息子の最後の仕事場になった 桜川市「真壁伝承館」
息子は昭和52年生れの34歳である。大学の建築学部を卒業して、準大手のゼネコンに就職した。
仕事は建築の施行管理であるから、入社当初から一ケ所に定着せず現場を点々と渡り歩いていた。
静岡、愛知、埼玉、千葉、茨城。 物件は工場、百貨店、アパート、マンション、飛行場、公共施設等、
11年で10ヶ所を渡り歩いたそうである。仕事はある程度大きな物件で、「地図に残る仕事」である。
当然工事期間も長く、思い入れも強くなり、仕事としての達成感もあり、面白さはあったようである。
しかし、息子の当初からの悩みは、仕事を続ける限り、定住は望めないということにあった。
工事内容に合わせて多様な職種の人を集めてチームを組む。そうして工期に合わせて頑張った
仕事も、完成してしまえば親しくなった人達とも別れ、また新たな現場で、一からのスタートになる。
自らが選んだ仕事とはいえ浮草家業で、何処にも根を下ろす場所がない。若い内はそれでも良い
のであろうが、30歳を過ぎてくると、自分の人生設計を真剣に考えるようになる。会社にも職種を
変えてくれるように訴えていたようである。しかし以前の建設不況の時のリストラの影響で現場の
人材が不足していた。しかも今は反対に建設不況を脱し、会社は猛烈に忙しい状況のようである。
おいそれと個人の希望がかなえられることなどありない。最近は残業が続き、通常の休みも取れ
なくなり、プライベートな時間もままならなくなってきたようである。そんな状況が続く中、自分の
抱えるジレンマから脱出の為、心の内に秘めていた転職を実行に移したのである。辞表を出すと、
会社の役員まで出て来て、引き留めたそうである。「お前の希望する営業に転勤させても良い」と、
その方が転職するより、リスクは少ない。しかし一旦振り上げたコブシを降ろすことができなかった。
息子はこの8月いっぱいで11年間勤めた会社を辞め、転職することになった。
何社かの候補先をあたり、最終的に9月から大手不動産会社の個人住宅の営業の職に決めた。
息子にとって営業は未知の世界である。土日は住宅展示場で顧客を捕まえ、平日は不動産斡旋
会社にコネを作り、個人住宅の新築や建て変えの情報を得、戸別訪問で客先を周って契約まで
こぎつけなければならない。一件2000万円も3000万円もする営業である。今まで現場専門の
人間が、おいそれとこなせる仕事でも無いように思える。しかも、住宅販売の営業という性質上、
給料は歩合だという。基本月額25万(年収300万)、今までの半分ほどになるようである。さらに
実績を上げることが出来なければ、何時までもそこに止まることはできない。同じ会社で11年の
実績があるから、ある程度の報酬は約束されていた。職種を変えれば、今までの個人の実績も
経験もあまり生きては来ない。「建物」という共通性はあるものの、マンションと個人住宅の違い、
現場と営業の違い、門外漢の私が見ても大変なことのように思える。果して息子は新しい仕事を
やっていけるのだろうか? 親としての心配がつのる。
9月の末、久しぶりに息子に会うことにした。地方を転戦していた息子と2人でゆっくり話すことは、
今までほとんど無かったように思う。息子の話によると、今回再就職した会社が個人住宅に進出
したのはまだ20年くらいで、今営業拡大を目指している。したがって販売員も中途採用者が多く、
営業社員の前職も設計や現場など多岐にわたっているそうだ。他の多くの住宅販売会社のように
TVコマーシャルを入れ、営業、設計、現場と流れ作業の仕組みではなく、営業が全てに関わり
プロデュースしていく仕組みのようである。新築や建替え希望の顧客を捕まえ、客の要望を聞き、
プランを作り、設計に繋げ、見積り提示し、契約を獲り、建築完成まで全てに顧客と関わっていく。
年間の最低ノルマは4件。新宿の本社と三鷹の展示場を拠点に、息子は再出発したのである。
息子にしても初めての経験である。「やってみなければ分らない」、それが偽らざる気持ちだろう。
しかし、思ったより本人に悲壮感も気負いもないようである。息子と話をしていくうちに、私の中で
「これで良いのだろう」、そう思えるようになってきた。一つは、息子が前職の仕事が嫌になったり、
人間関係が嫌になったりして逃げ出したのではなく、自分の人生を真剣に考えた上で、決断した
からである。次に、この10年間で積み上げて来たキャリアと自信とを、しっかりと持っているように
思ったからである。現場に集まる多様な人達を束ね、やっていかなければいけない仕事、そこで
身に付いたであろう人とのコミュニケーションの能力、人間関係構築の為の手法など、それらは
これからの息子の仕事にとって、大きな武器になるように思うのである。
親のひいき目かもしれないが息子の性格は楽観的で明るい。人に対しては優しく、何時も誠意を
持って接しているように思う。家を建てようと思う人にとっては、それは人生に一度あるかどうかの
大きな買物である。だから相対する相手が信頼できるか否かが最大のポイントになるように思う。
営業テクニックを駆使していくより、相手と信頼関係を築けるかが、営業としての必須条件だろう。
建築に対してある程度の知識があり、顧客の立場になって考え、親身になって接する。この種の
営業にとって最も求められることのように思うからである。息子にとっては未知の世界ではあるが、
やってやれないことは無いだろう。そう思い始めたのである。
しばらく息子と話している内に、遅れて勤め先からフィアンセ?(まだ結婚するとは聞いていない)
が帰ってきた。息子から初めて紹介を受ける。彼女は岡山県出身で29歳だそうである。法学部を
卒業して、法律事務所に3年間勤めた。しかし自分の求める世界とは違うと思い直し、ユニセフに
勤めてボランティア活動を始めたそうである。今は高齢者支援のNPO法人に勤めているとのこと。
一人で旅をすることが好きで、海外もアフリカやイースター島など、どちらかと言えば僻地が多い。
そんな女性だから自分の世界を持ち、考え方もしっかりしていて、若いながら、たのもしい女性の
ようにも思われる。つき合い始めてから、すでに1年半になるそうで、2人の会話を聞いていても、
友達感覚で馬が合うように見える。たぶん息子は心の内で、この彼女を伴侶と決めたのだろう。
今までの仕事をしていれば収入は多いが定住は望めない。息子はこれからの人生を「この人」と
決めた相手と落ち着いた家庭を築くことを願ったのであろう。その為の今回の転職なのである。
人は何を動機に進路を変えて行くのか?それは個人の価値観に帰するところが大きいように思う。
息子にしても彼女にしても、今まで歩んできた道を変ることで、収入は大きく後退することになった。
しかしそれはそれで良いように思う。自分の人生である。自分が納得することが一番大切だと思う。
会社という組織の一員であれば、部長になろうが役員になろうが、一時の肩書であって辞めてしま
えば跡形もなく消えてしまう。その価値はあくまでも狭い組織内での話で、自己満足の世界である。
小説家や画家や芸能人のように、個人としての技量やブランドを磨いていく仕事であれば、それは
自分の目指す方向を全うする方が良いのであろう。しかし、サラリーマンというのは、仕事を通して、
そこで自分に何ができるか、何が得られるのか? ・・・仕事とは自己実現の「場」なのだろうと思う。
息子が今までの仕事で点々として、自己目標が叶わずストレスを溜めるのであれば、新たな目標を
得て、自分に力をつけて行く方がはるかに望ましいように思う。これからは大きな困難が待っている
であろう。しかし今からは1人ではなく2人である。共に助けあって、それぞれが納得のいく人生で
あってほしいと願うのである。息子もすでに34歳、もう何処に行っても、充分闘える力は持っている。
自信を持って自分の信じる道を歩んで欲しいものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/24/e80180a5cb4fa6491490898b32e98a67.jpg)
2010年3月開港した茨城空港
息子は昭和52年生れの34歳である。大学の建築学部を卒業して、準大手のゼネコンに就職した。
仕事は建築の施行管理であるから、入社当初から一ケ所に定着せず現場を点々と渡り歩いていた。
静岡、愛知、埼玉、千葉、茨城。 物件は工場、百貨店、アパート、マンション、飛行場、公共施設等、
11年で10ヶ所を渡り歩いたそうである。仕事はある程度大きな物件で、「地図に残る仕事」である。
当然工事期間も長く、思い入れも強くなり、仕事としての達成感もあり、面白さはあったようである。
しかし、息子の当初からの悩みは、仕事を続ける限り、定住は望めないということにあった。
工事内容に合わせて多様な職種の人を集めてチームを組む。そうして工期に合わせて頑張った
仕事も、完成してしまえば親しくなった人達とも別れ、また新たな現場で、一からのスタートになる。
自らが選んだ仕事とはいえ浮草家業で、何処にも根を下ろす場所がない。若い内はそれでも良い
のであろうが、30歳を過ぎてくると、自分の人生設計を真剣に考えるようになる。会社にも職種を
変えてくれるように訴えていたようである。しかし以前の建設不況の時のリストラの影響で現場の
人材が不足していた。しかも今は反対に建設不況を脱し、会社は猛烈に忙しい状況のようである。
おいそれと個人の希望がかなえられることなどありない。最近は残業が続き、通常の休みも取れ
なくなり、プライベートな時間もままならなくなってきたようである。そんな状況が続く中、自分の
抱えるジレンマから脱出の為、心の内に秘めていた転職を実行に移したのである。辞表を出すと、
会社の役員まで出て来て、引き留めたそうである。「お前の希望する営業に転勤させても良い」と、
その方が転職するより、リスクは少ない。しかし一旦振り上げたコブシを降ろすことができなかった。
息子はこの8月いっぱいで11年間勤めた会社を辞め、転職することになった。
何社かの候補先をあたり、最終的に9月から大手不動産会社の個人住宅の営業の職に決めた。
息子にとって営業は未知の世界である。土日は住宅展示場で顧客を捕まえ、平日は不動産斡旋
会社にコネを作り、個人住宅の新築や建て変えの情報を得、戸別訪問で客先を周って契約まで
こぎつけなければならない。一件2000万円も3000万円もする営業である。今まで現場専門の
人間が、おいそれとこなせる仕事でも無いように思える。しかも、住宅販売の営業という性質上、
給料は歩合だという。基本月額25万(年収300万)、今までの半分ほどになるようである。さらに
実績を上げることが出来なければ、何時までもそこに止まることはできない。同じ会社で11年の
実績があるから、ある程度の報酬は約束されていた。職種を変えれば、今までの個人の実績も
経験もあまり生きては来ない。「建物」という共通性はあるものの、マンションと個人住宅の違い、
現場と営業の違い、門外漢の私が見ても大変なことのように思える。果して息子は新しい仕事を
やっていけるのだろうか? 親としての心配がつのる。
9月の末、久しぶりに息子に会うことにした。地方を転戦していた息子と2人でゆっくり話すことは、
今までほとんど無かったように思う。息子の話によると、今回再就職した会社が個人住宅に進出
したのはまだ20年くらいで、今営業拡大を目指している。したがって販売員も中途採用者が多く、
営業社員の前職も設計や現場など多岐にわたっているそうだ。他の多くの住宅販売会社のように
TVコマーシャルを入れ、営業、設計、現場と流れ作業の仕組みではなく、営業が全てに関わり
プロデュースしていく仕組みのようである。新築や建替え希望の顧客を捕まえ、客の要望を聞き、
プランを作り、設計に繋げ、見積り提示し、契約を獲り、建築完成まで全てに顧客と関わっていく。
年間の最低ノルマは4件。新宿の本社と三鷹の展示場を拠点に、息子は再出発したのである。
息子にしても初めての経験である。「やってみなければ分らない」、それが偽らざる気持ちだろう。
しかし、思ったより本人に悲壮感も気負いもないようである。息子と話をしていくうちに、私の中で
「これで良いのだろう」、そう思えるようになってきた。一つは、息子が前職の仕事が嫌になったり、
人間関係が嫌になったりして逃げ出したのではなく、自分の人生を真剣に考えた上で、決断した
からである。次に、この10年間で積み上げて来たキャリアと自信とを、しっかりと持っているように
思ったからである。現場に集まる多様な人達を束ね、やっていかなければいけない仕事、そこで
身に付いたであろう人とのコミュニケーションの能力、人間関係構築の為の手法など、それらは
これからの息子の仕事にとって、大きな武器になるように思うのである。
親のひいき目かもしれないが息子の性格は楽観的で明るい。人に対しては優しく、何時も誠意を
持って接しているように思う。家を建てようと思う人にとっては、それは人生に一度あるかどうかの
大きな買物である。だから相対する相手が信頼できるか否かが最大のポイントになるように思う。
営業テクニックを駆使していくより、相手と信頼関係を築けるかが、営業としての必須条件だろう。
建築に対してある程度の知識があり、顧客の立場になって考え、親身になって接する。この種の
営業にとって最も求められることのように思うからである。息子にとっては未知の世界ではあるが、
やってやれないことは無いだろう。そう思い始めたのである。
しばらく息子と話している内に、遅れて勤め先からフィアンセ?(まだ結婚するとは聞いていない)
が帰ってきた。息子から初めて紹介を受ける。彼女は岡山県出身で29歳だそうである。法学部を
卒業して、法律事務所に3年間勤めた。しかし自分の求める世界とは違うと思い直し、ユニセフに
勤めてボランティア活動を始めたそうである。今は高齢者支援のNPO法人に勤めているとのこと。
一人で旅をすることが好きで、海外もアフリカやイースター島など、どちらかと言えば僻地が多い。
そんな女性だから自分の世界を持ち、考え方もしっかりしていて、若いながら、たのもしい女性の
ようにも思われる。つき合い始めてから、すでに1年半になるそうで、2人の会話を聞いていても、
友達感覚で馬が合うように見える。たぶん息子は心の内で、この彼女を伴侶と決めたのだろう。
今までの仕事をしていれば収入は多いが定住は望めない。息子はこれからの人生を「この人」と
決めた相手と落ち着いた家庭を築くことを願ったのであろう。その為の今回の転職なのである。
人は何を動機に進路を変えて行くのか?それは個人の価値観に帰するところが大きいように思う。
息子にしても彼女にしても、今まで歩んできた道を変ることで、収入は大きく後退することになった。
しかしそれはそれで良いように思う。自分の人生である。自分が納得することが一番大切だと思う。
会社という組織の一員であれば、部長になろうが役員になろうが、一時の肩書であって辞めてしま
えば跡形もなく消えてしまう。その価値はあくまでも狭い組織内での話で、自己満足の世界である。
小説家や画家や芸能人のように、個人としての技量やブランドを磨いていく仕事であれば、それは
自分の目指す方向を全うする方が良いのであろう。しかし、サラリーマンというのは、仕事を通して、
そこで自分に何ができるか、何が得られるのか? ・・・仕事とは自己実現の「場」なのだろうと思う。
息子が今までの仕事で点々として、自己目標が叶わずストレスを溜めるのであれば、新たな目標を
得て、自分に力をつけて行く方がはるかに望ましいように思う。これからは大きな困難が待っている
であろう。しかし今からは1人ではなく2人である。共に助けあって、それぞれが納得のいく人生で
あってほしいと願うのである。息子もすでに34歳、もう何処に行っても、充分闘える力は持っている。
自信を持って自分の信じる道を歩んで欲しいものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/24/e80180a5cb4fa6491490898b32e98a67.jpg)
2010年3月開港した茨城空港