風月庵だより

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可愛い少女たちと

2007-07-09 12:55:12 | Weblog
7月9日(月)曇り【可愛い少女たちと】

昨日の法事でのこと。可愛らしい二人の姉妹が法事の席に並んでいました。お姉ちゃんのほうはとてもおとなしくきちんとお坐りをしています。2歳下で小学一年生だという妹ちゃんはとてもまめに動いていて、お茶を頂いている私に、おもちゃのお野菜をお皿に入れて持ってきてくれました。

おもちゃのお皿を「どうぞ、どうぞ」とすすめてくれるので、私はおもちゃのトマトを一つご馳走になりました。「これは……」と、おもちゃの計算機を持ってきて「一円です」と言う。おままごとを妹ちゃんはとても楽しんでいるし、お姉ちゃんは面白そうに黙って見ています。

周りでお祖母ちゃまは「うるさくしちゃだめよ」と言い、ママは「お姉ちゃんと違って、じっとしていないので困ります」と言います。

そう言われるそばから、妹ちゃんはもう他の遊びを始めています。「法事の間、静かにしていられるかしら」とママもお祖母ちゃまも心配していました。

全員揃ったので、いよいよ法事を始めることになりました。誦経の前に、私は二人の姉妹にひいお祖母ちゃまの法事をする意味をお話ししました。二人にとっては会ったことのないひいお祖母ちゃまですけれど、ひいお祖母ちゃまがこの世にがいらっしゃって下さったから二人も今、この世に生まれていることを話しました。

このような当たり前のことですけれど、そうして有り難うございますという感謝を表すことなのよ、とこれまた当たり前のことを、説明しました。実際の血の流れ、そして実際の血の流れだけではなく、命を頂く大いなる不思議に感謝すること、小さいお子さんにはそのようなお話でよいのではないでしょうか。また多くの僧侶の方もそのようなお話をなさるのではないかと思います。

少し長い法事の誦経やお焼香の間も、二人ともとても静かにお勤めをしてくれました。特に妹ちゃんが神妙に勤めてくれたので、お祖母ちゃまもママもびっくりしていました。

私はご法事の前に、特に小さいお子さんには法事の意味を話してあげることは大事なことだと思います。大人にとってもあらためて納得できるよいチャンスだと思います。当たり前のような話しの披瀝で恐縮ですが、二人の少女と一緒に心を合わせて、法事を勤めさせてもらえたことを、心嬉しくご披露した次第です。

この後、二人が別室に行きましたので、教育について共に話しました。子どもをおおらかに育てるには、親たちや周りの人々が、命のことや縁のことや空について考え得る巨視的な見方を持つことが大事ではないでしょうか。

テクニックとしての子育て論だけでは不十分でしょうし、元気なのびのびと動きたい子どもの芽を摘んでしまわないことも大事ではないでしょうか。また二人を比較して、大人の目に叶う方の子どもを良しとしない配慮も大事ではないでしょうか。

ある程度は子どもの自由にさせてやり、きー、きーしないこと。ただ、危険なことや、人に失礼なことは注意をすることも大事でしょう。

私が帰るとき、本を読んだまま「さよなら」と姉妹が言ったので、お祖母ちゃまは、きちんとお坐りしてご挨拶なさい、と躾けでいました。こういうことは大事だと思いました。子どもを慈しんで育てることは大事業に等しいですね。本当に有り難いことと思います。姉妹の無事な成長を願ってその家を後にしました。

*法事の話しはプライバシーの問題もありますので、あまり書かないようにしていますが可愛い姉妹のお話もしたくて、プライバシーに配慮しつつ書かせて頂きました。

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6 コメント

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余りにも自由を履き違えているから (うさじい)
2007-07-09 16:25:43
>私が帰るとき、本を読んだまま「さよなら」と姉妹が言ったので、お祖母ちゃまは、きちんとお坐りしてご挨拶なさい

何時も言うように、子供の時から躾をきちんと行うことは重要ですよね。
子供を持たない私は子供のしつけのことを言う立場にないかもしれませんが、余りにも今の人たちは子供から年寄りまで礼儀を知らない。

これは、何が大切なのかと言うことを見極める力を持たないからだと思います。このことは価値観の喪失が根底ににあるのかもしれません。
見極める力がなくても、仏教を学べば解るはずなのですが、学ばないで却って遠ざけている。

国民皆兵制度で自分の国の大切さを知り、国民皆僧制度で心の大切さを知るようになれば良い国になるかもしれない・・・ですね。
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うさじいさんへ (風月)
2007-07-10 18:51:47
国民皆僧制度のあるタイなどは、信仰心や礼儀を守らなくてはならないという気持ちが、国民にあるのではないでしょうか。

勿論よい面ばかりではないかもしれませんが、基本的なバックボーンがある、ということは人々にとって生きる目安、灯り、道しるべがあるということが言えるでしょう。

韓国のように皆兵制度のある国は、若者たちの愛国心は日本よりはあるでしょうね。

どちらも日本にはありませんので、草の根運動で、人間としての当たり前の礼儀を教えたり、等々、心ある一人一人に課せられている、と理解したほうがよいのではと思っています。
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子供と法事 (春女)
2007-07-13 17:55:08
このような形で子供が自然に宗教に親しんで行くのはいいですね。成長してそのまま仏教に親しむか、はたまた別の宗教に興味を持つかは本人次第ですが、幼児の間にある方向に一歩踏み出していることが肝心ですね。
従って何事も先人が確立した形から入るのがいいのですね。特に幼児の時から身に着けた形は、一生ものだと思います。形が出来た後で、頭が発達してその意味を考え、疑い、そして納得できるのでしょう。
核家族の我が家においては法事なるものはありませんでした。従って子供は全く宗教の形に出会うことがありませんでした。
上の娘が始め出会ったのは、私が厄除け地蔵に行った時です。出てきたお坊さんを見て、あの人髪がないと言いました。回りの人はくすくす笑い出します。次にお坊さんが木魚を叩いてお経を読み始めますと、木魚に合わせて、ポン、ポン、ポンと唱和します。初めての子で甘やかして育てましたので、怖いもの知らずです。静かにさせるのに四苦八苦で、厄除けどころではありませんでした。思い出す度冷や汗ものです。
結果として、娘は神をも、親をも、世間をも畏れない、化け物に育ってしまいました。
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春女さんへ (風月)
2007-07-13 21:00:25
畏怖の念は無い方がよいのか、有る方がよいのか、一長一短でしょうが、見えざるものへの畏怖や敬意を払うことは、その人を豊かにしてくれるように思います。

一切の畏怖無く育った人が、心豊かな人間であってくれれば、それはそれとして、と思いますが、春女さんのお嬢さん達は如何なのでしょう。

お父さんのコメントの感じでは、お父さんの願いのようではなかったように拝察します。

今からでは遅いでしょうか。しかし、人間は変化し続ける存在ですから、決めつけられないでしょう。お嬢さん達に豊かな人間性が育つよう願っています。いやおとうさんが知らないだけかもしれませんよ。他の人と接している時は違うかもしれません。

信頼してあげることが大事なのかもしれません。お節介の一言でした。
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可愛いてたまりまへんな (閑人)
2007-07-15 18:37:31
法事に来た尼さんとおままごとでっか。天真爛漫とはこんなことをゆうんでっしゃろな。
大体、お姉さん(とうはん)はしっかり者、妹(いとはん)はおてんばと相場は決まってま。多分風月はんも長女ではおまへんやろな。
春女はんの上の娘はんはかなりのおてんば風。ほんなら下の娘はんはさぞかし飛んどるんやろな。
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閑人さんへ (風月)
2007-07-15 22:47:35
確かにとうはんはしっかり者、いとはんはおてんば、というのが相場でしょう。

私も一人姉がいます。しっかり者です。

春女さんのお嬢さんたちはどんなでしょうか。特に現代の子供たちですから、親の年代には理解しがたい飛んでる点も多々あるでしょうね。

男の子についてはどうなのでしょうね。

長男はおっとり、次男は腕白といったところでしょうか。
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