60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

ワーキングメモリー

2011年02月18日 10時17分30秒 | Weblog
上の写真、ある社員の仕事机である。「これでよく仕事ができるなぁ?」「片づけたらどうだ!」
そう思うのだが、彼はこんな状態であっても、仕事に支障があるとは思っていないようである。
どこに何が置いてあるのか? 記憶をたどって捜し出すことができるらしい。しかし、年に一度
片づけることがあるか無いかだから、どんどん物が広がって行き周りが迷惑することになる。

先日から、祥伝新書「発達障害に気づかない大人たち」という本を読んでいる。その中に彼の
ような性格についての原因と、それに対しての治療法が書いてあった。

人の脳は母親のお腹の中で膨大な細胞分裂を繰り返し発達していく。人の体型が違うように
脳も人によって発達のバランスが違ってくる。そのバランスの違いが個人の特性や性格として
出てくるのである。だから人は生まれた時から、皆が一様というわけではないのである。
一般の人から見ると個人の性格の差で「片づけられない」、「短気でキレやすい」、「人の話を
聞かない」、「まわりの空気が読めない」などの症状は誰にも有りそうな短所のように見える。
確かにそれらはどこでも誰でもありそうな問題であるが、しかしそれらがまとまったり、極端な
症状として一人の人間に発現すると、学校や職場に適応できなくなってくる場合がでてくる。

このような症状は、普通はその人の性格や個性に属するものであって「頑張れば何とか克服
できる。出来ないのは本人の努力不足なのだ」と周辺も本人も考えがちである。そしてそれは
家庭の養育環境や心的外傷体験(トラウマ)などの環境要因や心理的要因で起こると考えら
れるが、しかしそうではなく最近の研究ではそれは明らかに生まれつき(遺伝性)、もしくは
出産前後に脳機能が損なわれることによって発症することが確認されている。
そしてその遺伝的な要因を持っていれば必ずしも発症するとはとは限らず、それはあくまでも
かかりやすさが遺伝していると考えられるのが一般的のようである。そんな脳の発達過程の
アンバランス(発達障害)の一つに、「注意欠陥・多動性障害(ADHD)」というのがある。その
中でもっとも高い頻度で現れるのが「片づけられず、もの忘れが多い」という症状のようである。

ではどうしてそれが起こるのか?近年注目されているのが「ワーキングメモリー」という考え方
だそうである。「ワーキングメモリー」を一言でいえば、一つの情報を保持しながら、別の活動を
する能力。例えばキッチンでカレーを作っている時に電話がかかってきたとする。普通は電話の
相手と話しながらも、鍋のそばを離れず、時々焦げ付かないようかき回したりするはずである。
今やっていることとは別になにかをやらなければならない時、それに必要な情報を必要な期間
だけ貯蔵し、頭の中で注意を喚起する仕組み、これが「ワーキングメモリー」なのである。
昔風にいえば「ながら族」、「○○しながら○○する」という風に、同時並行的に行動を制御する
能力なのであろう。もう少し端的にいえば、頭の中に貼ったメモ帳(付箋)のようなものである。

パソコンでいえば3大機能のCPU、メモリー、ハードディスクのメモリー部分に当たるのだろう。
今のPCはメモリーの能力が高ければ高いほど、一度に沢山のアプリケーションを立ち上げて
作業ができる。他の機能は並みのPC以上なのに、このメモリー能力が不足していると単独の
仕事では圧倒的に優れているが、他の仕事に移る時はいちいちアプリケーションを閉じてから
でないと他の作業に移れない。これと同じで個人のワーキングメモリーが優れていれば複数の
業務や仕事を記憶の中でこなすことができる。しかしメモリー容量が不足していると次のことを
やるとフリーズしたり、前のことを忘れてしまうなどと、同時並行的な作業が困難になってくる。
頭の中に貼っておく付箋の糊の粘着力が弱くすぐにはがれ落ちてしまう、そんな感じであろう。

そして同時並行的な作業が困難だと、今ある課題をどう順序立てて実行すればよいか考えたり、
いくつもある条件の中から最適な答えを見つけたりするということも難しくなって来るようである。
この種の性質の人によくある特徴として「本業は出来るのに雑用ができない」「仕事は出来ても
家事ができない」などと言われる。それは、雑多な要件の優先順位をつけ、先を読んで手順を
考え、やりかけの仕事を最後まで続けて完成させる。というような一連の作業を段取りよくでき
ないからなのである。「片づけられず、もの忘れが多い」という現象はまさにその結果なのである。

それから、この性格の人は、自分に興味のないことは特に忘れやすく「記憶として取りこむこと」
「忘れずに覚えていること」「思いだすこと」も苦手なようである。しかしその一方で自分の興味や
関心があることには驚くほどの記憶力を発揮するようである。自分の興味の程度によって、その
注意力や記憶力に大きな差がでてくるのが、この種の人の典型的な症状のようである。
彼らには普通の人が出来ることができない半面、特定の限られた領域では普通の人にはとても
真似のできないような優れた才能を発揮する人も多いようである。歴史に名を残す偉人や天才に
この種の発達障害を抱えていたとされる人物が多いと言われている。音楽家だとベートーベンや
モーツアルト、科学者だとエジソンやアインシュタイン、レオナルド・ダ・ビンチなど画家だとピカソ、
ダリなどはその典型と言われている。

「片づけられず、もの忘れが多い」という人達は、現実の社会の中では「こまった人」ということで、
職場で敬遠され、疎外されて次第に孤立していく。そして、ストレス耐性の弱い彼らはそのことで
精神的なダメージを受け安く、うつを発症したり、アルコールに依存したり、ひきこもったりと二次
的な精神疾患に発展することが多いそうなのである。
写真の机の主は東大を目指した秀才である。残念ながらそれは失敗したが、しかし難関の有名
私大を卒業したエリートである。「天はニ物を与えず」ではないが、彼の弱点は「片づけられない」
ことにある。しかし幸いに彼はオーナーの息子である。誰も何も言わないからこのことで精神的な
ダメージをうけることはない。しかし将来彼が会社を引き継いだ時、反対に使われる従業員の方が
精神的に追い詰められるのではないかと心配になる。

私がこの種のことに興味を持つのは、私の女房もまた「片づけられない人」だからである。物事の
優先順位がつかない。先を読んで手順がつかない。やりかけのままで放置する。本にあるままの
性格なのである。洗濯をしても取り込まないし、畳まない。時間を約束してもいつも大幅に遅れ、
遅れても「仕方ないこと」として反省もない。料理することは嫌いで、スーパーの惣菜で済ませる
ことが多い。何を頼んでも1度でそれをやってくれたことはない。部屋は片た付かずいつも雑然とし
居心地が悪い。そんなことでケンカが絶えなくなり、結果的に夫婦仲は次第に悪くなるのである。

今まで「やればできるのに、それをやらないのは本人のなまけ癖であり努力不足」と思っていた。
しかしここ数年は「やらないのではなく、できないのではないか」という風に思うようになっていた。
だが彼女は「できないのではなく、いろいろやる事が多くって、そのことまで手が回らない」のだと
いつも言い訳をするだけで、何ら解決しようとはしないのである。今回この本を読んで女房は発達
障害の中の多動性障害(ADHD)だろうと確信を持つに至ったのである。ではどうしたらよいか?
本によると、この種の発達障害は「薬とカウンセリングで改善できる」と書いてある。この本の著者
自身(心療内科医)も重度の発達障害であったと書いてあった。しかしこの治療の前提は、本人が
自分に発達障害があるということを認め(認知)、受け入れること(受容)から始まるとも書いてある。

自分は優秀なんだと思っているオーナーの息子、長女でプライドの高い我が女房、どちらも自分の
欠陥を認めさせるのは容易なことではないだろう。そしてそのことで影響を受けている周りの人も、
それを認識してもらう過程で激しいストレスと不快感を感じることになるはずである。そしてついつい
「もういい、勝手にすれば」、そんな言葉が出て来てしまうと思うのである。「こまった人」と付き合う
側からすれば、「何と面倒なのだろう」と思うのだが、反対側から見れば彼らもまた周りの人達との
調整や調和が上手くいかず思い悩み、精一杯の神経を使っているはずである。
女房も私も歳を取ってくるに従ってワーキングメモリーはより衰えてくるし、お互いの忍耐力も無く
なって来ている。さてどうしたものか?解決方法はあるのか?老後の最大の課題である。

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