8月15日(水)晴れ、猛暑【終戦の日】
310万人以上もの犧牲を出してしまった戦争。二度と戦争を起こさないように、一人一人が、しっかりした反戦の意識を、持たなくてはならないだろう。
戦争に加担するのはやめよう。イラクに派兵するのもやめよう。被爆国として、戦争をやめるよう説得する側にたとう。経済的に豊かになったからといって、奢るのはやめよう。戦争で疲弊していた時代を思い出そう。食べ物が無くて、ひもじい思いをしていたことを忘れまい。餓死した子供のいたことを語り継いでいこう。
平和ボケの現状の中で、憲法九条の変更(改悪か、改正か)を論じる危うさ。
戦争を知らない子供たちも、還暦をすでに迎えた戦後62年。8月15日は戦争の悲惨さを語り継いでいく日として、大事な一日。戦争を知らない私であるが、戦争で亡くなった人々の話や、兵隊さんの母の話や、父さん、と叫ぶ声を聞くと、涙がこみ上げてくる。私が受け継いだ炎のバトンの中には、戦争で亡くなった人の炎があるような気がしている。
今日は猛暑、棚経の間、停めて置いた車中の温度計が、なんと65度を示していた。クラクラしそうになりながら、今日のお勤めも終わり。明日もう一日、勤めさせてもらえば、今年のお盆も無事に終わりである。今年もなんとか勤めさせてもらえたが、(おそらく地球温暖化現象の影響もあろう)猛暑は、お坊さん泣かせでもある。
この頃は、私が、お盆で伺うお家に、兵隊さんのお位牌のある家は殆どなくなった。東京や、東京近郊は分家が多く、そのようなお家に伺うからであろう。
戦死した息子を持つ母親も少なくなったであろうし、戦死した夫を持つ妻も、恋人を持つ女性も、戦死した父を持つ子供たちも、だんだんに日本には少なくなる。
8月15日、終戦の日に、戦争の悲惨さを語り継いでいこう。日本にはいつまでも、(第二次世界大戦の)「戦後何年」という表現が続く国でありますように。第三次は決して無いよう。そして世界に戦争の愚かさを発信していく国でありますように。
美しい国よりも、平和を願う国でありますように。
310万人以上もの犧牲を出してしまった戦争。二度と戦争を起こさないように、一人一人が、しっかりした反戦の意識を、持たなくてはならないだろう。
戦争に加担するのはやめよう。イラクに派兵するのもやめよう。被爆国として、戦争をやめるよう説得する側にたとう。経済的に豊かになったからといって、奢るのはやめよう。戦争で疲弊していた時代を思い出そう。食べ物が無くて、ひもじい思いをしていたことを忘れまい。餓死した子供のいたことを語り継いでいこう。
平和ボケの現状の中で、憲法九条の変更(改悪か、改正か)を論じる危うさ。
戦争を知らない子供たちも、還暦をすでに迎えた戦後62年。8月15日は戦争の悲惨さを語り継いでいく日として、大事な一日。戦争を知らない私であるが、戦争で亡くなった人々の話や、兵隊さんの母の話や、父さん、と叫ぶ声を聞くと、涙がこみ上げてくる。私が受け継いだ炎のバトンの中には、戦争で亡くなった人の炎があるような気がしている。
今日は猛暑、棚経の間、停めて置いた車中の温度計が、なんと65度を示していた。クラクラしそうになりながら、今日のお勤めも終わり。明日もう一日、勤めさせてもらえば、今年のお盆も無事に終わりである。今年もなんとか勤めさせてもらえたが、(おそらく地球温暖化現象の影響もあろう)猛暑は、お坊さん泣かせでもある。
この頃は、私が、お盆で伺うお家に、兵隊さんのお位牌のある家は殆どなくなった。東京や、東京近郊は分家が多く、そのようなお家に伺うからであろう。
戦死した息子を持つ母親も少なくなったであろうし、戦死した夫を持つ妻も、恋人を持つ女性も、戦死した父を持つ子供たちも、だんだんに日本には少なくなる。
8月15日、終戦の日に、戦争の悲惨さを語り継いでいこう。日本にはいつまでも、(第二次世界大戦の)「戦後何年」という表現が続く国でありますように。第三次は決して無いよう。そして世界に戦争の愚かさを発信していく国でありますように。
美しい国よりも、平和を願う国でありますように。
戦争を知っている人があまり語りたがらず、また後二十年もすれば居なくなってしまいます。日本人の努力にも拘わらず、戦争の記憶はどんどん風化し行くことでしょう。そのことが、この先戦争に巻き込まれることにつながらないことを祈ります。
ラジオで聞きましたが、九段の武道館で行われた今年の戦没者慰霊の式典で、確か101歳のおばあさんが参列したそうです。聞き間違いでなければ、この方が戦争で息子をなくした最後の人だとか。軍人とし戦死した息子の母の意味だと思います。学徒出陣で20歳だとすると、母はその時40歳くらい。戦後62年で大体計算が合います。
この計算で行けば、後20年で戦争で嬰児まで含めた子供を亡くした母はほとんど居なくなります。更に20年で終戦時に20歳前だった青年以下の人も亡くなります。即ち後40年経つと、全員が平和ボケの戦後生まれになります。
長生きしすぎると、悲惨なことが待っているかもしれませんね。
先ほど、地球儀を眺めていましたが、イランもかなり領土は広いのですね。この国も恐い国です。
インド旅行をしたとき、ホメイニ批判をしたイランの留学生が、いつの間にか姿を消されていた話を思い出します。
中国も領土は広いですね。中国から、春女さんのご両親は引き揚げてこられたとか。人には言いたくないご苦労が、あったのでしょう。
しかし、これから、日本はどうなりますやら。平和ボケというよりも、躍らされやすく、煽てられやすい、外交下手な人種ですから、危ういですね。
それが、平和のときには、良さでもありますから、卑下するだけでは、先にすすみません。
日本のみならず、世界は進歩よりも、退歩を真剣に学ぶ時がきていますでしょう。
異次元の世界に逃げ込むわけにもいかないでしょう。