日高市 巾着田の桜
高校の漢文の授業で、論語の「吾れ十有五にして学に志ざす・・・・・・・」というのを暗記させられた。若い時に覚えた言葉は意外と記憶の中に留まっているもので、その後年齢の節目節目にその言葉を思い出すものである。
子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。
解釈は様々あるのだろうが、基本的には下記のようである。
孔子が云う、
私は十五才で(学問の道に入ろうと)決めた。
三十才で(学問に対する自分なりの基礎)を確立した。
四十才で戸惑うことがなくなった。
五十才で天命を悟った。
六十で何を聞いても動じなくなった。又は(自説と異なる)人の言葉にも素直に耳を傾けるようになった。
七十になってからは、心のおもむくままに行動しても、道理に違うことがなくなった。
果して孔子の人生観と自分とを比べてみて、どうだろうと思ってみる。
私は23歳で東京に出て就職する。
32歳で結婚、多摩ニュータウンにマンションを購入する。本籍を実家から抜いて名実ともに独立したことになる。
45歳でそれまで勤めていた会社を辞め、3年間は数社と年間契約でフリーの立場で仕事をした。48歳で中小企業に再就職し、55歳で個人事業主として独立する。論語とは大きく違い、40歳からは仕事のことで惑いに惑っていたように思う。そして独立したとき、他に選択肢が無いことを自覚して惑うこともまくなったように思うのである。
「五十にして天命を知る」の「天命」とは何であろう?と考える。 天命を「天の教えること」と解釈すれば、個人で仕事を初めてから、何年かで天命を知ることになる。それはどうガムシャラに頑張ろうが、所詮一人は一人の力でしか無いということである。焦れば焦るほど不安を覚え、自分が沈んで行くように思えてくる。それは泳ぎが未熟で水の中でバタつくと、体力を消耗しやがて溺れていくようでもある。力を抜いて波間に漂っていれば、人の体は浮くように出来ている。水に馴れ、やがて手を動かし足を動かせば自然に泳げるようになる。人間社会の中で生きるということは、周りに馴染むこと、そして人との繋がりの中でこそ、生きていけるのだと知ったことである。
さて、今は60歳後半である。多分これは歳の所為だと思うのだが、物事に対してあまり動じなくなったように思う。仲間を見渡せば、動じない方法に2つあるように見える。一つは頑固一徹で自分の主義主張は曲げないタイプ。もうひとつは柔軟さがあるゆえに受け流すことが出来るタイプである。自分は柔軟さを重んじる方である。先ほど書いたように、周りに馴染む為には、自説と異なった人の言葉にも、素直に耳を傾けたいと思っている。世の中にはいろんな考えの人がいる。自分に合わないからと拒否してしまえば、それだけ自分のネットワークを狭めることになると考えるからである。
70歳、もう間近である。そうなると「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」の心境を意識するようになる。「自分の心のおもむくままに行動する」とはどういう行動だろうかと考える。多分「好き勝手な行動をする」ということではないだろう。何か計画を立ててから動くのではなく、まず動いて見る。動けば色んなことに直面する。犬も歩けば棒に当たるである。何かに当たれば、そこで自分の心に問うてみる。そうすれば心は何かを示唆(反応)してくれるはずである。その心の感じるままに動いても、道理に反することはないのだろうと思うのである。この歳になれば物事に対する分別も、判断力も若い人たちよりも備わっているはずである。
この先いつガンと宣告されるか分らないように、先が見通せない年齢になってきた。であれば、物事を余り四角四面に考えず、計画的に進めなくてもいいように思うのである。どちらかと言えば計画に基づかづ、行き当たりばったりの行動で、どう変化していくかを楽しむ方が、人生の最終章にふさわしい生き方のように思えるのである。
そう思って、今はそれを実践しようと心がけている。一人で仕事をしていれば、自分の中で仕事もプライベートの区別をつける必要もない。今、仕事机に向かってこのブログを書いている。電話が鳴って仕事の要件が入れば、それに反応してブログを書く手を止めてそのことに集中する。一段落すればまだブログを書き始める。人からお誘いがあれば仕事でもプライベートでも、それが誰からでも万障繰り合わせて出かけることにしている。そこでの人との出会いが、私に刺激を与えれくれる。ひょっとすれば仕事のヒントに繋がるかもしれない。心で考えて(計画して)動くのではなく、動くから心が反応する。その反応が連鎖して、いかにも心のままに動いているようになるのではないだろうか。そんな図式が私には理想のように思えるのである。
下の散歩の記録は最近の散歩パターンである。どこに行こうというあてもなく家を出て、心のままに歩いても、意外としっかり歩けるものである。
駅からの散歩
No.333 日高市・入間市 4月15日
14日の土曜日、冷たい雨が降って近所の桜はほとんど散ってしまった。日曜日は一転して良い天気である。「桜も今日が見おさめか、見るとすれば秩父方面だろう」、そう思って出かけることにした。どこに行くとも決めずに、西武線の飯能行きに乗る。電車に乗ってから、「さてどこへ行こう」と迷うが行く先が決まらない。飯能は散っているかもしれないし、秩父までは時間がかかる。今まで歩いたところで桜のあるところを頭の中で検索してみる。そして飯能の駅に着いてやっと高麗の巾着田に行くことに決めた。飯能から秩父線に乗り継いで高麗駅で降りる。高麗の巾着田は秋の曼珠沙華で有名だが、桜はまだ樹齢が若く名が知れていないから人が少ない。桜並木をゆっくり歩くと、時折り強い風が来て花びらを散らす。
巾着田をひと廻りしてから、とりあえず高麗神社に向うべく田舎道歩きだした。途中案内板に満蔵寺の表示がある。高麗神社は以前にも行っているから、満蔵寺に行ってみることにして道をそれる。満蔵寺を見てからスマホで現在位置を確認してみる。ここからであればJRの高麗川駅が近い。標識の案内に沿って田舎道をゆっくり歩いていると、今度は宮沢湖への矢印の看板が目にとまった。再びスマホで宮沢湖までの距離を計る。せいぜい30~40分か、そう思って宮沢湖に向かって歩きだした。
宮沢湖には思ったほどの桜はなかった。湖を半周してからバスで飯能駅に出る。駅に着いた時はまだPM3時である。このまま帰るのはもったいないから、一昨年行った入間川の桜を見てみようと思い直す。飯能から電車で元加治駅で下車をする。駅から歩いて入間川に出る。橋を渡り入間市側の川沿いには300メートルにわたって桜のトンネルになっている。やはり桜の散る様を見たほうが、桜を堪能した気持ちになれるものである。
西武線 高麗駅
この巾着田は曼珠沙華で有名、桜では名が知られていなから人はまばらである。
約100本の桜は堤に沿って咲き、菜の花畑は桜に沿って黄色のコントラストを映し出す。
巾着田(きんちゃくだ)は埼玉県日高市の西部、高麗川に囲まれた巾着のような形をした平地である。
風が吹くたび花びらが舞い散る
幻想的な雰囲気になる
巾着田から満蔵寺を経て宮沢湖へ歩く
若葉の薄緑色が新鮮
そろそろ田んぼの支度
宮沢湖
この湖は、わかさぎ釣りとヘラブナ専用の管理釣り場
飯能駅から電車で一駅の元加治駅に降りる
入間リバーサイドの桜並木
畑は雪が積もったようにピンクで染まっている
約300メートルにわたって続く桜並木は、昭和42から43年にかけて植えられた。
満開時には桜のトンネルができ、花びらが落ちはじめると、
薄紅のシャワーをあびた風情となる。
入間川
これで今年の桜も見おさめ
高校の漢文の授業で、論語の「吾れ十有五にして学に志ざす・・・・・・・」というのを暗記させられた。若い時に覚えた言葉は意外と記憶の中に留まっているもので、その後年齢の節目節目にその言葉を思い出すものである。
子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。
解釈は様々あるのだろうが、基本的には下記のようである。
孔子が云う、
私は十五才で(学問の道に入ろうと)決めた。
三十才で(学問に対する自分なりの基礎)を確立した。
四十才で戸惑うことがなくなった。
五十才で天命を悟った。
六十で何を聞いても動じなくなった。又は(自説と異なる)人の言葉にも素直に耳を傾けるようになった。
七十になってからは、心のおもむくままに行動しても、道理に違うことがなくなった。
果して孔子の人生観と自分とを比べてみて、どうだろうと思ってみる。
私は23歳で東京に出て就職する。
32歳で結婚、多摩ニュータウンにマンションを購入する。本籍を実家から抜いて名実ともに独立したことになる。
45歳でそれまで勤めていた会社を辞め、3年間は数社と年間契約でフリーの立場で仕事をした。48歳で中小企業に再就職し、55歳で個人事業主として独立する。論語とは大きく違い、40歳からは仕事のことで惑いに惑っていたように思う。そして独立したとき、他に選択肢が無いことを自覚して惑うこともまくなったように思うのである。
「五十にして天命を知る」の「天命」とは何であろう?と考える。 天命を「天の教えること」と解釈すれば、個人で仕事を初めてから、何年かで天命を知ることになる。それはどうガムシャラに頑張ろうが、所詮一人は一人の力でしか無いということである。焦れば焦るほど不安を覚え、自分が沈んで行くように思えてくる。それは泳ぎが未熟で水の中でバタつくと、体力を消耗しやがて溺れていくようでもある。力を抜いて波間に漂っていれば、人の体は浮くように出来ている。水に馴れ、やがて手を動かし足を動かせば自然に泳げるようになる。人間社会の中で生きるということは、周りに馴染むこと、そして人との繋がりの中でこそ、生きていけるのだと知ったことである。
さて、今は60歳後半である。多分これは歳の所為だと思うのだが、物事に対してあまり動じなくなったように思う。仲間を見渡せば、動じない方法に2つあるように見える。一つは頑固一徹で自分の主義主張は曲げないタイプ。もうひとつは柔軟さがあるゆえに受け流すことが出来るタイプである。自分は柔軟さを重んじる方である。先ほど書いたように、周りに馴染む為には、自説と異なった人の言葉にも、素直に耳を傾けたいと思っている。世の中にはいろんな考えの人がいる。自分に合わないからと拒否してしまえば、それだけ自分のネットワークを狭めることになると考えるからである。
70歳、もう間近である。そうなると「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」の心境を意識するようになる。「自分の心のおもむくままに行動する」とはどういう行動だろうかと考える。多分「好き勝手な行動をする」ということではないだろう。何か計画を立ててから動くのではなく、まず動いて見る。動けば色んなことに直面する。犬も歩けば棒に当たるである。何かに当たれば、そこで自分の心に問うてみる。そうすれば心は何かを示唆(反応)してくれるはずである。その心の感じるままに動いても、道理に反することはないのだろうと思うのである。この歳になれば物事に対する分別も、判断力も若い人たちよりも備わっているはずである。
この先いつガンと宣告されるか分らないように、先が見通せない年齢になってきた。であれば、物事を余り四角四面に考えず、計画的に進めなくてもいいように思うのである。どちらかと言えば計画に基づかづ、行き当たりばったりの行動で、どう変化していくかを楽しむ方が、人生の最終章にふさわしい生き方のように思えるのである。
そう思って、今はそれを実践しようと心がけている。一人で仕事をしていれば、自分の中で仕事もプライベートの区別をつける必要もない。今、仕事机に向かってこのブログを書いている。電話が鳴って仕事の要件が入れば、それに反応してブログを書く手を止めてそのことに集中する。一段落すればまだブログを書き始める。人からお誘いがあれば仕事でもプライベートでも、それが誰からでも万障繰り合わせて出かけることにしている。そこでの人との出会いが、私に刺激を与えれくれる。ひょっとすれば仕事のヒントに繋がるかもしれない。心で考えて(計画して)動くのではなく、動くから心が反応する。その反応が連鎖して、いかにも心のままに動いているようになるのではないだろうか。そんな図式が私には理想のように思えるのである。
下の散歩の記録は最近の散歩パターンである。どこに行こうというあてもなく家を出て、心のままに歩いても、意外としっかり歩けるものである。
駅からの散歩
No.333 日高市・入間市 4月15日
14日の土曜日、冷たい雨が降って近所の桜はほとんど散ってしまった。日曜日は一転して良い天気である。「桜も今日が見おさめか、見るとすれば秩父方面だろう」、そう思って出かけることにした。どこに行くとも決めずに、西武線の飯能行きに乗る。電車に乗ってから、「さてどこへ行こう」と迷うが行く先が決まらない。飯能は散っているかもしれないし、秩父までは時間がかかる。今まで歩いたところで桜のあるところを頭の中で検索してみる。そして飯能の駅に着いてやっと高麗の巾着田に行くことに決めた。飯能から秩父線に乗り継いで高麗駅で降りる。高麗の巾着田は秋の曼珠沙華で有名だが、桜はまだ樹齢が若く名が知れていないから人が少ない。桜並木をゆっくり歩くと、時折り強い風が来て花びらを散らす。
巾着田をひと廻りしてから、とりあえず高麗神社に向うべく田舎道歩きだした。途中案内板に満蔵寺の表示がある。高麗神社は以前にも行っているから、満蔵寺に行ってみることにして道をそれる。満蔵寺を見てからスマホで現在位置を確認してみる。ここからであればJRの高麗川駅が近い。標識の案内に沿って田舎道をゆっくり歩いていると、今度は宮沢湖への矢印の看板が目にとまった。再びスマホで宮沢湖までの距離を計る。せいぜい30~40分か、そう思って宮沢湖に向かって歩きだした。
宮沢湖には思ったほどの桜はなかった。湖を半周してからバスで飯能駅に出る。駅に着いた時はまだPM3時である。このまま帰るのはもったいないから、一昨年行った入間川の桜を見てみようと思い直す。飯能から電車で元加治駅で下車をする。駅から歩いて入間川に出る。橋を渡り入間市側の川沿いには300メートルにわたって桜のトンネルになっている。やはり桜の散る様を見たほうが、桜を堪能した気持ちになれるものである。
西武線 高麗駅
この巾着田は曼珠沙華で有名、桜では名が知られていなから人はまばらである。
約100本の桜は堤に沿って咲き、菜の花畑は桜に沿って黄色のコントラストを映し出す。
巾着田(きんちゃくだ)は埼玉県日高市の西部、高麗川に囲まれた巾着のような形をした平地である。
風が吹くたび花びらが舞い散る
幻想的な雰囲気になる
巾着田から満蔵寺を経て宮沢湖へ歩く
若葉の薄緑色が新鮮
そろそろ田んぼの支度
宮沢湖
この湖は、わかさぎ釣りとヘラブナ専用の管理釣り場
飯能駅から電車で一駅の元加治駅に降りる
入間リバーサイドの桜並木
畑は雪が積もったようにピンクで染まっている
約300メートルにわたって続く桜並木は、昭和42から43年にかけて植えられた。
満開時には桜のトンネルができ、花びらが落ちはじめると、
薄紅のシャワーをあびた風情となる。
入間川
これで今年の桜も見おさめ