12月14日(火)曇り【あの世への義理】
このところ忙しくご無沙汰していたような気がします。師走を迎えて皆様もお忙しいのではありませんか。私も法事は12月でも毎週ありますし、新年のご祈祷会のお知らせや、当日の記念品の準備やら、などなど、頭の中の交通整理も忙しいです。なにか忘れているような気がします。なんでしょう。思い出せません。
そんなこと、皆さんもありませんか。
さて、今日のタイトルは「あの世への義理」です。この言葉は、ふとその時に浮かんだ言葉でした。実は、100歳近くのおばあちゃまが昨年お亡くなりになり、一周忌を迎えるのですが、その家の人たちがご法事をなさらないというのです。一応そのおばあちゃまの御長男のご家族なので、本家となります。御長男はお亡くなりになってしまい、その奥さんと息子さんが家を守っていまして、財産も受け継いでいます。なぜなさらないのか、嫁は姑を嫌いぬいていて、いつも悪口を言っていたのですが、それでも本家ですから、一周忌をつとめなくてはならないのでは、と、菩提寺の和尚は考えます。まして他の息子さんたちは、母親思いの優しい子どもたちなのです。母親の一周忌をつとめないなどということは、あまりに切ないのではないでしょうか。
「法事はしません」、という檀家さんに対して、「あ、そう」などと、私は引き下がっているような和尚ではありません。何としても法事をするように、お布施が惜しいのなら、少しでもよいのだから、なさるように、と手紙も出しました。どうも、お布施は和尚の懐に入ると勘違いしているのかもしれません。和尚も些少の報酬は頂きますが、ほとんどお寺の運営に使わせてもらっているのです。どこのお寺もそうだと思います。
当家の財産が今に残っているのは、働き者のおばあちゃまが、戦争中にお嫁さんに来てから、田畑を夢中で働いて守ってきてくれたからなのです。戦後の大変な中から、子どもたちを学校に出してくれたのは、みなおばあちゃまのお蔭なのです。息子さんたちは、それをよくわかっていて、法事を勤めたいのです。
勤めましょう、息子さんたちだけでも。自分たちの母親なのですから。母親への報恩の供養をつとめないなどとは「とんでもない」。つとめましょう。そのように本家の方たちにきちんと申し入れて、堂々といたしましょう。
息子さんたちが喜んで、この申し出を受け入れてくださいました。菩提寺の和尚として、私は本当に「あの世への義理がたった」と初めてこのような言葉が浮かんできました。とても有難いと思いました。息子さんたちも、一周忌をつとめられて、本当によかった、と言っていました。報恩供養は、それぞれが、自分自身が、つとめるものです。本家のためでもありません。つとめないことを本家のせいにすることでもありませんね。
かつて小さなお堂に住んでいるとき、浮かばれない多くのあの世の人たちが、毎夜訪ねてきて、救いを求めてきてくれました。その時の経験のお蔭で、私はあの世はある、と思っています。最近も東日本大震災で突然お亡くなりになった方々が救いを求めて、霊能者の方に憑依し、その方々を光の方に導かれた実話が紹介されていますが、そのようなことはあると、私は信じられます。証明はできませんが。
また、一方では、一週間の違いですが、本家のお嫁さんが中心となって、分家の方々と共に、実に和やか、かつ盛大におばあちゃまの七回忌を営まれた家もあります。幼い曾孫さんまで参列なさり、あの世のおばあちゃまは喜ばれたことでしょう。
それぞれではありますが、ご法事は出来る限り真摯な気持ちでつとめて頂きたいと願っています。種々のお考えはあるでしょう。
私は私の考えを述べさせていただきました。それにしても我ながら感心しました、「あの世への義理」という言葉に。
ご法事をなさって、息子さんたちも亡くなられた御祖母ちゃまも、どんなにか嬉しく、有難くお思いになった事でしょう。
どんな方も一周忌、三回忌…考えてみると、ご葬儀もご法事も、お一人お一人、故人の方にも参列される方も、大切な一度きりの事ですね。
私も有り難く拝読致しました。ありがとうございます。