9月2日(火)晴れ、清々しい一日 【曹洞宗尼僧団創立70周年】
今日は、私の住んでいる町には、清々しい風が一日吹いてくれました。皆さんのお住まいの町はいかがでしたか。外の猫たちも、気持ちよさそうに、風に吹かれていました。
旅立った人を思う時、自然に空を見上げますが、やはり旅立ったモカも空の上にいるような気がします。
さて、今年は曹洞宗尼僧団が創立されてから70周年になります。このブログで、『苦難の尼僧史』を何回かに分けて書かせていただきましたが、日本における尼僧の歴史は、やさしいものではありません。先輩の尼師方がいかにご苦労なさって、現在の尼僧の地位向上に尽くされたかの一端を書かせていただきました。
すでに与えられた状況の中にいますと、現在の状態が当たり前のように思ってしまうのは、全てのことに於いて言えることですが、あらためて一つ一つの事柄について、その歴史をひもといてみますと、先人の苦労がしみ込んでいることが多いことをあらためて知ることになります。
婦人参政権などもそうです。他にも多々あるでしょう。少数派や弱者の立場の是正がなされたのは、多くは近年になってからです。
女性として、仏道を学び、こうして生きているみずからの生き方を、あらためて考えてみますと、まことに不思議な気がいたします。今生限りの望みによって、この道を歩めるようになったとは思えません。過去の人々の誓願のお蔭なくして、このようには生きれなかったであろうと思い至ります。
話はかわりますが、日本における尼僧差別は、江戸時代に尼僧寺を男僧寺の末寺にするという制度が、尼僧を男僧より低い位置にみるという差別を生みだした元凶だといえましょう。
差別撤廃のために尽力してくださった先輩書老師方に感謝しています。いつの時代にも、何らかの差別があり、今も目に見えない差別に苦しんでいる人もいらっしゃるでしょう。そんな場合は、一人よりは二人ですし、複数の力を合わせたほうが、乗り越えられる場合もあるでしょう。
曹洞宗の尼僧たちは、尼僧団として結束して乗り越えてきた歴史があります。私は徒党を組むという感じを好まないタイプですが、尼僧の歴史を見直したとき、そのお蔭を蒙っているのに、それを嫌うことはおかしいと思うようになりました。
それで今は尼僧団の一員ですし、『おたよ里』という機関誌の編集にもたずさわっています。柔軟になったと思っています。
なんとなく取り留めのないことを書きました。虫のすだく音に耳を傾けながら。
天候が不順です。皆様、風邪にはご用心してください。(私は昨日あやうく風邪を引きそうになりました。)
昨今は…、大分秋めいて陽射しも和らいで来て
楽に為って来ましたよねぇ~…。(^-^)
有為転変は世の常とは云え…、巷間、相変わらずに
喧々諤々と…、様々に喧しい限りです…。
そんな最中に在って…、仏門に身を投じた者としては
只々…、只管に己事の究明に実参実究するのが男僧尼僧の別を問わず禪者の本分だと存じ上げます。
即ち!!!、男僧. 尼僧の分別を共に切断して…、白雲深き處柴扉を掩い、分に隨って著衣喫飯し去る。として…、這箇屋裡の活潑地に委ねて往くのみ!!!。と…、心得ます。
genrinより
社会に生きている人間として、社会の状況を無視せずに生きていくのが、今生の学びと思っています。
どの世界にも、差別あり、いじめあり、それが人間世界、いやこの地球人類世界であることを学んでいくのが、この度の生かもしれません。他の生物の住む天体では、違うかもしれません。
今日も亦、蒸し暑い真夏日と為って居りますねぇ~…。
扨て、仰る様に…、山に籠って仙人に為る…
御釈迦様時代の仏弟子であったなら… 云々…。
と…、仰ってますが…。(苦笑)
小生が先日申し上げた…、「 白雲深き處 柴扉を掩い、分に隨って著衣喫飯し去る 」 として…、「 這箇屋裡の活溌地 」 に委ねて往くのみ… と、申し上げたのは、
此れは…、自心を深山幽谷に喩えた表現で…。
斯様な境涯で…、現実の此の!!! 実社会の中に於いて
力強く対処していく事と心得ます。 と…、云った意味で申し上げた次第ですので…、何も!…、現実の実社会から逃避して…、と云う事ではないのです。 そんな山籠もりしたとして得たものなんぞ何の役にも立たないですし、意味もないです。
御案内の様に…、禪の世界では… 云わんとする境涯を詩的表現に置き換えて表す手法が専らですので…、御互いに日々の多忙を極める実生活に於いての…、
禪者としての己の、自内抄的な心構えに過ぎません。
念の為! 申し添えて置きます。
Genrinより