2月8日(火)曇り【校正作業】
このところ校正の仕事で頑張っていました。校正はいくらしてもきりが無いとさえ言えます。もう校正ミスはないだろうと思っても、意外なミスがあったりします。
一冊の本としての統一などの手直し、さらに文章の推敲など、初校校正の折にほぼできたかと思っていました。やれやれこれでやっとこの仕事から解放される、バンザイ、と思っていました。
しかし、再校が手元に届きましたら、初校の校正チェックだけで終わりかと思っていましたのに、やはり、統一しきれていなかったところに気が付いたり、内容のさらなる確認作業をしたくなりますし、やはり文章の推敲がしたくなってしまうのですね。
初校で50%、再校で30%、3校で10%、その他10%という作業でしょうか。
おそらく今年のうちには出版して頂けるのではないかと思いますが、また出版されましたら紹介させて頂きます。何ごとも出来上がったときでないと確実なことは言えません。
この本をまとめるために、だいぶ時間がかかりましたが、本作りは校正こそ命、と思います。校正の方法を研究所でもだいぶ教えてもらいましたが、一昨年自分の本を出版するときに、中央公論事業出版の担当の方に随分お教え頂きました。
今回の本作りでも、それがかなり役に立っていると思います。
まだ統一しきれていないと思うのが、一つの言葉で漢字にするかひらがなにするかの統一、例えば「分かる」か「わかる」か、や、禅師をつけるかつけないか、ルビは初出の文字にふっているかどうか etc.
中国の年号で、太和か大和かという問題もあります。唐時代は大和(827~835)が正しいのだそうですが、『東方年表』でも「太和」になっています。しかし、北魏時代は「太和」でなくてはいけないのに「大和」になっていたのを校正したりします。
また今回は史伝資料では、勿論新暦の年月日ではないのですが、それを『日本暦日原典』を使って、祖師の卒年だけユリウス暦で計算しなおしてみました。そうしますと860年の卒年とされていたのが、861年が新暦としては正しいということになる場合があります。
達磨大師は、幾つかの説がありますし、10月5日が達摩忌として定着していますから、あえて新暦計算はしませんでした。しかし、初校の段階で、お一人の祖師の新暦計算をし忘れていました。勿論、校正の段階でやりなおさなくてはなりませんが、それに集中していたときはよいのですが、頭をそれに戻すのが、面倒でしたし資料も探さなくてはなりません。
再校もやはり時間のかかる作業でした。しかし、3校は、……、おそらく簡単!!!の筈ですが、果たして……
それはまた3校が終わったときに報告します。
とにかく、一段落すみましたので、今日はホッとしています。
やはり出版する以上は、読者の皆さんにとって読みやすい良い本にしたいですから、昨日は、真夜中まで、つい作業をしてしまいました。ふと気が付くと、ルナがパソコンの蔭で寝ていました。どうも私の仕事が終わるのを待っていてくれたように思います。
お疲れ様、ルナちゃん。
このところ校正の仕事で頑張っていました。校正はいくらしてもきりが無いとさえ言えます。もう校正ミスはないだろうと思っても、意外なミスがあったりします。
一冊の本としての統一などの手直し、さらに文章の推敲など、初校校正の折にほぼできたかと思っていました。やれやれこれでやっとこの仕事から解放される、バンザイ、と思っていました。
しかし、再校が手元に届きましたら、初校の校正チェックだけで終わりかと思っていましたのに、やはり、統一しきれていなかったところに気が付いたり、内容のさらなる確認作業をしたくなりますし、やはり文章の推敲がしたくなってしまうのですね。
初校で50%、再校で30%、3校で10%、その他10%という作業でしょうか。
おそらく今年のうちには出版して頂けるのではないかと思いますが、また出版されましたら紹介させて頂きます。何ごとも出来上がったときでないと確実なことは言えません。
この本をまとめるために、だいぶ時間がかかりましたが、本作りは校正こそ命、と思います。校正の方法を研究所でもだいぶ教えてもらいましたが、一昨年自分の本を出版するときに、中央公論事業出版の担当の方に随分お教え頂きました。
今回の本作りでも、それがかなり役に立っていると思います。
まだ統一しきれていないと思うのが、一つの言葉で漢字にするかひらがなにするかの統一、例えば「分かる」か「わかる」か、や、禅師をつけるかつけないか、ルビは初出の文字にふっているかどうか etc.
中国の年号で、太和か大和かという問題もあります。唐時代は大和(827~835)が正しいのだそうですが、『東方年表』でも「太和」になっています。しかし、北魏時代は「太和」でなくてはいけないのに「大和」になっていたのを校正したりします。
また今回は史伝資料では、勿論新暦の年月日ではないのですが、それを『日本暦日原典』を使って、祖師の卒年だけユリウス暦で計算しなおしてみました。そうしますと860年の卒年とされていたのが、861年が新暦としては正しいということになる場合があります。
達磨大師は、幾つかの説がありますし、10月5日が達摩忌として定着していますから、あえて新暦計算はしませんでした。しかし、初校の段階で、お一人の祖師の新暦計算をし忘れていました。勿論、校正の段階でやりなおさなくてはなりませんが、それに集中していたときはよいのですが、頭をそれに戻すのが、面倒でしたし資料も探さなくてはなりません。
再校もやはり時間のかかる作業でした。しかし、3校は、……、おそらく簡単!!!の筈ですが、果たして……
それはまた3校が終わったときに報告します。
とにかく、一段落すみましたので、今日はホッとしています。
やはり出版する以上は、読者の皆さんにとって読みやすい良い本にしたいですから、昨日は、真夜中まで、つい作業をしてしまいました。ふと気が付くと、ルナがパソコンの蔭で寝ていました。どうも私の仕事が終わるのを待っていてくれたように思います。
お疲れ様、ルナちゃん。
雲泥の差がありますが、時々お送りいたします寺報も私なりに苦しみぬいて作り上げます。
とりあえずは一安心のようで目出度く存じます。
出版の際にはご連絡ください。真っ先に注文いたしましょう。
実は目が覚めまして、校正し忘れていたことや、補足しなければならないことが、思い浮かびました。
他の人の校正でも完璧はありませんが、著者校正はきりがないとも言えます。
そちらもお送り下さいます寺報も、きっと後から、あそこはこうすればよかったとか、思いつくのではないでしょうか。
昨日は「空」についての論文お送り頂き有り難うございました。