1月26日(土)晴れ後曇り 大変寒い【苦しみからの解放】
このところ、私は苦しんでいました。いかにしてこの苦しみを乗り越えるか、仏弟子として釈尊の教えに真摯に向き合いました。
なぜ苦しんだのか/それは自分の望んだようにはならなかったからに他なりません/私の描いていた青写真がズタズタになったからに他なりません/それも最も私がそうなってはほしくない、という方向にいったからに他なりません/つまりこの苦しみは私が創り出したものに他なりません/私の思いが裏切られたのであり/その人間は私を裏切ったわけではないのです/その人間は自分の望み通りの道を歩いていきたいだけなのです/
世の中の親たちは、子供が自分の思うとおりに生きてくれないと、さんざん苦労して育てたのに、と苦しむことでしょう。
しかし、望まなければ、どこにも苦しみは生じないのです/夜中にふと目が覚めて/どうしてなのか/と、怒りにさえ近い思いが沸き上がってきていました/そうして、このような思いは一体どこから湧いてくるのだろうか/この頭の中からだろうか/胸の中からだろうか/思いの湧き出る元は/この心身のいずこからなのか/と、思ったりしていました/とにかく、自分の全く望まない方向に行ってしまわれて/がっかりしてしまったのです/我が人生でこれほどがっかりしたことがあろうか、/と思うほどがっかりしたのです/
しかし、苦しみのもとは、外にあるのではなく、自身の願望があったことで、この願望をなくせばよいのだ、と釈尊の教えに従いました。
四聖諦(ししょうたい)の教えこそ、釈尊のお説きくださった、人間が身も心も健やかに生きられる教えなのです。
苦諦ー現実世界はみな苦であるという真理/集諦(じったい)ー苦の因は煩悩や渇愛によるという真理/滅諦(めったい)ーそれを止滅についての真理/道諦(どうたい)-止滅させるための手段や修行についての真理/道諦では八正道が説かれる/
*今、『法華経』の現代語訳を読んでいるが、その中にわかりやすい表現がありました。(それぞれの如来も)…略…すなわち声聞たちのために、生・老・病・死・憂・悲・苦・悩・哀の超越のための安らぎ(涅槃)を究極とする四つの聖なる真理(四聖諦)と結びつき、縁起によって生じた法(十二因縁)を説かれた。(植木雅俊訳『法華経』)
自分が最も望まない方向にあることが行ってしまったが/それを苦しむのは/自身の願い思惑があったからで/それを捨てればすむことだ/他の者の人生はその者にお任せ/
私自身自分の思うように生きてきました
と、いうことで、皆さんもいろいろな苦しみはあるかもしれませんが、なんとか脱出を試みてくださいませね。
今日は寒かったですね。
(外猫ちゃんたちが、やっともとのように小屋に帰ってきてくれました。猫小屋の板も取り替えたり、敷物を新しくしたり、以前に使用していたこの子たちの匂いのついた寝床を置いたり、猫和尚は努力しました。猫ちゃんたちが、小屋に帰ってきてくれて嬉しかったです。子狸はどうしているか。)