60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

心の耐性

2012年04月06日 11時35分00秒 | Weblog
 私の飲み会は大きくは2つのタイプに分れる。一つは現役が幸いしてか20代30代の若い人達と、もう一方は60代の我々の世代の人達とである。当然だが、そこでの話題はまったく違ったものになる。若い人たちは周りの環境に対してどう対処し、自分の気持ちをどう保っていくかが大きなテーマになってくる。それに対して60代の仲間は、社会との係わりがしだいに薄くなる中で、孤立し落ち込んで行く自分をどう奮い立たせ維持していくかが課題なのである。

 若い人たちの悩みを聞いていると、社会の中で否応なく係わらねばならない人間関係の諸問題が大半のようである。職場の中の上司や同僚との付き合い方、営業先との軋轢に対する対処方法、自分が嫌われたり、被害をこうむらない為には、どの程度の距離間を保てばいいのか、どのようにふるまえば良いのかが大きなウエイトを占めている。相手に合わせればストレスが溜まる、できれば自分のスタイルで仕事をしたい。しかし、それが通用するほど世の中は甘くない。まだ未熟な若い人にとって海千山千の年配者との間で自分を維持していくことは大変なストレスのようである。飲み会は上司や営業先の理不尽な振る舞いの愚痴になり、苦手とする相手の悪口になり、行き詰まりの打開策が判らずに悩を語る。私はそれらの聞き役である。

 振り返って自分の20代30代を考えてみると、人間関係での悩みはほとんど感じなかったように思う。それよりは、自分の社内での出世競争の方が重大な関心事であった。同期の仲間より昇進が遅れ年次の下の人に追い越されることは、最大の屈辱のように感じていた。時代は右肩上がりで団塊の世代という大きな塊の中で、人に対しての優劣の差が付けやすかったのであろう。そんな環境の中で仕事をしていれば、自然に競争心が芽生えていくものである。遅れを取らない為には勉強もするし、上司との折り合い、同僚とのコミュニケーションも良くしておこうと心がけていたように思う。自分が主体で作って行こうとする人間関係にはストレスは起こらないものである。それに比べ、今は成長が止まり世の中は閉塞感の中にある。自分が社会の中で成長して行く姿はイメージしずらく、分かりやすい目標が設定できなくなっている。上に上がることは望み薄になり、いかに落ちこぼれないか、いかに自分の生活を安定したものにするかが重要なテーマになっているように思う。そういう環境の中では人間関係も受身になりやすく、ストレスも発生しやすくなるのだろうと思っている。

 心理学者の河合駿の本に書いてあったことを思い出す。昔は大所帯で個々の権利と言うものはあまり重きを置かれていなかった。一家に4~5人の子供がいるのは当たり前の時代である。そんな中では父親の稼ぎだけでは、生活していくだけで精いっぱいで、子供の要求などはほとんど無視されていた。しかし今は生活は豊かになり少子化である。それぞれに子供の部屋も与えられ、子供の立場も尊重されるようになった。どちらかといえば集団の秩序よりも自己の立場が優先する時代だから、なにかあれば集団から離脱することも簡単になって来た。トラブルがあれば家庭に逃げ込み、家庭内では自室にこもれば自分の世界に浸ることができる。だからなのか、集団の中での協調性や忍耐力は弱くなっている。そんな風に書いてあったように覚えている。

 私の戦後間もない子供の頃は、一家6人が8畳一間で暮らしていた。小学校中学校と1クラス60人、1学年12クラスという超過密の環境であった。当然自分の居場所などどこにもない。せいぜい押入れの布団の隙間に入り込んで、自分一人の世界を作る程度であった。そんな風に人にもまれもまれての生活であったから、若い人に比べれば人への耐性は培われてきたように思う。言ってみれば、我々の世代は自分の部屋(居場所)は持たず世の中と同居しているようなものであった。それに反して今の若者には確固たる自室(居場所・自分の世界)を持っている。そしてそこを出て、学校や会社という別世界に通うような感覚なのであろう。だから嫌なことがあれば自分の部屋(世界)に逃げ込んでしまう。それではなかなか世の中になじまないようになってしまうように思うのである。

 先日ラジオで花粉症についての話をしていた。花粉症は免疫系がスギ花粉に過剰に反応することから起こる症状である。花粉症を抑えるために、今は色々な薬やサプリメントがある。しかしこれはあくまでも対処療法で花粉症を治すことにはならない。今の時点で唯一治す方法は減感作療法(げんかんさりょうほう)なるものだそうである。スギのアレルゲンエキスを薄めたものを定期的に投与し、回数を重ねるごとに徐々にその濃度を濃くしていく、そうすることで体が花粉に慣れ、免疫系が過剰反応を起こさない仕組みなるのだそうである。

 これを聞いて今の若者の人間関係のアレルギーに置き換えてみた。今の若者は人にもまれていないから、周りの人達に対して過敏に反応し過ぎているように思えるのである。周りの人の考えや感情が読めないから、どうしても一定の距離を保っておこうとする。だから距離が縮まれば警戒し、距離が離れれば不安に思う。そんなことで何時も周りに気を使うからストレスになる。そしてそのストレスが強くなれば、それを回避し自分をまもるためには、相手を無視して自分の殻に閉じこもるしかないと考えてしまうのではないだろうか。

 そんな人間アレルギーを克服する為に、減感作療法的に考えれば、人へのアレルギーは人に接して克服するしかないのであろう。周りの人に苦手を作らない為に一人ひとりを丹念に克服し、広げていくしかないのだろう。それには自分が主体になる必要がある。例えば自慢ばかりするオヤジがいて、その自慢話を聞くのはうんざりであるとする。しかし自分の方から誘い水をしたら、相手は得意になって喋ってくるだろう。そこでそろそろ終わらせようと思って、大げさに「さすがですね」と言ってみる。そうすれば相手は自分の増長に気づいて話を止めてしまうかもしれない。これはこちらがコントロールしているのだからストレスにはならないはずである。こんな風にして周りの人達をある程度自分でコントロールできると知れば、人間関係も楽になるものである。やはり自分がひ弱な心であると自覚すれば心の耐性を作り上げるしかないのではないだろうかと思っている。