東京周辺にいる大学時代の同期の同窓会が7年ぶりにあった。学校は単科大学だったから人数は
少なく1学年4学科で180名、我々の学科は50名である。そのメンバーで4年間も一緒なのだから、
小学校のクラス会と同様な感覚である。今回集まったメンバーは12名、その中でも3年ぶりだったり
7年ぶりだったり、卒業以来1度も会っていなかったりとさまざまである。40数年の時間軸に、最後に
会った時をプロットしたら、おぼろげながら昔のイメージとつながるのは最後に会って20年ぐらい前。
卒業以来、初めて会う同窓生は、名前の記憶はあるものの当時の面影を思い出すことが出来ない。
それだけ40数年の変化の大さを実感してしまう。
一人一人が順番に、卒業からの自分の人生の粗ましや近況を報告した。一つの会社を勤めあげた
人もあり、職業を転戦した人もあり、独立した人もいる。海外を転々としていたり、女房・子供を残して
単身赴任をトータル20年も続けたり、それぞれに苦労を積み重ねて来たのであろう。そんな仲間も
今はやっと終の棲家に辿り着いたという感じである。その間に、ガンで胃を全部摘出した人もあれば、
肺がんで肺の一部を取った人もいる。50名の内、工場の機械に巻き込まれ死んだ同窓生、農薬を
飲んで自殺した仲間もいるという話も聞いた。卒業してから40数年、昔の仲間はそれぞれが激戦の
中を潜りぬけて来たのである。そしてその人生は千差万別であった。
話の中でリタイアの人に共通して話しに出てくるのは女房との折り合いの問題である。自分がどこか
に出かけようとすれば、「どうぞ、どうぞ」と、帰ってくるなと言わんばかりに追い出され、女房がどこか
出かけると、反対に自分がホッとする。今まで隠れていた夫婦の亀裂が退職ともにあからさまになる。
女房と今後どう向き合って行くか?それが当面の大きな問題のようである。もう一つ共通の課題が、
有り余る時間をどういう風に使うかである。半数以上の人に共通していたのが、散歩、図書館通い、
地元の博物館や美術館巡りと、あまり金のかからない過ごし方を実践しているようである。現役の
時代は稼ぎ手として、退職すれば粗大ごみ扱いで、男の悩みは何時も共通のようである。
今回参加したのは、まだまだ人との接点や社会との関わりに未練を残している仲間であろう。だから
わざわざ銀座まで出てきたのであろう。社会の中で、もまれもまれて人と言うものにヘキヘキしている
人は同窓会すら面倒で苦痛なものと感じるように思う。現に、今回幹事が出欠の電話をかけたとき、
「もう昔の人達と、つき合う気は無いから、今後とも誘って欲しくない」と、言った人もいたそうである。
私もどちらかと言えば人付き合いは苦手である。だから今回も誘いを受けた時「さあ、どうしよう」と
一瞬の迷いがあった。しかし、「苦手を逃げれば、逃げ癖がつくだろう」、そう思って「出席」を決めた。
リタイアして仕事の人間関係を失ってしまえば、残っているルートで重要なのは同窓という関係なの
かもしれない。今回の集まりの話の中で、「来年の春は名古屋で他のメンバーも集め、泊り込みで
飲もう」、「来年の秋には下関で全国から人を集めて・・・・・・」と、話は盛り上がった。首の皮一枚で
現役に残っている私にとっては少し億劫でもあり、負担でもある。今までそんなに活発でも無かった
同窓会が、その回数や規模を増していくのは、人との関わりを大切なもの、貴重なものと思うからで
あろうか?それとも、日常の中に刺激を失って、何かイベントが欲しいからなのだろうか?
我々の年代の平均余命は84歳で、まだ17年ある。その間どのように人とのネットワークを発展させ
維持していくかも、我々年代の大きな課題の一つである。
少なく1学年4学科で180名、我々の学科は50名である。そのメンバーで4年間も一緒なのだから、
小学校のクラス会と同様な感覚である。今回集まったメンバーは12名、その中でも3年ぶりだったり
7年ぶりだったり、卒業以来1度も会っていなかったりとさまざまである。40数年の時間軸に、最後に
会った時をプロットしたら、おぼろげながら昔のイメージとつながるのは最後に会って20年ぐらい前。
卒業以来、初めて会う同窓生は、名前の記憶はあるものの当時の面影を思い出すことが出来ない。
それだけ40数年の変化の大さを実感してしまう。
一人一人が順番に、卒業からの自分の人生の粗ましや近況を報告した。一つの会社を勤めあげた
人もあり、職業を転戦した人もあり、独立した人もいる。海外を転々としていたり、女房・子供を残して
単身赴任をトータル20年も続けたり、それぞれに苦労を積み重ねて来たのであろう。そんな仲間も
今はやっと終の棲家に辿り着いたという感じである。その間に、ガンで胃を全部摘出した人もあれば、
肺がんで肺の一部を取った人もいる。50名の内、工場の機械に巻き込まれ死んだ同窓生、農薬を
飲んで自殺した仲間もいるという話も聞いた。卒業してから40数年、昔の仲間はそれぞれが激戦の
中を潜りぬけて来たのである。そしてその人生は千差万別であった。
話の中でリタイアの人に共通して話しに出てくるのは女房との折り合いの問題である。自分がどこか
に出かけようとすれば、「どうぞ、どうぞ」と、帰ってくるなと言わんばかりに追い出され、女房がどこか
出かけると、反対に自分がホッとする。今まで隠れていた夫婦の亀裂が退職ともにあからさまになる。
女房と今後どう向き合って行くか?それが当面の大きな問題のようである。もう一つ共通の課題が、
有り余る時間をどういう風に使うかである。半数以上の人に共通していたのが、散歩、図書館通い、
地元の博物館や美術館巡りと、あまり金のかからない過ごし方を実践しているようである。現役の
時代は稼ぎ手として、退職すれば粗大ごみ扱いで、男の悩みは何時も共通のようである。
今回参加したのは、まだまだ人との接点や社会との関わりに未練を残している仲間であろう。だから
わざわざ銀座まで出てきたのであろう。社会の中で、もまれもまれて人と言うものにヘキヘキしている
人は同窓会すら面倒で苦痛なものと感じるように思う。現に、今回幹事が出欠の電話をかけたとき、
「もう昔の人達と、つき合う気は無いから、今後とも誘って欲しくない」と、言った人もいたそうである。
私もどちらかと言えば人付き合いは苦手である。だから今回も誘いを受けた時「さあ、どうしよう」と
一瞬の迷いがあった。しかし、「苦手を逃げれば、逃げ癖がつくだろう」、そう思って「出席」を決めた。
リタイアして仕事の人間関係を失ってしまえば、残っているルートで重要なのは同窓という関係なの
かもしれない。今回の集まりの話の中で、「来年の春は名古屋で他のメンバーも集め、泊り込みで
飲もう」、「来年の秋には下関で全国から人を集めて・・・・・・」と、話は盛り上がった。首の皮一枚で
現役に残っている私にとっては少し億劫でもあり、負担でもある。今までそんなに活発でも無かった
同窓会が、その回数や規模を増していくのは、人との関わりを大切なもの、貴重なものと思うからで
あろうか?それとも、日常の中に刺激を失って、何かイベントが欲しいからなのだろうか?
我々の年代の平均余命は84歳で、まだ17年ある。その間どのように人とのネットワークを発展させ
維持していくかも、我々年代の大きな課題の一つである。