NHKの「ダーウインが来た」という動物のドキュメンタリーを見た。今回はインドの虎の話である。トラは女系家族で、番組の中に出てくる女王のトラは10年もの間、湖畔の一等地を縄張りとし、9頭もの子どもを育てている。しかし老境にさしかかり、体力は最盛期を過ぎて、縄張りを狙われるようになる。その狙うトラは自分が生んだ愛娘達である。母親は必死に闘うが、とうとう破れてしまい、娘の一頭に取って代わられてしまった。動物界の宿命とは言え、ある種のむごさを感じてしまうものである。
この種の番組を見るたびに思うことがある。動物も植物も生命である以上「生きる」という大前提がある。長い長い進化の過程の中で、「生き残る」ために積み重ねられてきた技能が「本能」というものであろう。そして我々人間も哺乳類サル目ヒト科に属する動物である以上、当然本能は備えている。しかし人間は大脳皮質が発達しているから、自分は理性で行動しているものだと思っているようである。しかし、ある説によればそれはせいぜい2~3割、やはり7~8割は本能のままに行動しているのだと言う。北朝鮮やリビア、かつてのイラクやエジプトのように、手に入れた権力は人民を犠牲にしてでも死守しようとするあり様、これも人間のサガ(本能)なのであろう。そんな権力者の話で無くても、ストーカー殺人にしても、前夫の子供の虐待や電車の中の痴漢行為も、まさしく本能むき出しの行動なのである。そしてこんな象徴的な内容でなくても、よく目を凝らせば我々の日常の言動も、基本的には本能に裏打ちされているように思うのである。
先々週、先週と立て続けに昔の仲間と飲むことになった。ひと組は勤めた会社を退社後に別な部署で嘱託社員として働いている2人とである。もうひと組は完全リタイアで悠々自適の2人である。嘱託組との話の内容は、周りにいる若い社員の未熟さの非難であった。俗に言う「今の若い者は・・・・」という話である。自分の若いころと比べて、今の若い奴らは意欲が無い、真剣味が無い、夢が無い。挨拶が出来ない、機転が効かない、自主性が無い、文字を知らない・・・・・。と次から次へとよくここまで出てくるものだと感心するほどである。最近の言葉で言えば「ダメ出し」ということであろう。私は皮肉を込めたつもりで、「そんなダメ社員の中で、嘱託のお前は何をするの?」と問うてみた。そうすると真顔で「あと居られてもせいぜい1年か2年だから、その間に若い奴らに俺の経験して得たことの幾分かでも教えてやろうと思っている」、と意気込むのである。すでに第一線から外れて、自分達の昇進に影響の無くなったオジサンの武勇伝を、若い人がまともに聞いてくれるとは思えないのであるが。
今度は完全リタイアの仲間と飲むと、少し違った話になる。第一線を退いて時間が経っているから、若い人達との接触は少ない。だから若者へのダメ出しもあまり話題にはならない。しかしどうしても情報の多くが新聞やTVになっていまうから、話は今の世相のことになる。中国は、北朝鮮は、から始まって、今の野田政権は、国民新党の亀井は、小澤は、という政治批判から、原発は、東電の対応は、今のTV番組の低俗さは、ジャイアンツの体たらくは、原監督ではダメだ・・・と、嘱託組の若者へのダメ出しと違って、マスコミの論調に乗っての世の中のダメ出しなのである。
飲み屋で私に向かって、若者批判や世の中の批判をどんなに一生懸命喋ったところで、何の解決にもならない。それは喋る方も充分に分っていることである。ではなぜ??・・・・と考えてみる。冷静に考えれば無駄なことを、こんなに多くの年配者が口角泡を飛ばし、真剣に喋るということは、これも人間の持つ本能なのであろうと思ってしまう。一つにはストレス発散の役割も果たすのであろうが、もうひとつには自分が世の中や若者を批判している立場は、自分が彼らより高い位置にいるということを暗に示したいのでだろうと思う。無意識なのだろうが、「こんなにバンバン批判する俺ってすごいだろう」という、彼らの心の声が聞こえてくるように思えるのである。これはトラが自分の縄張りを誇示するするための雄たけびにも似ているが、しかし彼らのそれは、群れを追われた時の精一杯の遠吠えのように聞こえるのである。自分の力が最盛期を過ぎてしまったこと、自分が世間から次第に疎外されていくこと、それを自らが認めて受け入れるまでには、やはりいくばくかの時間がかかる。それまでは時折、酒の席で自己顕示しなければいけないのである。これは人間(男)の持つ本能の一つなのであろう。
先日の日経新聞の春秋というコラムに、「ポジ出し」というのがあった。ダメ出しに対して、物事をもう少しポジティブに捉えてみよう、というものである。今の世の中、誰もが健全な状態だとは思ってはいないだろう。だからと言って、「ダメだ、ダメだ、ダメだ」と批判し合っていても、良い方向には向かわなし、益々暗くなるし、聞けば聞くほど悲しくなってくる。それより少し「ポジ出し」をしてみよう、と言うことである。周りの人たちの言動に対して、意識的に「これ良いね」、「それ面白いじゃない」、そんな些細なほめ言葉をかけることができれば、相手は少しは良い気持ちになし、明るなれるかもしれない。これは我々年寄りに残された仕事の一つではないだろうかと思ってみる。なぜなら他の動物と違って、2~3割の理性を供えた人間ならば出来る技であり、人生経験の長い年寄りにこそふさわしいと思うからである。
この種の番組を見るたびに思うことがある。動物も植物も生命である以上「生きる」という大前提がある。長い長い進化の過程の中で、「生き残る」ために積み重ねられてきた技能が「本能」というものであろう。そして我々人間も哺乳類サル目ヒト科に属する動物である以上、当然本能は備えている。しかし人間は大脳皮質が発達しているから、自分は理性で行動しているものだと思っているようである。しかし、ある説によればそれはせいぜい2~3割、やはり7~8割は本能のままに行動しているのだと言う。北朝鮮やリビア、かつてのイラクやエジプトのように、手に入れた権力は人民を犠牲にしてでも死守しようとするあり様、これも人間のサガ(本能)なのであろう。そんな権力者の話で無くても、ストーカー殺人にしても、前夫の子供の虐待や電車の中の痴漢行為も、まさしく本能むき出しの行動なのである。そしてこんな象徴的な内容でなくても、よく目を凝らせば我々の日常の言動も、基本的には本能に裏打ちされているように思うのである。
先々週、先週と立て続けに昔の仲間と飲むことになった。ひと組は勤めた会社を退社後に別な部署で嘱託社員として働いている2人とである。もうひと組は完全リタイアで悠々自適の2人である。嘱託組との話の内容は、周りにいる若い社員の未熟さの非難であった。俗に言う「今の若い者は・・・・」という話である。自分の若いころと比べて、今の若い奴らは意欲が無い、真剣味が無い、夢が無い。挨拶が出来ない、機転が効かない、自主性が無い、文字を知らない・・・・・。と次から次へとよくここまで出てくるものだと感心するほどである。最近の言葉で言えば「ダメ出し」ということであろう。私は皮肉を込めたつもりで、「そんなダメ社員の中で、嘱託のお前は何をするの?」と問うてみた。そうすると真顔で「あと居られてもせいぜい1年か2年だから、その間に若い奴らに俺の経験して得たことの幾分かでも教えてやろうと思っている」、と意気込むのである。すでに第一線から外れて、自分達の昇進に影響の無くなったオジサンの武勇伝を、若い人がまともに聞いてくれるとは思えないのであるが。
今度は完全リタイアの仲間と飲むと、少し違った話になる。第一線を退いて時間が経っているから、若い人達との接触は少ない。だから若者へのダメ出しもあまり話題にはならない。しかしどうしても情報の多くが新聞やTVになっていまうから、話は今の世相のことになる。中国は、北朝鮮は、から始まって、今の野田政権は、国民新党の亀井は、小澤は、という政治批判から、原発は、東電の対応は、今のTV番組の低俗さは、ジャイアンツの体たらくは、原監督ではダメだ・・・と、嘱託組の若者へのダメ出しと違って、マスコミの論調に乗っての世の中のダメ出しなのである。
飲み屋で私に向かって、若者批判や世の中の批判をどんなに一生懸命喋ったところで、何の解決にもならない。それは喋る方も充分に分っていることである。ではなぜ??・・・・と考えてみる。冷静に考えれば無駄なことを、こんなに多くの年配者が口角泡を飛ばし、真剣に喋るということは、これも人間の持つ本能なのであろうと思ってしまう。一つにはストレス発散の役割も果たすのであろうが、もうひとつには自分が世の中や若者を批判している立場は、自分が彼らより高い位置にいるということを暗に示したいのでだろうと思う。無意識なのだろうが、「こんなにバンバン批判する俺ってすごいだろう」という、彼らの心の声が聞こえてくるように思えるのである。これはトラが自分の縄張りを誇示するするための雄たけびにも似ているが、しかし彼らのそれは、群れを追われた時の精一杯の遠吠えのように聞こえるのである。自分の力が最盛期を過ぎてしまったこと、自分が世間から次第に疎外されていくこと、それを自らが認めて受け入れるまでには、やはりいくばくかの時間がかかる。それまでは時折、酒の席で自己顕示しなければいけないのである。これは人間(男)の持つ本能の一つなのであろう。
先日の日経新聞の春秋というコラムに、「ポジ出し」というのがあった。ダメ出しに対して、物事をもう少しポジティブに捉えてみよう、というものである。今の世の中、誰もが健全な状態だとは思ってはいないだろう。だからと言って、「ダメだ、ダメだ、ダメだ」と批判し合っていても、良い方向には向かわなし、益々暗くなるし、聞けば聞くほど悲しくなってくる。それより少し「ポジ出し」をしてみよう、と言うことである。周りの人たちの言動に対して、意識的に「これ良いね」、「それ面白いじゃない」、そんな些細なほめ言葉をかけることができれば、相手は少しは良い気持ちになし、明るなれるかもしれない。これは我々年寄りに残された仕事の一つではないだろうかと思ってみる。なぜなら他の動物と違って、2~3割の理性を供えた人間ならば出来る技であり、人生経験の長い年寄りにこそふさわしいと思うからである。