1月7日(土)晴れ【当寺は直葬は受けません】
新しい年が明けまして、はや、7日目ですね。10日から仕事始めの人が多いのでしょうか。さて、私は今日は、ご葬儀を勤めさせていただきました。一昨日、「檀家さんで直葬をしたいという方がいるのですが」と言って、石材店の人が訪ねてきました。
勿論直葬はダメです。お寺の檀家さんである以上、きちんとご葬儀をしてあの世にお送りしたい、と住職は当然、そう思っています。聞けば、息子夫婦だけ親戚も遠くに住んでいて、弔問に来られないし、自分たちだけなので、お葬式はいらない、というような考えだそうです。
皆さん、お葬式は誰のためとお思いでしょうか。
お葬式は、あの世に帰る人のためです。あの世に帰る儀式と言ってもよいでしょう。まして、この度の故人は心不全で突然の死を迎えた人です。息子さんのお母さまである故人に、死を実感し、死を受け入れてもらうために、大切な儀式であり、感謝を持って、懇ろにお見送りするのが、この世にいて見送る者の勤めです。
もしお布施がないのなら、包めるだけでよいのです。お布施はいらない、ということもいけません。お布施は住職のポケットマネーになるのではありません。法施に対しての、お礼の財施ですから、金額の多寡ではなく、お包みすることが大事です。
この頃、特にコロナ禍以降、多いと聞きますが、直葬を僧侶が、他の宗教者であれ、それを受けることは、再考をお互いにしたいと思います。
最近「有道会会報」を読んでいましたら、永平寺の小林昌道監院老師が、宮崎禅師様に次のように諭された言葉が書かれていました。「世の中、略儀略儀の時代でなんでも略してしまいがちです。物事を略すことを覚えてしまうと、なかなか本来に戻すことが難しくなる。云々」と。
また同じこの会報に、葬儀社さんのご葬儀へのかかわり方についての質疑応答もありました。確かにある悪徳な葬儀社が多額の葬儀費用をとり、問題があると、私は常に檀家さんに注意を伝えています。葬儀費用もリーズナブルでよいのです。ちょっと問題がそれましたが、この度の施主さんも市内の人ではなく、初めて施主を勤めるようで、よくわからないこともあるようでした。しかし、葬儀社の方が、菩提寺があるのならば、勝手なことはできませんと言って、住職の意向を受けて、きちんと話をしてくれたようです。
お陰様で、参列は息子さんご夫婦の二人でしたが、葬儀の前に、きちんと葬儀についても話をし、お母さまへの感謝を持って、旅立ちをお見送りすることの大事なことを話したりいたしまして、無事に、本日のご葬儀を勤めさせていただきました。
私は、あの世の人たちと、何回か交流したことがありますので(夢幻と思う方はご自由に)、僧侶として、ご葬儀を勤めることがいかに大事か身に染みています。引導法語も一人一人に作ります。大事なお見送りの法語です。精神統一して、亡き人の人生を辿っていくと、胸がいっぱいになることがたびたびあります。ともに人生を振り返っている気持ちになります。そうして、ほとんどの方の人生、見事、御立派、本当にお疲れ様でした、という思いになります。
そうして、あの世でもしっかりご修行くださいませ、と、思います。
お互いに、必ず、この世の終わりがあります。今年もご機嫌よく暮らしましょう。ベストを尽くして。