12月9日(日)晴れ【韓国比丘尼教団の紹介】(いつか韓国の写真にしますが、とりあえず世界共通の今朝の太陽)
先週韓国の友人が来日してから、あっという間に一週間以上たってしまった。この友人の研究発表やら、友人についての紹介などをしたいと思いながら、時間が猛スピードですり抜けていってしまったようだが、「ちょっと待って」と捕まえて、このことについて少々書かせていただきたい。
さて友人の名は本覚尼師(陳永裕)と言う。(本名を書くことの承諾は頂いている )。今回は東アジア仏教研究会から招かれて研究発表をなさった。本覚尼師は中央僧伽大学の教授であり、金寺の住職でもあり、韓国仏教研究会の会長もなさり、ラジオで仏教法話の放送をほとんど毎日ということを何年もなさった。また多くのお弟子さんを育てていて、一人何役もこなしている、法のために、それこそスーパー僧侶としての活躍をなさっている、といえよう。またご兄弟姉妹六人全員出家なさったという韓国でも珍しいご一家の一員でもある。
駒澤大学で一九九一年に学位を取得された。学位論文は『華厳観法の基礎的研究』である。華厳の教学だけでなく、実践を重んじる観法を研究なさったことは、今多くの人々を、法によって導いている尼師の生き方に通じていると思われる。韓国における比丘尼の人数は沙弥尼の千人を入れると七千人いるという。日本の尼僧界にとっては驚きの人数であるかもしれない。日本と比べるのは、受け入れ態勢も異なるので、単純に比較することはできないが。
今回の本覚尼師の発表は『韓国比丘尼僧伽の特性及び役割』という題でなされた。韓国における比丘尼の初めは五世紀初めころのようである。因みに日本では六世紀に善信尼が初めての出家者として『日本書紀』にも登場している。 韓国には儒教が強い時代も長く続いたり、仏教界自体が苦難の時代を送っているが、比丘尼の歴史にもかなり大変な時代があったようだ。
本覚尼師の研究によれば、「仏教が危機に直面し混乱をきたしていた時期には、仏教を立て直すために数回に及ぶ結社運動が起こった。」という指摘がある。8世紀には念仏結社、12世紀には定慧結社と白蓮結社等等の結社運動が起こり、「既存仏教の堕落や矛盾に対しての批判運動」を展開したことなどを、本覚尼師は紹介された。そしてその精神の流れを汲んで1947年には性徹禅師によって、鳳巌寺結社が結制され、「御仏の教えに従い生を営もう」という目標が掲げられた。日本植民地時代に影響された肉食妻帯を排し、独身の出家修行者中心の韓国仏教を再建したことも改革のひとつである。そして正しい仏の教えとして「禅仏教」の伝統を確立させることに、性徹禅師は尽力なされたそうである。
この禅師のお弟子である仁弘長老尼(1908~1997)は、御仏の教えに従った結社精神を引き継いで比丘尼宗立特別禅院、石南寺を創設なさった。今に韓国比丘尼教団に「厳格かつ崇高な出家精神」が生かされているのは、この結社精神の伝承であると、本覚尼師は結社運動を評価している。
韓国における比丘尼の教育制度は、比丘尼講院において四年間四段階の過程で構成されていて、この四年間で中国禅師の語録や経典、論書などを学ぶそうである。さらに教学を学びたい人にはその道が開かれ、坐禅生活を送りたい人には基本禅院が設置されている仕組みになっているようである。「修行と伝法と慈悲の実践」を重んじる僧侶教育がなされていることはまことに大事なことである。きちんとした仏教の学びがないと、自己流の判断を是としてしまうおそれがある。また自身を常に仏教に照らして見る軌道修正する灯りがないと、せっかくの発心が鈍ってしまうおそれがある。さらに韓国では僧伽考試があり、4段階の階位があり、さらに法臘によって二段階の階位が設けられているそうだが、このような試験は、比丘、比丘尼ともに日本でも考慮に入れてもよいのではなかろうか。
本覚尼師が自身の弟子のみならず、他の比丘尼に対しても私心なく指導する姿にいつもながら感動を覚えるほどであるが、この度の発表でも多くのことを教えて頂いた。特に指導的立場に置かれている者は、私心には気をつけなくてはならないだろう。20年前、電車の中で知り合ってより、韓国をお訪ねしたり、私の庵にもいらして頂いたりの交友を今に至るまで続けているのだが、教えられることばかりである。
当ブログのご訪問者の方々にも、韓国比丘尼教団の一端なりともお伝えしたく紹介させていただきました。それぞれの国の状況に合わせて仏教の形態はありますが、日本には日本の状況の中で、「御仏の教えに従って」の精神を忘れずに歩んでいきたいと願っています。益々混迷を深める世界情勢の中にあって、御仏の教えを大事にしたいと思います。
先週韓国の友人が来日してから、あっという間に一週間以上たってしまった。この友人の研究発表やら、友人についての紹介などをしたいと思いながら、時間が猛スピードですり抜けていってしまったようだが、「ちょっと待って」と捕まえて、このことについて少々書かせていただきたい。
さて友人の名は本覚尼師(陳永裕)と言う。(本名を書くことの承諾は頂いている )。今回は東アジア仏教研究会から招かれて研究発表をなさった。本覚尼師は中央僧伽大学の教授であり、金寺の住職でもあり、韓国仏教研究会の会長もなさり、ラジオで仏教法話の放送をほとんど毎日ということを何年もなさった。また多くのお弟子さんを育てていて、一人何役もこなしている、法のために、それこそスーパー僧侶としての活躍をなさっている、といえよう。またご兄弟姉妹六人全員出家なさったという韓国でも珍しいご一家の一員でもある。
駒澤大学で一九九一年に学位を取得された。学位論文は『華厳観法の基礎的研究』である。華厳の教学だけでなく、実践を重んじる観法を研究なさったことは、今多くの人々を、法によって導いている尼師の生き方に通じていると思われる。韓国における比丘尼の人数は沙弥尼の千人を入れると七千人いるという。日本の尼僧界にとっては驚きの人数であるかもしれない。日本と比べるのは、受け入れ態勢も異なるので、単純に比較することはできないが。
今回の本覚尼師の発表は『韓国比丘尼僧伽の特性及び役割』という題でなされた。韓国における比丘尼の初めは五世紀初めころのようである。因みに日本では六世紀に善信尼が初めての出家者として『日本書紀』にも登場している。 韓国には儒教が強い時代も長く続いたり、仏教界自体が苦難の時代を送っているが、比丘尼の歴史にもかなり大変な時代があったようだ。
本覚尼師の研究によれば、「仏教が危機に直面し混乱をきたしていた時期には、仏教を立て直すために数回に及ぶ結社運動が起こった。」という指摘がある。8世紀には念仏結社、12世紀には定慧結社と白蓮結社等等の結社運動が起こり、「既存仏教の堕落や矛盾に対しての批判運動」を展開したことなどを、本覚尼師は紹介された。そしてその精神の流れを汲んで1947年には性徹禅師によって、鳳巌寺結社が結制され、「御仏の教えに従い生を営もう」という目標が掲げられた。日本植民地時代に影響された肉食妻帯を排し、独身の出家修行者中心の韓国仏教を再建したことも改革のひとつである。そして正しい仏の教えとして「禅仏教」の伝統を確立させることに、性徹禅師は尽力なされたそうである。
この禅師のお弟子である仁弘長老尼(1908~1997)は、御仏の教えに従った結社精神を引き継いで比丘尼宗立特別禅院、石南寺を創設なさった。今に韓国比丘尼教団に「厳格かつ崇高な出家精神」が生かされているのは、この結社精神の伝承であると、本覚尼師は結社運動を評価している。
韓国における比丘尼の教育制度は、比丘尼講院において四年間四段階の過程で構成されていて、この四年間で中国禅師の語録や経典、論書などを学ぶそうである。さらに教学を学びたい人にはその道が開かれ、坐禅生活を送りたい人には基本禅院が設置されている仕組みになっているようである。「修行と伝法と慈悲の実践」を重んじる僧侶教育がなされていることはまことに大事なことである。きちんとした仏教の学びがないと、自己流の判断を是としてしまうおそれがある。また自身を常に仏教に照らして見る軌道修正する灯りがないと、せっかくの発心が鈍ってしまうおそれがある。さらに韓国では僧伽考試があり、4段階の階位があり、さらに法臘によって二段階の階位が設けられているそうだが、このような試験は、比丘、比丘尼ともに日本でも考慮に入れてもよいのではなかろうか。
本覚尼師が自身の弟子のみならず、他の比丘尼に対しても私心なく指導する姿にいつもながら感動を覚えるほどであるが、この度の発表でも多くのことを教えて頂いた。特に指導的立場に置かれている者は、私心には気をつけなくてはならないだろう。20年前、電車の中で知り合ってより、韓国をお訪ねしたり、私の庵にもいらして頂いたりの交友を今に至るまで続けているのだが、教えられることばかりである。
当ブログのご訪問者の方々にも、韓国比丘尼教団の一端なりともお伝えしたく紹介させていただきました。それぞれの国の状況に合わせて仏教の形態はありますが、日本には日本の状況の中で、「御仏の教えに従って」の精神を忘れずに歩んでいきたいと願っています。益々混迷を深める世界情勢の中にあって、御仏の教えを大事にしたいと思います。