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12月28日(月)曇り【悟らざるに隠棲すべからず】
今日も寒いです。暮れからお正月にかけてだんだん寒くなるようです。皆さんはお正月の支度はできましたか。私はようやく玄関のお飾りをしました。お餅は30日にお供えします。「くんち飾り」はするなと言われていますので、私は29日にはお飾りはしません。実は年賀状はまだ一枚も書いていません。今年は2月に発表をしなくてはいけませんので、その勉強が大変で年賀状を書く余裕がありません。
さて『伝光録』を読んでいましたら、次のようなところがありました。枯淡な生き方に憧れている私にとって、ちょっとショックな瑩山禅師の教えです。
「昔の比丘の如く、寂静を願い山林に隠居することなかれ。(中略)大梅常禅師も鉄塔を戴き、松煙の中に坐す。い山大円禅師も虎狼を友として雲霧の底に修す。我らも是の如く修習すべしと。実に笑いぬべし。古人悉く得道して正師に印記を受け云々『」
ということで、得道をした者が山林に入るのはよいが、そうでない者には百年早いということですね。
枯淡な生き方に憧れている私ですが、まだまだ修行が足りませんので、今年もお正月は遊ぶことはできないということです。これが今の私の修行です。
皆さんどうぞよいお年をお迎えください。
今日も寒いです。暮れからお正月にかけてだんだん寒くなるようです。皆さんはお正月の支度はできましたか。私はようやく玄関のお飾りをしました。お餅は30日にお供えします。「くんち飾り」はするなと言われていますので、私は29日にはお飾りはしません。実は年賀状はまだ一枚も書いていません。今年は2月に発表をしなくてはいけませんので、その勉強が大変で年賀状を書く余裕がありません。
さて『伝光録』を読んでいましたら、次のようなところがありました。枯淡な生き方に憧れている私にとって、ちょっとショックな瑩山禅師の教えです。
「昔の比丘の如く、寂静を願い山林に隠居することなかれ。(中略)大梅常禅師も鉄塔を戴き、松煙の中に坐す。い山大円禅師も虎狼を友として雲霧の底に修す。我らも是の如く修習すべしと。実に笑いぬべし。古人悉く得道して正師に印記を受け云々『」
ということで、得道をした者が山林に入るのはよいが、そうでない者には百年早いということですね。
枯淡な生き方に憧れている私ですが、まだまだ修行が足りませんので、今年もお正月は遊ぶことはできないということです。これが今の私の修行です。
皆さんどうぞよいお年をお迎えください。
ちょうど、引用されている箇所は今年の新紀要向けの拙論にて使った箇所です。なお、瑩山禅師は、37歳の時分にはこう仰いましたが、後では色々なバリエーションを出しているようです。
毎年のことで、おまけに檀務が暇なものですから何事も遅滞なく進みます。
ところが、毎年不思議に思うのは、神棚と白山大権現様に飾る正月飾り(七品)のうち一品が思い出せず苦労すること。
妻は、昨年の写真を見ろというのですが、すべて半紙でくるんで赤帯を付けるので中身が見えません。
それでも二人で頑張って思い出して、ようやく思い出せました。
これから、これらを半紙で巻いてっと・・・
おっと、今年は、その前に写真を撮っておきましょうか。
来る年も、風月庵さまにとって良い年でありますように。
(例の件、新潟の友達に聞きましたら違う方のようです。親切に講習会の申込書を送ってくださいました。
その前の日が友達の誕生日なので、前泊で来るようにと有難いお誘いまでいただきました)
不躾なコメントを差し上げ失礼いたしました。佳いお年をお迎えください。
更なるご活躍とご清寧を祈念致します。
合掌
年賀状も書かずに、机の前におりますが、徒に時間が過ぎるばかりです。本年も宜しくお願いいたします。
よく御前様が「去年今年つらぬく棒のごとくして」と正岡子規だかの俳句を口になさっていましたね。
昨日までは去年で、今日からは今年です。
今年こそは真剣に祖師の教えを参究したいと願っています。あまりに足りません。来世があってほしいです。
まあ、確実な今日、尽力するばかりです。本年も宜しくお願いいたします。
ブログでも、俳句を楽しんでいます。
越後の一茶か、愛媛の子規か、能登の玉宗か。
本年も宜しくお願いいたします。