11月3日(水)晴れ【聖徳太子考(1)聖徳太子は実在したか】
今年は、聖徳太子様の薨御後千四百年ということで、ご縁のある各寺で千四百年御聖忌慶讃の式典が営まれたようです。和宗総本山の四天王寺はもとより、聖徳宗の各寺院、法隆寺や中宮寺など、また曹洞宗でも大阪の萩の寺東光院では、聖徳太子様が観音様の化身であるというということで、東光院は観音霊場でもあり、鎌倉時代の作とされる太子孝養像があるそうですので、「千四百年御聖忌慶讃の萩まつり道了祭」(大雄山最乗寺の道了様)を営まれたそうです。
大阪市立美術館では、10月24日まで千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処の天子」も営まれていました。コロナ禍でなければ行きたいところでした。たしか、東京でも開催されたかもしれません。
さて、聖徳太子様については、歴史学者である津田左右吉(1873~1961)が、近代実証主義を日本古代史の研究にとりいれ、『古事記』や『日本書紀』の記述を歴史の史料としては事実とはことなるという記紀批判で分析し、聖徳太子は実在しなかったという説を主張しました。その流れを坂本太郎(1901~1987)、その弟子井上光貞(1917~1983)、さらに大山誠一(1944~)という東大閥のいわゆる歴史学の大学者が受け継いだので、一時、聖徳太子様の実在は否定され、『古事記』や『日本書紀』で、創作されたかのような学説が、歴史学会を席巻していたとさえいえるのではないでしょうか。
今年、駒澤大学の名誉教授石井公成先生のオンライン講義で「聖徳太子は「海東の菩薩天子」たらんとしたか」ー「憲法十七条」と『勝鬘経義疏』の共通部分を手がかりとしてーという題で講義をしてくださいましたが、先生が席を置いていらっしゃた研究所でしょうか、もしくは研究会でしょうが、聞きそびれましたが、津田説が強かったそうで、反論しずらい雰囲気さえあったようです。
しかし、いまや、聖徳太子様の実在を否定する学者さんは、いらっしゃらないのではないでしょうか。しかし、わかりませんね。津田左右吉や大山説が正しいとする先生がいないとは断定できません。大山先生はご存命なのでしょうか。
しかし、私は学説とは全く無関係であり、なんの根拠もありませんが、聖徳太子様は実在なさった、と確信しています。それはある時、天の声を聴いたことに拠ります。「聖徳太子はこの日本を今でも守ってくださっています。聖徳太子様のテリトリーは日本です」というような言葉でした。「というような」とは、今手元にその時の文言を書き留めた手帳が見当たりませんので、細かい表現は違うかもしれません(後で探しましたら、確認します)。これだけではなく、後日奈良にある「大倭紫陽花邑」を訪問した時、矢追日聖法主様の奥様にこんな言葉が聴こえたのですが、と半信半疑で言いましたら、「うちの法主様と、聖徳太子様はいい友達でっせ、上に行った時、よく会うそうでっせ」と言われたのです。その時、法主様はご存命で、時々天界に行っておられたようです。法主様の家系は3代続く大霊能者です。お金儲けはなさいませんでしたが、奈良の市長さん(故鍵田忠三郎氏)も信頼され、福祉事業をなさった方です。この法主様の奥様の言葉が無ければ、私が聴いたのは、空耳か私の妄想でおわりでしょうし、その後の私と霊界との交流も、精神的な分裂と自分で判断しなければならなかったかもしれません。
私には適任の審判者(さにわ)をする役の人がいませんでしたのと、私に霊能を生かすだけの十分な慈悲の心がないことと、とにかくコツコツと仕事をすることが好きなことと、なにより明日何があるか分からなくても勇気をもって生きるのが、人間のロマンと思っているので、霊界とのお付き合いはお許しいただいたような次第です。
このような全く学説的にも、論証不能なことを根拠に私は、聖徳太子様実在説を信じているわけです。