろいろですね。聖職者といえどもいろいろですし、学校の先生といえどもいろいろですし。
私も赤帽さんにはお世話になっています。
光泊さんには娘さんがいらっしゃるのですね。生活がチラリと見えるコメントも楽しいですね。