先週NHK総合TVで、『アニメーションは七色の夢を見る』という番組を見た。宮崎駿監督が引退を宣言し、ジブリを今まで引っ張ってきた大御所がいなくなった。さてこれからの日本のアニメーションはどうなるのか?そんなテーマで、宮崎アニメの遺伝子を受け継ぐクリエーターとして、一人は、宮崎駿監督の長男で、「ゲド戦記」「コクリコ坂から」をヒットさせた宮崎吾朗監督。もう一人は、「借りぐらしのアリエッティ」で監督デビューし、この夏、2作目の「思い出のマーニー」(現在公開中)を手掛けた米林宏昌監督を取り上げていた。
宮崎吾朗監督が挑むのは、テレビアニメの「山賊の娘ローニャ」(NHKBSプレミアムで10月から放送予定)。彼は今はジブリを離れ、3DCGを使った新しい表現に挑んでいる。CGというこれまでとは全く違う環境のなか、自分の目指す表現に格闘している様子をカメラは追いかける。もう一人の米林宏昌監督は実写映画で著名な種田陽平氏を美術監督に迎え、新たなジブリ作品に挑戦している。内容もこれからの目指す方向も対照的な二人だが、共通しているのは、初めて宮崎駿監督が関わらない形でアニメーションを作るということである。
私の関心はCG方式に変わった宮崎吾朗ではなく、今まで継続的に見てきたジブリ作品、しかも伝統的に一枚一枚アニメーターが書いていくセル画方式を引き継ぐ米林宏昌監督の方に興味がある。彼が手がける今回の「思い出のマーニー」は、イギリスの作家、ジョーン・Gロビンソンによる児童文学作品である。主人公の杏奈(アンナ)は、もらいっ子という立場からか無気力で友達も無く、心を閉ざしている。彼女は喘息を患っていて、医者から転地療養を勧められ、夏休みに北海道の海辺の町で過ごすことになった。そこでアンナは、「これは私が探していたもの」と直感的に感じる古い屋敷を見つけた。そしてその屋敷の娘マーニーと親友になり、毎日のように接することで、次第に心を開いていく。・・・・ そんなストーリーである。
宮崎駿はこの「思い出のマーニー」について語っている。「以前読んだとき、原作は好きで面白い作品だと思った。そして小説の中で描かれている風景に引かれたが、作者が描いている地図と僕の中で浮かんだ地図とが全然違っていて、これは絶対アニメーションにはならないと思った。なぜならそれはあまりにも人の内面の問題だからである。・・・」と言っている。そんな原作に米林宏昌監督が挑んだわけである。
心を閉ざし他人に心を見せない少女、そんな少女の心の微妙な変化、文学ではそこを丁寧に書いていけるが、アニメではどう表現するか、米林監督はそんなアンナの心のゆれを、微妙な仕草や表情で表現して行こうとする。米林監督が言う、「この作品はジブリの今までの作品のように、青い空に白い雲が浮かんでいるという感じの世界観じゃない。これまでのジブリの常識に抗うとするものなです。ジブリは今までも常に殻を破って前進してきました。だから今回も新しいものに挑戦していきたいと思っています」
「こんなTV番組を見たら見に行くしかないだろう」、そう思い日曜日に映画を見に行ってきた。小さめな館内は6~7割の入りか、やはり宮崎駿のビックネームがないからかもしれない。観客も中学生以下の子供は少なく、どちらかといえば高校生以上の女性が中心のようである。映画は2人の少女を中心に淡々と進んでいく。それは今までのジブリ作品のように型破りな表現方法で観客を驚かせたるような物ではなく、少女の心の変遷が主体である。背景画は今までのジブリ作品と同じように、緻密で美しい。伸びやかな北海道の自然の中でストーリーはテンポ良く進んで、やがて謎解きのような結末で映画は終わる。
見終わって感じるのは、イギリスの児童文学だからなのか、今までのジブリのファンタジーと色合いが違うように思った。日本と西洋が入り乱れ、現実と妄想とファンタジーが入り乱れ、なんとも不思議な雰囲気をかもし出している。見るうちに次第にストーリ展開に追われていき、監督が意図した主人公の繊細な心のゆれの表現方法までは見て取れなかった。それは一回見ただけでは私の受信力(理解力)では無理だったのかもしれない。2人の微妙な表情や仕草の描き方、美しい背景画、重厚な建物や室内のこだわった美術、そんなものを確認するためにも,、もう一度見ておく必要があるようである。
杏奈(アンナ)
マーニー
杏奈(アンナ)は列車で札幌から海辺の町に向かう
舞台のモデルは釧路湿原の藻散布沼という汽水沼とか
入り江に建つ古い屋敷 通称・湿地屋敷
満潮になると広々とした湖になる
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