60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

愚痴

2013年05月17日 08時40分06秒 | Weblog
 先週、以前の会社で一緒だった女性社員2人と昼食をすることになった。2人とももう子供のいる主婦である。今まで何度か一緒に食事をしたこともある。そしてそのような場での私の役割は彼女達の愚痴の聞き役である。以前にもこのブログに書いたことはあるが、私は人間観察が趣味である。だから彼女達の飾らない本音は、人というものを理解する上で貴重な教材になる。人はどんなことに悩み、どんな風に考え、そしてどんな経過をたどっていくのか。大勢の人に共通する問題もあるが、性格や生い立ちやとらえ方により違ってくる場合も多い。内容もある時は仲間内の人間関係だったり、ある時は子供の問題だったり、ある時は旦那への愚痴だったりと、その時々で変わっていく。そして程度の差こそあれ、いつも問題は抱えているし、愚痴のな人はいないように思う。今回も、それぞれに自分の身の回りに起こったエピソードを面白くおかしく話してくれる。しかしその中にも本人には深刻な問題も含まれる。今回の話の中で最も切実なものは一方の女性の父親の問題であった。

 彼女の父親は65歳を過ぎていて、仕事も辞め今は自宅に引きこもっている。もともと職人気質で頑固で偏屈な父親である。糖尿病がひどく毎日インシュリン注射をするほどである。それに加え今は強度の難聴で、人との会話もスムーズにできなくなっている。元々人との交流が少なかった人なのだが、難聴が影響してか益々外部の人と接することを嫌がるようになった。最近は買い物はおろか宅配便など訪問者の応対も全くやらなくなってしまった。病気の程度が進むに連れ、性格的にも猜疑心が強なってくる。家族に対する言葉もほとんどが怒りに満ちていて、まともな会話もできない状態らしい。いつもTVのボリュームを目いっぱいに上げて聞いているから、補聴器を進めたり、手元で聞けるスピーカーを贈っても、「病人扱いするな!」と怒りだして使おうともしない。あるとき父に問いかけをした時、それが聞こえなかったようで大声で「なんだ?!」と聞き返す。たいした用事でもないから「もういい!」と答えると、どう聞き間違えたのか、『俺に「死ね!」と言うのか』とすごい剣幕で怒りだしてしまった。

 思うに、自分の不自由さやもどかしさが高じて、自暴自棄になっているのであろう。それがどうにも抑えようがなく、怒りになって家族にぶつけているのかもしれない。元々母親に対して辛く当たる父親であったが、それに輪をかけてひどくなっている。一緒にいることが辛くなった母親はなるべく家にいないようにと、痛みがある体をおして、目いっぱいパートの仕事を入れるようになった。彼女は結婚して別に所帯をもっているから、実家に帰った時にしか軋轢はない。しかし今は孫を連れて帰ることもままならない。母の苦労を考え、この先のことを考えると母が不憫で仕方がない。母親に対しての同情がいつしか父親に対しての憎悪になってしまった。小さな子供を育てる身としては、そんなストレスは避けたいと思う。しかし自分の気持ちはいかんともしがたい。これが彼女の愚痴のあらましである。

 聞いている私にはどうしようも出来ない内容である。問題が直接本人へではなく、荒れる父親による家族(特に母親)への軋轢が大きな悩みだからである。どこか施設に入れるとか、別居するとか、離婚まで考えるとか、なんの行動も起こせないまま母はただじっと耐えるだけである。そんな状況を見聞きすることが彼女の苦悩なのである。私がどう慰めようが、どんなアドバイスをしようが、彼女にとっては当事者意識を欠き、納得いく答えにはならないだろう。ではどうすれば良いか? 今までの経験からするととりあえずは彼女の話を親身になって聞いてあげるしかないように思う。(私は人間観察が趣味であるから聞くことに何の抵抗もない。女房意外は)、

 つかの間の息抜きが終わり、またの再会を約して3人は分かれる。これから彼女達は又主婦として、苦悩を抱える娘として、現実世界に戻っていかなければいけない。浮かぬ顔に戻った彼女を見ていると、果たして気分転換できたのだろうか、何かヒントになるものがあったのだろうか、もう少し気の利いたアドバイスはできなかったのだろうか、と私には悔いが残る。それは彼女の状況が深刻なだけに、私自身がシンクロしている部分もあるのだろう。

 帰りの電車で、ふとNHKラジオで聞いた女性心理学者の話を思い出す。
それは「クライアントの話を聞けば聞くほど自分も影響されてしまうのではないですか?」というアナウンサーの質問に、その先生はこう答えた。「いいえ、これは企業秘密ですが、カウンセリングにはコツがあるのです。実はクライアントの話は要点だけ抑えているだけで、あまり真剣には聞いてはいません。クライアントの悩みに対する方向性や解決策は彼ら自身が持っているのです。しかし彼らはそれが何かは分かりません。紐でつながった万国旗や両端を結んだハンカチを、スルスルと引き出していく手品がありますね。あれと同じで、引き出した最後に答えが書いてあるのです。だからそれが引き出だされるまで本人に答えは分りません。当然カウンセラーにも分かりません。だから引き出し続ければ良いのです。カウンセラーはその引き出すお手伝いをするだけなのです」、という話であった。

 自分の悩みに対しての回答は自分自身が持っている。しかしそれが今は何だかは分からない。分からないから悩むわけである。自分の回答を知らないままに、人からどんな良い話を聞いても納得はできないだろうし、そのアドバイスが自分にとって正しいのかどうかも判定もできない。悩みを解決するなら信頼できる誰かに、回答が書かれた旗が見つかるまで話し続けるしかないのかもしれない。彼女の母親も、彼女自身も、








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