1989年のある日、毎日新聞に「わたぼうし音楽祭」という音楽コンテストが奈良で開催されるという記事が掲載された。それでわたしはその頃、劇団のスター、MIYUKIがリードヴォーカルをとるシリーズとして作っていた曲を数曲選んでカセットに入れて応募してみた。すると、わたぼうし音楽祭事務局から茶色の封筒が届いた。
わたしが応募した何曲かのうち「わかりあえる日まで」という曲が8月に奈良で開催される「第15回わたぼうし音楽祭」の出場作品に選ばれたという報せだった。他の曲の方が自信があったのですこし意外な気がしたが「わかりあえる日まで」は次の時代の合言葉となるダイバーシティ(多様性)をテーマとしていたのでそのコンセプトが受けて一次審査を通過して本番のコンテストで演奏される候補作品10曲のうちの一曲に選ばれたのだった。
あらゆるものの違いが悪いものではなく大切なものという分断から統合へのコンセプトが受け入れられる時代に入ったのだろうかと思った。優勝すれば2年後の1991年にシンガポールで開催される予定の「第1回アジア太平洋わたぼうし音楽祭」の日本代表となるということだった。
fumio
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