Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

映画「翔んで埼玉」には、埼玉県民の深い策略が隠されている。

2019年05月05日 | 映画・コンサート

 5月5日(日)

 他の県ではどうだか知らないが、我が街の映画館ではだいぶ前から公開された映画「翔んで埼玉」が未だにロングランを続けている。埼玉を小馬鹿にしたような内容らしいから観たくも無かったが、テニス仲間に聞いてみると殆どの人が見終えており、「意外と面白かったよ。」と評判も悪く無い。

 埼玉県民としてはやっぱり観とくべきかなと思い、昨日の午後映画館を訪れた。しかし少女漫画の実写版みたいな映像を観始めた途端、来るんじゃなかったと激しく後悔した。

 これがテレビだったら即座にチャンネルを変えている。ビデオだったら速攻停止ボタンを押している。だけど安からぬチケット代払ったからにゃ帰る訳にもいかないではないか。

 クダラナイ。内容が実にクダラナイ。アカデミー賞に「クダラナイで賞」という部門があったなら、断トツぶっちぎりで受賞する事間違いない出来栄えだ。

 まず現代と過去がゴチャゴチャで、いつの時代背景やら判らない。主演のGACTや二階堂ふみを始め登場人物の化粧がケバ過ぎて、宝塚歌劇や旅芸人一座の演劇ショーを観てるような気分になった。

 埼玉やその他関東周辺県をコケにして、この作品がヒットしているのは一体何故何だろうか?中高年をコケにして人気者になったお笑い芸人綾小路きみまろさんの漫談と、相通ずるものがあるようにも思える。

 あまり埼玉をバカにして少しは申し訳ないとでも思ったのか、最後の方では「晴天率が日本一」、「埼玉発祥のヒット商品が一杯ある。」何て持ち上げるシーンも幾つかあったけれど、別に誉めてもらわなくてもけっこうだ。

 「埼玉が本当はとても良い所」という事を・・・チコちゃんは知っている。・・じゃ無くて埼玉県民だけは知っている。例えば「天気が良くて災害が少ない。」「山へ行くにも都心へ行くにも便利な交通アクセス」、「海は無いけど豊かな自然に、恵みの田園風景」、等々と数え上がればキリが無い。

 だけどそんな良いところを他県の人に知られたら、大勢の人が埼玉へ押寄せて地価は上がるし住み難くなる。実を言うとこの映画は、それを未然に防ごうとする埼玉県民の深い策略が隠されているのです。

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日本三百名山回顧№63、福島・栃木県境、男鹿岳(3百名山)&大佐飛山

2019年05月03日 | 三百名山回顧

男鹿岳登山

 

平成24年5月1日(火)  天気=曇り時々雨

 

05:44釜沢橋ゲート→ 06:34~52オーガ沢橋→ 07:15~19男鹿沢橋→ 07:53~08:08大川峠→ 09:22~30栗石山→ 09:47~10:10男鹿岳→ 10:23~28栗石山→ 11:04~10大川峠→ 11:53男沢橋→ 12:16オーガ沢橋→ 13:07釜沢橋ゲート

 

 男鹿山塊は日光連山と那須山地の中間に位置する地味な山域で、登山道もあまり整備されておらず玄人好みの渋い山が多い。男鹿山塊の中で唯一、男鹿岳だけが日本三百名山に選ばれている。しかし山塊の最高峰は大佐飛山で、山の姿形もこちらの方がはるかに凌ぎ、私だったら大佐飛山を三百名山に選出するだろう。

 男鹿岳、大佐飛山いずれも登山道は無く、概ね残雪期にしか登られていない。この両山を登るべく7年前の5月連休に登山計画を立てた。まず最初に大佐飛山を目指した。

 この山は前衛の黒滝山までは登山道が通じており、黒滝山から先は残雪の尾根を伝って進み、黒滝山と西村山の鞍部にテントを張って、軽装で大佐飛山まで往復した。

 大長山の雪尾根から大佐山

 大佐飛山登山で一番印象に残ったのは大長山と大佐飛山間の雪尾根で、素晴らしい展望を眺めつつ、前方にゆったりと聳える大佐飛山を登った。登頂後はテント泊で一夜を過ごし、翌日下山した。

 大佐飛山山頂

 黒滝山~西村山間のテント場

 下山後、車で那須山麓の観光道路を経由して甲子トンネルを抜け福島県田島町の林道を遡り、男鹿岳登山口の釜沢橋の林道ゲート手前で車中泊した。

 翌朝は釜沢橋から男鹿岳目指して歩き始める。荒れた林道を約10キロ遡ると福島・栃木県境の大川峠で、此処から県境尾根沿いに残雪を伝って男鹿岳に登った。

 男鹿岳登山口の釜沢橋

 大川峠

 男鹿岳山頂

 山頂に着いた時は霧が漂い残念ながら展望は全く無かったが、ようやく目標の山に登頂できた喜びは大きかった。尚登山の詳細については既に本ブログへ掲載済みなので、下記をクリックしてご覧ください。

 

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令和が始まり、平成の世を振り返る。

2019年05月01日 | 日記

 2019年5月1日(水)

 平成の世が終わり、今日からいよいよ令和の時代が始まった。テレビや新聞そして街のアチコチではバカ騒ぎのような盛り上り、世間の片隅でヒッソリ生きる私としては、一寸白けた気分でさしたる感慨も浮かばない。

 それでも新しい時代の幕開けなので、個人的に平成時代を振り返ってみましょう。平成の世は、私の年齢のちょうど40歳~70歳に当り人生の壮年期と言えるだろう。この間に職場が3度変わり、50代の半ばには大病を患った。この病が私の人生航路を少しばかり変えたかも知れない。

 60歳で定年を迎えた時、嘱託として職場に残る道もあったが、しかし一度は死ぬかも知れないと思ったこの人生、妻には申し訳ないが60代は好きな事を思い切りやってみようと心に決めた。

 まず最初に挑戦したのが日本縦断徒歩旅行で、半年かけて鹿児島の佐多岬から北海道の宗谷岬まで歩き通した。これが終わってさて次はと思い浮かんだのが、日本三百名山の全踏破、これも2年前の尾瀬、景鶴山登頂をもって完登した。

 さてこの次は何て思い倦んでいるうちに、新たな時代を迎えた。結局世の中に大した貢献もせず、随分自分勝手な生き方だったなあと、自嘲を含んで自分の人生を振り返る。令和の世は私にとってはラストを飾る老年期なので、もう取り立てて目標だの挑戦などは考えまいと思う。

 妻と私が程々に健康で、世間にご迷惑を掛けずに生きていければ充分、と言うか目標です。そして平成天皇退位のお言葉に準ずる訳でもないが、日本とついでに世界がもっと安寧で幸せになる事を願い、そんな世の中であの世へ旅立てれば嬉しい限りです。

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