11月29日(月)晴れ【『未知よりの薔薇』を読んで】
全八巻を購入しようと思ったが、ちょっとしたミスで結局「第一巻 由来篇」だけを注文してよかった。というのは、年末のこの忙しい時期に、全八巻が届いたら、何も手につかなくなるところだったから。
今日、郵便受けにこの本を見つけてから、開くとあぶない、と思ったのだが、やはり最後まで読むのを抑えられなかったのです。
大変に素晴らしい内容です。今まで読んだ本の中で、この本程、興味深く読ませてもらった本はなかったと言ってもよい程です。
人間の「霊性」と、そして「聖性」について、説き明かされています。
アンドレ・マルローについて大学で論文を書き、後にマルローその人と、深く交流することになる。この著を通して、マルローという一大文学者の霊性を垣間見させてもらい、さらにマルクス主義に侵されてはならないことを、日仏交流の場で演説したことなど目の覚める思いがしました。
しかし、その言葉が発せられるや、マイクのスイッチを、日仏会館に出入りしている怪しい人間が、切ってしまったなどという話は、全く知らないことで、考えさせられました。また、マルローが米露に牛耳られてはならない(別の表現でしたが、今探している時間が無いので、恐縮ながら)と、警告していたことを慧眼であり炯眼であると思う。日本民族は、アメリカの占領政策によって、失ってしまったことがあまりに多すぎました。アメリカばかりではなく、日教組もその片棒を担いだのではないでしょうか。
私は日本至上主義ではなく、どの民族も固有の魅力ある民族性があると思うのですが、日本人固有の魅力ある民族性が、占領政策によってズタズタにされてしまったと、痛感しています。この地球上の人類は、それぞれ、固有の魅力を持ち、それが一つの地球人類であると考えています。
この本を読んで、もっと他のことを書かなくてならないのですが。鈴木大拙博士との交流や、出光佐三翁(『海賊と呼ばれた男』という映画が私の印象には深い。日本の戦後を救った真の骨のある日本人)、その出光翁の蔭を支えた、不思議とさえいえる松見守道という人物との交流とその人のことなど、興味深い、こんな簡単な言葉で表現していたのでは申し訳ないのですが。それこそ日本的霊性を垣間見る思いがしました。
著者である竹本忠雄氏は、幼年期より異界との不思議な霊的体験が多く、霊的体験が竹本氏には、後に現実となって展開する、そのような霊性の持ち主のようです。
明日があるので、私の拙い読後感の紹介は、このへんでやめましょう。第2巻以降は、お正月の準備などが終わるまでは注文しないことにします。おそらく全て読み終わるまで、何も手につかなくなるでしょうから。
(拙著も第3版を出してもらえるということで、明日中に推敲しなおしをしなくてはなりません。それは地味な本ですが。)
(私は詩人として生きたかったのですが、お寺の住職という役割は、現実的な仕事も多いです。またあの世との懸け橋の役割もあると思っています。)
とにかく、今日はこれにて「おやすみなさい」