60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

病気とどう向き合うか?

2013年05月24日 09時19分13秒 | Weblog
 先日本屋をのぞいていたら、「医者に殺されない47の心得」、という刺激的なタイトルの本が目に止まった。著者は「近藤誠」、この名前は本屋で時々見かけたことがある。著書に「患者よガンと戦うな」など、現代の医療のあり方に批判的なタイトルの本が何冊かあったのを覚えている。私は健康には関心は高いが、今までこの手の本はあまり読んでいない。それは医療の一部をとらえ、独善的な主張をする類のものが多いように思うからである。しかし今回は、本の帯に「近藤誠 第60回菊池寛賞受賞」と書かれている。やはり「菊池寛賞受賞」と書いてあると少し気になる。この賞は芥川賞や直木賞と同じように財団法人日本文学振興会が授賞事務を行っている賞の一つである。やはり、ある種のお墨付きを得ているように思い、読んで見ることにした。

 近藤誠、慶応大学医学部卒業後米国に留学、現在は同大学病院の放射線科の現役の医者である。本の中で彼が主張しているのは、現在一般的に言われている検診の基準値やガン等の診断基準は、日本独自のものであって諸外国のそれとは異なるものが多い。そしてこれら基準の大半は医者や製薬会社の金儲けのためにあるようで、本来の医療目的とはかけ離れてきている。そのため患者は過剰な検査や治療、過度の薬の投与を受けることになり、医療機関に頼れば頼るほど反対に健康を害し、結果的に寿命を縮めることになる。と言うものである。

 例えば高血圧について、
 高血圧や高コレステロール血症の基準値と呼ばれるものがある。まずこの基準が全くあてにならない。病気ごとに専門学会がつくられでいるが、これが談合体質で根拠なく数値が決められる。特に高血圧はの基準値操作は目に余る。1998年の厚生省全国調査の基準値は160/95であった。ところが2000年にはっきりした理由もなく140/90に引き下げられる。98年の基準値に当てはめると、高血圧症の日本人は1600万人、それが新基準では一挙に3700万人になってしまう。さらに2008年に始まったメタボ検診ではついに130/80以上が治療目安になる。その結果薬品業界はホクホクで、1988年の降圧剤の売り上げは2000億円弱だったが、2008年には1兆円を超えてしまった。基準値をいじって薬の売り上げは6倍強、また基準作成委員の多くが製薬会社から巨額の寄付金を受け取っている(その内国公立大の11人全員に2002年から04年の3年間に14億円の寄付があった)。人の体は歳を取るに連れて自然に血圧を上げるようにできている。それは脳や手足のすみづみまで血液を送り続けるために必要なことなのである。それを薬で下げたら、抹消まで血液が届かずボケたりふらついたりする。フィンランドの調査では80歳以上では180以上の人達の生存率が最も高く、140を切った人達の生存率はガクンと下がる。なのに日本では130以上で病気にされ、薬で下げられているのである。

 例えばガンについて、
 症状がなくて検診で見つかったガンはほぼ命を奪わない「良性腫瘍」(がんもどき)である。発見されたものが、ほんもののガンならすでに転移しているので、切除手術や抗がん剤の治療は無意味である。ガンの病巣は直径1mmに育った段階で、約100万個のがん細胞があり、本物のガンならそれ以前に血液に乗って、あちこちに転移している。分子生物の研究が進んだ現段階で、「ガンは当初から転移する能力があり、大きくなったから転移するという説は間違い」、と判明している。抗がん剤が効くと言うのは「がんのしこりを一時的に小さくする」だけで、ガンを治したり延命に役立ったりするわけではない。日本人のガンの9割を占める胃ガン、肺ガン、大腸ガン、乳ガンなどの塊を作る固形ガンには抗がん剤は全く無意味で、つらい副作用と寿命を縮める作用しかない。一般的にガンの治療で治ったといわれているのは、手術や抗がん剤を必要としない「良性腫瘍」であり、我々は無駄な過剰医療を受けていることになる。

 本物のガンであっても、手術や抗がん剤の治療しなければ痛みのコントロールは完璧にできるし、死の間際までボケたり意識不明になることなく、比較的頭はハッキリしている。「どうしたら患者さんが最も苦しまず、長生きできるか」という観点から、無理や矛盾のない診療方針を考えたとき、「ガン放置療法」に到達する。「がんもどき」なら転移の心配はなく、「本物のガン」なら治療しても、しなくても死亡率に差はなく、延命期間も同じである。ならばそのガンによる痛みや機能障害が出てきたときに初めて、痛み止めや放射線治療や場合によっては外科手術をすれば良い。これが世界で最も新しい治療法であり、考え方であり、最善の対処法である。実際にはガンで自然に死ぬのはすごく楽である。検診などで無理やりガンを見つけ出さず、もし見つかっても治療しなければ逆に長生きできる。そして延命処置などせず、枯れ木のように死んでいくのが最もラクな終焉の迎え方である。

 読み終えて自分のことを考えてみる。医者に『胃ガンです』と宣告されたとき、自分はどう考えるかである。本にあるように、「本物のガン」であればすでに転移しているから、手術しようが抗がん剤を飲もうが体を痛めるだけで意味がない。「がんもどき」であれば、ゆっくり様子をみておいて自覚症状が出れば対処すれば良い。果たしてそう信じてガンと戦わず「放置」しおくことができるだろうか?この著者の説は正しいのか?それとも一般的に言われていることに従うべきなのか?迷うところである。今は宣告された時に自分の気持ちがどう傾くかは予測できない。しかしガンでの死亡率が半数に近い現在ではガンの宣告を受ける確立は非常に高い。どちらにしても自分の命である。最後は著者が言うように、医者に任せず自分で調べ、自分で考えてから自分が判断するようにしたいと思っている。

本の最後にこう書いてあった。
日本人は医者好きである。最高の治療を受けるつもりで病院に行って、過剰医療の標的になってしまう。皮肉なことに社会的ステータスが高い人のほうが、「任せておけば、うまいことやってくれるだろう」と、専門家を信じて犠牲になりやすい。まずは医者の言うことを丸呑みにせず、自分で調べて考ええる癖を身に付けていきたい。そして医者を選ぶときは、
 ・図書館やインターネットで自分なりに幅広く情報を集める。
 ・患者としての直感を大事にする。
 ・あいさつしない医者、患者の顔を見ない医者、患者を見下す医者はやめる。
 ・医者の説明を鵜呑みにしない。
 ・医者の誘導に気をつける。
 ・薬の副作用、手術の後の後遺症、生存率をしっかり聞く
 ・質問をうるさがる医者は見限る。
 ・いきなり5種類以上の薬を出す医者は要注意
 ・セカンドオピニオン、場合によってはサードオピニオンを求める。
 ・検査データーやレントゲン写真は患者のものだから、臆することなく借り出す。








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