金剛院佛性寺
長雨が続くと休みの日も外に出かける意欲が無くなってしまう。それでも先週は少し晴れ間が出たので、久しぶりに池袋の本屋に出かけることにした。最近は少し気温も下がり秋らしくなったので、途中の椎名町に降り金剛院佛性寺に行ってみる。前回はいつ来たのだろう?、2~3ヶ月前だったか、その時から今は境内に咲いている花も入れ替わっている。
そんなに大きくもない境内ではあるが、あちらこちらに四季の花が植えられ、風情のある灯篭や石仏が置かれている。駅に近いこともあり、綺麗に清掃された境内には引きも切らず人が立ち寄っている。私もその一人であるが、この小さな空間に足を踏み入れ、境内に咲く花を見て歩くとなんとなく癒されるのである。そして境内を一周してから、山門の傍にあるカフェでランチを食べる。このひと時が休日の1日を少し豊かな気分にしてくれる。これは若い頃には味わえなかった、歳を取ったからこその楽しみかもしれない。
境内は引きも切らづ人が訪れる
まだ咲いている夏の花百日紅
このお寺には賽銭箱が置いてない
灯篭の下に四角い石
良く見ると猿の顔が彫られていた
赤門テラスなゆた
お寺の境内の緑を見ながらのお寺ごはん
ランチを食べ終わって会計を済ませたとき、店員さんが、「今度お寺の本堂で落語会がありますから、よろしかったらおいで下さい」とパンフレットを渡された。そのパンフには第一回椎名町落語会10/24とあった。「やはりここの住職さんは商売上手だなぁ~」と思う。四季折々の花で人を集め、綺麗なカフェで食事やお茶を提供し、そして今度はお寺の本堂を使ってイベントを始める。オープンして1年半、カフェのお客さんも格段に増え、確実にお客さんの気持ちをとらえている。やはり商売センスのある住職さんなのであろう。
以前読んだ宮本輝の本に、「持って生まれたもの」として「愛嬌、機転、・・・・」などいくつかの性質が書いてあった。例えば機転の利かない人はどんなに本人が意識しても機転は利かない。それは「持って生まれてこなかった」から仕方が無いことである。愛嬌の無い人もまた同じという風に・・・・、その言い方でいくと「センス」も同じかも知れないと思う。美的センス、ファッションセンス、音楽センス、営業センス、商売センス・・・と色々あるが、ある分野でセンスの無い人は、そのセンスを持って生まれた人には敵わない。例えば音痴の人はやはり音楽センスは持って生まれてこなかったのであろう。ファッションセンスのある人は何を着ても垢抜けしていて着こなしが良い。ここの住職は仏門に入ったが、他に商売のセンスを持って生まれたのかもしれない。センスとはそんなものかもしれないと思う。
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