monologue
夜明けに向けて
 



勝新太郎は杵屋の跡取りとして三味線の修業していたので宮下フミオの自宅スタジオに居候していた時、映画「座頭市」の音楽としてティアック8トラック・レコーダーに三味線を弾いてレコーディングした。わたしは宮下に請われてその三味線に合わせてベースをレコーディングしたことがある。コードはE一発だった。わたしはそれで勝の三味線奏法を知ったのだ。それからわたしも自宅スタジオを作りたいと思うようになったのである。
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勝新太郎はたった一度、宮下フミオのアコースティックギターのバックでリトルトーキョー劇場でライヴを行ったことがあった。その貴重なパフォーマンスに遭遇したお客さんは幸せ…。
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その頃、宮下フミオのハリウッドヒルの家に中島茂男とジョー山中が居候していた。
映画「人間の証明」で主役の黒人ハーフの青年を演じたジョー山中は家が見つかるまで居候していたのだ。わたしが相棒のシゲさんをエンターテイナーの仕事で迎えに行くと
「行ってらっしゃい」とわたしたちを送り出してくれた。すごく礼儀正しい好青年だった。クラブの仕事が終わってわたしが車でシゲさんを宮下家に送ってゆくと「おかえりなさい」とリビングルームで待っていてくれたのである。
宮下はだれでも家に迎え入れる外交的性格で奥さんのリンダも夫の友人関係を嫌がらなかった。ミッキーカーチス、島田陽子、ジョー山中、勝新太郎とみんなロサンジェルスで居住地を見つけるまで腰掛していたのだった。
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わたしはフォークにはアコースティックギターを使用してスリーフィンガーピッキングで弾いたのだがロックには合わなかった。
それでロサンジェルス市のダウンタウンをまわって古道具屋でフェンダープレシジョンベースを見つけた。ロックバンドのベーシストはプレシジョンベースが多いので音も聴かずにベースアンプと一緒に購入してその夜の仕事に使用した。
クラブ「エンカウンター」の仕事にベースをはじめて使用した時、毎日演奏していた曲に深みが出るように感じてびっくりした。従業員やホステス、お客さんたちもクラブの雰囲気が変わったように感じたことだろう。
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クラブ「エンカウンター」のアーテイストで一番の人気は日本でレコードを出しただけあってマイク三宅だった。マネージャーはピアノのマイク三宅を中心にクラブのエンターテイナーのシフトを組んだ。
わたしとシゲさんはアコースティックギターエレキギターのバンドでフォークソングやロックを演奏した。ペイは一晩50ドルとお客さんのリクエストに応えてもらうチップだった。それをためてのちにレコード制作費にしたのだった。
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クラブ「エンカウンター」のステージではわたしがアコースティックギターを弾き中島茂男がギターアンプを持ち込みフェイズシフターなどのエフェクターにつないだギヴソンエレキギターを弾いた。曲目は「思い出のグリーングラス」「マイウエイ」などにビートルズの「ノーウエアマン」などなどでシゲさんの長屋で「ノーウエアマン」を練習している時、世界ツアー中のファーイーストファミリーバンドのリーダー、宮下フミオが生まれたばかりの息子ジョデイ天空を抱いてやってきた。それがのちにバンドSFとして「プロセス」という英語のプログレッシヴロックアルバムを製作することになったのだった。
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ロサンジェルスのエンターメント界のある日、クラブ「エンカウンター」(Encounter)」という日系の大型クラブが開店するという噂が流れ、羅府新報やラジオその他でその店のエンターティナーのオーディションの開催が予告された。天下一武道会のようにロサンジェルス中のエンターティナーがそのオーディションに集まった。次々に得意曲をピアノやギターを弾きながら披露してゆく。わたしは日本の歌「シクラメンのかほり」をギターの弾き語りした。オーディションで選ばれたのはほとんどがピアノを弾くエンターティナーばかりだった。その頃、日本のレコード会社からデビューしていた日系アーティスト、マイク三宅もピアノの弾き語りとして店に入った。ギターの弾き語りで選ばれたのはわたしと長髪で口髭が特徴の男の二人だけだった。マイク三宅のパフォーマンスは「太陽は燃えている」が温かみのある幅広い包み込むような唱法で抜群だった。そして日系ラジオ局がクラブ「エンカウンター」の番組を作って店のエンターティナーたちの歌をラジオで流した。わたしはそれでピアニストの伴奏で「また逢う日まで」を歌った。何回かクラブ「エンカウンター」で仕事しているとマネージャーのケンさんが今度から口髭の男と一緒に仕事してくれという。エンターティナーが二人で組んで仕事するというのは聞いたことがなかったけれどOKしてその髭の男「中島茂男」と一緒にステージに上がった。わたしはアコースティックギターを弾き中島はギターアンプを持ち込みフェイズシフターなどのエフェクターにつないだエレキギターを弾いた。それがプログレッシヴロックバンドSFの相棒中島茂男(シゲさん)との出会いだった。
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