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10月4日(月)雨【はや10月】(お気に入りの椅子の上で)
光陰矢の如し
歳月人を待たず
こんな言葉に出会いますと、落ち着きませんね。
ちょっと今ゼミの当番に当たっていますので、遊び歩かないようにルナに見張られています。
読書の秋です。一枚一枚頁をめくる楽しみ。パソコンでの読書には向いていない世代です。
短い秋をお楽しみ下さい。
ルナの目は何を見ているやら。
光陰矢の如し
歳月人を待たず
こんな言葉に出会いますと、落ち着きませんね。
ちょっと今ゼミの当番に当たっていますので、遊び歩かないようにルナに見張られています。
読書の秋です。一枚一枚頁をめくる楽しみ。パソコンでの読書には向いていない世代です。
短い秋をお楽しみ下さい。
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10月になりだいぶ身体がらくになりました。夏痩せが止まり今度は少しずつ肥えて12月までには5kg程肥えるでしょう(毎年のことです)それだけ夏は身体に厳しいです。
10月に入ったらすぐに金木犀(この市のシンボルの樹木)が香りだし空気が気持ちよいです。それから庭先に紫式部の実が可憐になっています、本当に過ごしやすくなりました。但し蚊でて来ました、夏はほとんどいませんでしたが。(まあこれくらいは辛抱するとします)
ところで[木犀の話]碧巖録のどこかに在った(無文老師の碧巖録物語のどこか?)ように記憶してますが…。
話しが長くなりましたこの10月かけがのない時を読書に(脱テレビで)励みたいです。
皆様 どうぞおたいせつに。 拝
気がつけば、この近所にも金木犀の香りが満ちていました。
木犀の語が出てくる箇所を見つけてみました。『無文和尚語錄』「上堂。一樹木犀供夜雨。法身三種病二種光。倒腹傾腸分明道取。汝等諸人見似不見聞似不聞。清香移在菊花枝了也。齪漢歸堂喫茶去。」
秋の夜長、灯火親しむの候、テレビは危険物ですね。
荷物を少なくするときに、電子辞書に和洋の名著をダウンロードしたものを持っていきますが、見難いこと甚だしい。
やはり、薄い文庫本で良いから一冊携帯するのが良いですね。
師匠が、活字中毒だったのを思い出す記事でした。
視力を守ることがいかに大事なことか、若い頃には思いもよらないことでした。
読書の秋を楽しみたいです。
一昔前の人は、テレビも無いし、パソコンも無いし、ゲームも無いし、本を読むのに、自然とよい環境があったように思います。
そのうちにテレビは、処分しようかと思っているほどです。誘惑するのはテレビか、他のせいにしては一切いけませんね。
今日はお休み。のんびりと過ごしました。
猫ちゃんのペットフードと砂をゆったりとした気持ちで自転車に乗って買いに行きました。途中 黒い塀から柿の木が枝をだし気持ちよく色づいていました。よく見ると野鳥が柿を一生懸命つついて食べていました。何かそれが動いています[それ]秋というか、時というか [それ]を感じて嬉しくなりました。きっとリラックスしていたからだと思います。 メールに在った汝等諸人見似不見聞似不聞。意味考えていましたが、漢文 あてずっぽうに考えてYou should find[it]without senses of seeing and hearing. としてみました。senses… は five senses(五感)にしたほうがよいか?なににしても似不見聞似不聞が超意訳(誤訳)なので…。逃げで[it]を入れました。かえりみち同じ道かえって来ました。[それ]を感じながら。非風非幡の話し思いだしながら…秋 いっぱい です …。 就寝まえ ゆったり御任せ座禅 今日もします。皆様 素晴らしい秋頂きましょう。拝
「法身三種病」は「雲門三病」のことだそうで、「禅門三病」ともいうそうですね。
雲門さんが、仏道修行中の病を三種に分けたのです。
一、未到走去ー悟境に到らないで、相対分別に滞ること。
二、已到住著ー悟境に達しても、それに執着して自由になり得ないこと。
三、透脱無依ー悟境に達して、一物にも依倚しない自由をえたと思いこむこと。
こうなると道はいよいよ遠しという感じですが、悟境にこだわらなければ、よいのじゃなかろうか、と思いますね。
「齪漢歸堂喫茶去」というところを頂いておきたいです。
話は変わりますが、あちこちに金木犀の香りがただよっていますね。
清風さんのコメントから意識しました。意識しないでも、ただよってきていたのに、齷齪していますから。
本当に、坐禅するのに、好季節です。