Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

岩手県で鉄道自殺した生徒に対するイジメ事件について思う事

2015年07月11日 | 日記

 7月11日(土)

 岩手県で電車に飛び込み自殺した生徒に対するイジメ事件では、学校・教師の対応が激しい批判に晒されている。確かにあの交流ノートを見た限りでは「何で助けられなかったのか。」と腹立たしい思いがする。

 しかし、事はそんなに単純なんだろうかとも思う。マスコミはまるで学校側に全ての責任があるかのような言い様だが、クラスメイトの話では、担任の女性教師は「加害者側の生徒を何度も呼び出し叱っていた。」とか「優しくて生徒から慕われ、相談にも乗ってくれる良い先生だった。」とも話している。

 私が子供時分の昭和30年代は、教師と言えば神様のような存在でたとえ殴られても親からお前が悪いと子供が叱られた。私なんか中学生時代運動会の予行練習で、ある暴力教師から思い切りビンタされ、鼻血を出して倒された。今だったら全国紙に載ってもおかしくない暴力事案だが、周りは見て見ぬふりの知らんぷりだった。

 それが良いとは言わないが、その頃の教師にはそれ程の権限を与えられていたのだ。その頃も今以上に悪ガキ共はいたけれど、陰で悪口は言っても教師を恐れ表立って逆らう者はいなかった。

 振り返って今の先生は、生徒に指一本触れても暴力教師と名指しされ犯罪者にされかねない。体罰が駄目なら退学や停学を行使できる権限が与えられているかといえばそれも無い。情熱と言葉だけで指導しろと言っても、自分の子供ですら満足に指導できないご時世だ。ましてや他人の子供、よほど有能でなきゃそんなの無理に決まってる。

 例え中学生でも悪知恵に長けた悪ガキは、そんな教師等ちっとも恐い存在と思っちゃいない。だから今回の場合だって、担任が幾度注意しても「カエルの面に小便」で、なめきっていたからイジメをやめなかったのだろう。

 当然の事だけど一番悪いのはイジメをやった加害者生徒で、その親も責任を免れない。酷かも知れないけれど被害者生徒の親御さんも、気配を察して登校拒否や転学等自殺を防ぐ手立てがあったのだから知らなかったでは済まされないのでは。

 公の立場で攻撃し易いからと学校や教育行政に責任の全てをおっ被せ、憔悴して泣いているのは槍玉に上がった校長や教師だけで、肝心の加害者生徒やその親は蚊帳の外我関せずであるならば、自殺した生徒にとってこれ程口惜しい事はないだろう。

 テレビやラジオで無責任な立場から口泡飛ばして綺麗事ばかり並べているコメンテーターの人達も、それ程言うなら実際にこの学校に乗込んでイジメの無い安心して生徒が通える学校を実現して欲しい。口先だけなら誰でも言える。

 先生にしっかりやれと言うのならば、熱意と言葉だけでは無理と言うもの。まずは被害者生徒を守る事を第一義に考え、それに対応できるだけの権限を教師に与えなければ、いつまで経ってもイジメは無くならず同じ悲劇が繰り返されるだけ。

 と思っていたら、今朝の朝日新聞に、「遅刻生徒96人を都庁前で正座させる」と大きく載っていた。何でもある都立工業高校の35歳の男性教師が、校外授業で集合に遅れた生徒を「遅刻について話をするからきちっと座りなさい。」と約20分間都庁前の地面に正座させたという事だ。

 これが全国紙に載る程の問題なのだろうか。学校は保護者に謝罪し、この教師は体罰を与えたという事で処分を受けるという。こんな事で処分されるんじゃ悪ガキの指導何て出来っこないよ。

コメント
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