monologue
夜明けに向けて
 



これまで踏鞴(たたら)について全く匂わされたり触れられたことがないのになぜ前回突然スポットライトが当てられたのだろう。自分で書いていてもわからない。意外な展開に目を瞠るだけだ。「たたら」について多くの人が知らねばならない時が来たというのか。「たたら」についての預言をさがしてみるとこんなメッセージが94年の1月の終わりから二月にかけて連続して発されていた。なにかありそうだ。

 01/29 父は炎、母は水、子は風であった…子は亡き者とされ、今に至る
 01/30 その子が居たこと、そして今も在り続けることを思い起こさねば…
 01/31 炎と水、そして風=「水(ミ)」→「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」 
 02/01 父母無くしては子は在り得ず、子無くして父母は在り得ず…


しばらく考察に時間をいただいてこれらの預言の意味を探りたい。
fumo


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