10月2日(月)曇り【"故郷の話をしよう"】
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皆様お久しぶりです。このところ出かけることが多く、書くことができませんでした。二年前から母に頼まれていたことがあり、それを叶えてあげる用事が一つありました。言うなれば冥土のみやげのようなもので、生きているうちに古い友人に会いたいという母の願いのためにちょっと出かけておりました。
仕事のきりがつかないこともあり、二年も待って貰っていたのですが、母が生きていてくれてよかった、と思います。もし約束を果たさないで、最終の旅行に出かけられてしまったなら、きっと私は約束を果たさなかったことを悔やんだでしょう。
御陰様で無事その約束は果たせました。しかし、また新たなる願いを母は持ったようです。キリがないようです。これはさりげなく聞かせてください。
それから私は故郷の中学校の同窓会に行って来ました。私は中学校から東京に出てきたので、故郷の小学校だけのつき合いですが、メンバーに入れてもらえています。仲良しの友だちのお陰です。
誰とでも仲良く遊んだ小学校時代ですけど、特に仲良しは、お寺の○チャンや、美容院の娘で今は美容院を継いでいる○チャンや、最近まで売れっ子の芸者さんだった○チャンやら、いろいろです。
私はご存じのように女性ですが、○○クン、と愛称で呼ばれていて、今でもそう呼ばれます。他の人は女の子は「チャン」、男の子は「クン」づけで、小学校時代の呼び方のまま。還暦にもなろうというおばさん、おじさん達が、お互いに○○チャン、▲▲チャン、□□クンと呼び合っているのですから、楽しいとしか言いようがありません。(いやおかしいでしょうか。)
先生方も三人ご出席下さいました。三人とも、もう八〇歳を過ぎています。そのうちのお一人の先生にはよく怒られて立たされた話などに花が咲きました。ある人は図書館に立たされたまま、先生も忘れて帰ってしまった話やら、今のピーティーエーの方々には想像もできないような話しでしょう。しかも女の子の方がよく立たされていたのですから。先生は本当に熱血先生でした。
「先生に怒ってもらって、本当によかったと思っているよ」と皆言います。今の子供達には想像もできないことでしょう。「でもあんまりあたしが言うことを聞かないんで、先生が親に言いに来たんさ、でも家の母ちゃんは、うちの子はいい子ですよ、って笑っているんさ。陰からそれを聞いてて、あたしはいい子になろうと反省したんさ」と、一人の友人は言います。そんなことがあったのかと、私は聞いていて感心した。
こんなこと一つとっても、私たちが育った時代は幸せな時代だったのではなかろうか。小学校の校歌を歌ったが、歌に詠まれる「仰げば高い谷川岳」と「流れも清い利根川」の自然に囲まれて、同窓会に集まったような友人達と小学校時代を過ごせたことは、一生の宝と言えるでしょう。
はや泉下に先に逝ってしまった友も何人もいます。また母親が残っているのは、極僅かです。「みんな生きている間にまた会おうね」と次回の約束をして故郷を後にしました。次回に私が生きているかは分かりません。また友の面々にも分からない話です。
谷川岳の麓、「旅館たにがわ」という小学校の友が営むホテルでの同窓会でした。
陶淵明が「雲無心以出岫(雲は無心にしてもって岫を出づ)」と詠んだような、山間の静かな宿での故郷の同窓会に行ってまいりました。(「*雲は嶺頭に在って閑不徹、水は澗下を流れて太忙生。」という言葉もありますが、自然に恵まれた、もてなしの行き届いた素晴らしいお宿です。)
また少しずつ当庵のブログを管理しますが、留守の間もご訪問下さり有り難うございました。
*雲在嶺頭不徹。水流澗下太忙生。:おそらく大愚守芝(不詳、汾陽善昭〈947~1024〉の法嗣)の言葉。大自然の姿に、人間の分別・比較・評価の入り込めない世界の消息を示している。
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皆様お久しぶりです。このところ出かけることが多く、書くことができませんでした。二年前から母に頼まれていたことがあり、それを叶えてあげる用事が一つありました。言うなれば冥土のみやげのようなもので、生きているうちに古い友人に会いたいという母の願いのためにちょっと出かけておりました。
仕事のきりがつかないこともあり、二年も待って貰っていたのですが、母が生きていてくれてよかった、と思います。もし約束を果たさないで、最終の旅行に出かけられてしまったなら、きっと私は約束を果たさなかったことを悔やんだでしょう。
御陰様で無事その約束は果たせました。しかし、また新たなる願いを母は持ったようです。キリがないようです。これはさりげなく聞かせてください。
それから私は故郷の中学校の同窓会に行って来ました。私は中学校から東京に出てきたので、故郷の小学校だけのつき合いですが、メンバーに入れてもらえています。仲良しの友だちのお陰です。
誰とでも仲良く遊んだ小学校時代ですけど、特に仲良しは、お寺の○チャンや、美容院の娘で今は美容院を継いでいる○チャンや、最近まで売れっ子の芸者さんだった○チャンやら、いろいろです。
私はご存じのように女性ですが、○○クン、と愛称で呼ばれていて、今でもそう呼ばれます。他の人は女の子は「チャン」、男の子は「クン」づけで、小学校時代の呼び方のまま。還暦にもなろうというおばさん、おじさん達が、お互いに○○チャン、▲▲チャン、□□クンと呼び合っているのですから、楽しいとしか言いようがありません。(いやおかしいでしょうか。)
先生方も三人ご出席下さいました。三人とも、もう八〇歳を過ぎています。そのうちのお一人の先生にはよく怒られて立たされた話などに花が咲きました。ある人は図書館に立たされたまま、先生も忘れて帰ってしまった話やら、今のピーティーエーの方々には想像もできないような話しでしょう。しかも女の子の方がよく立たされていたのですから。先生は本当に熱血先生でした。
「先生に怒ってもらって、本当によかったと思っているよ」と皆言います。今の子供達には想像もできないことでしょう。「でもあんまりあたしが言うことを聞かないんで、先生が親に言いに来たんさ、でも家の母ちゃんは、うちの子はいい子ですよ、って笑っているんさ。陰からそれを聞いてて、あたしはいい子になろうと反省したんさ」と、一人の友人は言います。そんなことがあったのかと、私は聞いていて感心した。
こんなこと一つとっても、私たちが育った時代は幸せな時代だったのではなかろうか。小学校の校歌を歌ったが、歌に詠まれる「仰げば高い谷川岳」と「流れも清い利根川」の自然に囲まれて、同窓会に集まったような友人達と小学校時代を過ごせたことは、一生の宝と言えるでしょう。
はや泉下に先に逝ってしまった友も何人もいます。また母親が残っているのは、極僅かです。「みんな生きている間にまた会おうね」と次回の約束をして故郷を後にしました。次回に私が生きているかは分かりません。また友の面々にも分からない話です。
谷川岳の麓、「旅館たにがわ」という小学校の友が営むホテルでの同窓会でした。
陶淵明が「雲無心以出岫(雲は無心にしてもって岫を出づ)」と詠んだような、山間の静かな宿での故郷の同窓会に行ってまいりました。(「*雲は嶺頭に在って閑不徹、水は澗下を流れて太忙生。」という言葉もありますが、自然に恵まれた、もてなしの行き届いた素晴らしいお宿です。)
また少しずつ当庵のブログを管理しますが、留守の間もご訪問下さり有り難うございました。
*雲在嶺頭不徹。水流澗下太忙生。:おそらく大愚守芝(不詳、汾陽善昭〈947~1024〉の法嗣)の言葉。大自然の姿に、人間の分別・比較・評価の入り込めない世界の消息を示している。
何時になったら再開されるのかと、心待ちにしておりました。
そんな近くまで来られたのでしたら、お寄り下さればよかったのに。
せっかくなのに寄らせてもらえないですみません。
いろいろとありすぎて、頭の切り替えに大忙しの日々です。加齢をもう少し認識しないと、いけないと反省しています。