フェイスブックで、ある人の記事に友達がコメントをつけていた。そのことで私もその人の記事を読むことができる。記事にはこう書いてあった。
《 私事、また病のことで恐縮です。最近ふと喉に違和感を感じたので、耳鼻咽喉科に行きました。かかりつけの病院なので、こちらの体調も良く心得てくれていて、診てもらうと、そのドクターは開口一番、「ここより設備の整った病院に行って診てもらってください。紹介状を書きます」ということで、その足で市民病院に行きました。とりあえず診察後造影剤を注射して、CTを撮りました。その後、喉に麻酔して喉の組織を取りました。あれよあれよといううちに血液検査などもして、その結果をドクターから伝えられました。「喉頭癌の疑いあります」、一瞬にして頭の中が真っ白になりました。「まだ、組織の病理検査が終わらないとわからないけれども、最悪な状況もあり得ますから、僕はそれを伝えます」というドクターの言葉は、なまじ隠しだてされるよりはまだましだと思いました。最悪の場合喉頭部の摘出が余儀なくされて、声を失う。でも、人口声帯で話はできる。とのことです。
病院からの帰り道、もう葉桜になったサクラを見ながら考えました。「声が出なかったら授業できないな」、誰かと話せなくなるとか考えないで、「授業」の心配をしてる........自分。日頃アンチ教師である自分がそんなことを考えている。そんな自分がおかしくて少し笑いました。そして気がついたら頬に涙が伝ってました。病理検査がわかるのが28日。よりによって連休の始まりの日だそうです。どういう結果が出ようとも、運命だと思って受け止めようと思ってます。あんまり美声ではなかったけど、大学時代の私の声。覚えていてくださいね。》
私にとっては見ず知らずの人である。しかし、こんな記事を読むと身につませれるものである。文章から推測すれば彼は学校の先生であろう。また知人の年齢から推測すると40代後半である。今週の月曜日には病理検査の結果が判明しているはずである。どちらにしてもその人にとっては人生最大の試練であることは確かである。記事の中にあった、「どういう結果が出ようとも、運命だと思って受け止めよう」と思っても、これがいかに大変なことであるかは、今まで色んな人の体験に接してみて感じていることである。そして思うことは、自分がガンの告知を受けた時どんな気持ちでいられるのか、それをどう聞き、どう受け止めるのか、やはり私にとっても最大の試練なのである。それもそんなに遠くはないうちに、
先週、知人のお通夜に参列した。故人とはここ7~8年のお付き合いであるが、馬が合うのかよく飲みにいった仲である。彼は71歳、サラリーマン時代は部下に対して厳しい人であったようだが、しかし私の知る彼は気遣いの人であり、誰に対しても優しいく穏やかな人であった。昨年の3月、尿道ガンが見つかったと彼から連絡がある。治療としては入院はせず通院で抗がん剤でガンを叩き、小さくしてから手術するということであった。そして予定通り、昨年8月に手術をしたようである。術後は順調ということなので、久々に浅草で会うことになった。話し振りも以前と変わった様子はなく、いたって元気そうである。病状についても楽観的な口ぶりで、「今は医者に酒は止められているが、来年には又一杯やりましょう」ということで別れたのである。しかしそれから3ヶ月もしないうちに、ガンが(全身に)転移しているという連絡を貰う。この時も淡々とした話し振りで、やはり入院はせず自宅で闘病生活をするということであった。その後は連絡することも憚られ、彼の様子はわからないままであった。そして先週突然の訃報である。病気が判って1年あまり、人の命とは果敢ないものである。
お通夜で聞いた話では、今年の3月頃から足が浮腫んで歩行もままならなくなり、外出時は車椅子を使うようになったそうである。たまたま一人でトイレに行った時に倒れてしまい、頭を強打して意識を失ってしまった。直ぐに救急車で病院に運んだが、翌日の早朝に帰らぬ人となったしまったという。家族の話では最後の最後まで、にこやかに穏やかに淡々と病気と向き合ったてしていたそうである。お通夜には彼の付き合いの広さと人柄からか、100人を越す弔問客があった。そんな中、誰に聞いても、彼は周りの人に対してはいつもにこやかに穏やかに有り続けたようである。しかし当然、彼の心の中では大きな動揺と葛藤が有り続けたはずである。それを彼はどう克服していたのであろうか? 遺影のにこやかに笑う彼の顔をみると、尊敬の念と、又一人得がたい友人を失ってしまった喪失感が、こみ上げてくるのである。
今やガンによる死亡率は3人に1人といわれている。我が家系では父も母も、祖母や叔父もガンで死亡していて圧倒的にガン家系である。私の場合も体質的に心症患や脳血管症患より、ガンによる最期を迎える確率の方が高いであろう。ガンの場合は臨終を迎えるまでに家族と過ごす時間があるから良いだろうという話もあるが、私は長く生きるというより、苦しみたくないという希望の方が強い。人は何時かは最期を迎えるわけで、それがどんな形になるかは誰もわからない。しかしどんな形にせよ彼のように、自分を乱すことなく穏やかに逝きたいたいと思うのである。
《 私事、また病のことで恐縮です。最近ふと喉に違和感を感じたので、耳鼻咽喉科に行きました。かかりつけの病院なので、こちらの体調も良く心得てくれていて、診てもらうと、そのドクターは開口一番、「ここより設備の整った病院に行って診てもらってください。紹介状を書きます」ということで、その足で市民病院に行きました。とりあえず診察後造影剤を注射して、CTを撮りました。その後、喉に麻酔して喉の組織を取りました。あれよあれよといううちに血液検査などもして、その結果をドクターから伝えられました。「喉頭癌の疑いあります」、一瞬にして頭の中が真っ白になりました。「まだ、組織の病理検査が終わらないとわからないけれども、最悪な状況もあり得ますから、僕はそれを伝えます」というドクターの言葉は、なまじ隠しだてされるよりはまだましだと思いました。最悪の場合喉頭部の摘出が余儀なくされて、声を失う。でも、人口声帯で話はできる。とのことです。
病院からの帰り道、もう葉桜になったサクラを見ながら考えました。「声が出なかったら授業できないな」、誰かと話せなくなるとか考えないで、「授業」の心配をしてる........自分。日頃アンチ教師である自分がそんなことを考えている。そんな自分がおかしくて少し笑いました。そして気がついたら頬に涙が伝ってました。病理検査がわかるのが28日。よりによって連休の始まりの日だそうです。どういう結果が出ようとも、運命だと思って受け止めようと思ってます。あんまり美声ではなかったけど、大学時代の私の声。覚えていてくださいね。》
私にとっては見ず知らずの人である。しかし、こんな記事を読むと身につませれるものである。文章から推測すれば彼は学校の先生であろう。また知人の年齢から推測すると40代後半である。今週の月曜日には病理検査の結果が判明しているはずである。どちらにしてもその人にとっては人生最大の試練であることは確かである。記事の中にあった、「どういう結果が出ようとも、運命だと思って受け止めよう」と思っても、これがいかに大変なことであるかは、今まで色んな人の体験に接してみて感じていることである。そして思うことは、自分がガンの告知を受けた時どんな気持ちでいられるのか、それをどう聞き、どう受け止めるのか、やはり私にとっても最大の試練なのである。それもそんなに遠くはないうちに、
先週、知人のお通夜に参列した。故人とはここ7~8年のお付き合いであるが、馬が合うのかよく飲みにいった仲である。彼は71歳、サラリーマン時代は部下に対して厳しい人であったようだが、しかし私の知る彼は気遣いの人であり、誰に対しても優しいく穏やかな人であった。昨年の3月、尿道ガンが見つかったと彼から連絡がある。治療としては入院はせず通院で抗がん剤でガンを叩き、小さくしてから手術するということであった。そして予定通り、昨年8月に手術をしたようである。術後は順調ということなので、久々に浅草で会うことになった。話し振りも以前と変わった様子はなく、いたって元気そうである。病状についても楽観的な口ぶりで、「今は医者に酒は止められているが、来年には又一杯やりましょう」ということで別れたのである。しかしそれから3ヶ月もしないうちに、ガンが(全身に)転移しているという連絡を貰う。この時も淡々とした話し振りで、やはり入院はせず自宅で闘病生活をするということであった。その後は連絡することも憚られ、彼の様子はわからないままであった。そして先週突然の訃報である。病気が判って1年あまり、人の命とは果敢ないものである。
お通夜で聞いた話では、今年の3月頃から足が浮腫んで歩行もままならなくなり、外出時は車椅子を使うようになったそうである。たまたま一人でトイレに行った時に倒れてしまい、頭を強打して意識を失ってしまった。直ぐに救急車で病院に運んだが、翌日の早朝に帰らぬ人となったしまったという。家族の話では最後の最後まで、にこやかに穏やかに淡々と病気と向き合ったてしていたそうである。お通夜には彼の付き合いの広さと人柄からか、100人を越す弔問客があった。そんな中、誰に聞いても、彼は周りの人に対してはいつもにこやかに穏やかに有り続けたようである。しかし当然、彼の心の中では大きな動揺と葛藤が有り続けたはずである。それを彼はどう克服していたのであろうか? 遺影のにこやかに笑う彼の顔をみると、尊敬の念と、又一人得がたい友人を失ってしまった喪失感が、こみ上げてくるのである。
今やガンによる死亡率は3人に1人といわれている。我が家系では父も母も、祖母や叔父もガンで死亡していて圧倒的にガン家系である。私の場合も体質的に心症患や脳血管症患より、ガンによる最期を迎える確率の方が高いであろう。ガンの場合は臨終を迎えるまでに家族と過ごす時間があるから良いだろうという話もあるが、私は長く生きるというより、苦しみたくないという希望の方が強い。人は何時かは最期を迎えるわけで、それがどんな形になるかは誰もわからない。しかしどんな形にせよ彼のように、自分を乱すことなく穏やかに逝きたいたいと思うのである。
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